作戦

「遅かったですか。」

女の声、透き通ってツンと尖った声だ。

飴村が窓を開け、掃除をしている後ろから声がした。

振り返らず飴村はこたえた。

「遅いのはそっちよ。誰と来たわけ?アズサ。」

女の影の隣に居たアズサは、ビクリと体を震わせた。

「ご、ごめんなさい…。」

「私が説明していて遅れたのです。叱らないでください。…それに」

「私はアズサに、誰を連れてきたか聞いているのよ。」

張りつめた空気の中、梓は女に目配せをしてから、ゆっくり口を開いた。

「沙弥さんの、……あの当日の町田さんの前に襲撃された……景樹さんの部下だそうです。」

飴村は少し目を見開くと、やっと二人に向き合った。

「景樹の犬?死んだと思っていたわ。

…生きていた上に、元気そうじゃない。」

「一応、死にかけたんですよ。

不意打ちでこう、ずばーっと斜めにきられまして。」

女は右肩から左脇下に向かって斜めに指さした。

「浅かったの?」

「いいえ。抉られました。肺の片方に血が流れ込みましてね…さすがにすぐには反撃できず、そのまま喉を突かれて声も出せないようにされまして。

犯人は血を吐いて膝をついた私を見て、殺したと確信して足早に去っていったんです。」

梓は目を白黒させて怯えている。

「……それをどう信じろと。」

呆れたようにため息をつく飴村に、女は細長い金属を投げた。

薄い明かりに刃が短く光る。

「メス?」

器用に飴村がキャッチして、いぶしげに眺めた。

女はとんとんと、喉を指差した。

――刺せ。

口の形だけでそう読めた。

梓は目をぎゅっとつむり、耳を塞いだ。

「馬鹿。見てなきゃ意味ないでしょ」

「えぇ…。」

怯えながら、ゆっくり梓が耳から手を離し、目を開けたところで……。


女の白く細い首にメスが刺し込まれた。

感触を確かめたあと、飴村は手を離し、メスが刺さったままの女を眺めた。

女は分厚いガーゼを取りだし、当てながらゆっくりとメスを抜いた。

すぐさまガーゼは真っ赤に染まり、溢れ出した血が服に伝った。

匂いも、血だ。

梓は泣きそうな表情だが頑張って視線をそらさないようにしている。

女が、片手で傷を抑えながら、梓に携帯を持たせた。

何やら文字を打ち込んでいる。

それを確認した梓は、飴村にも見せた。

「五分待て。」

飴村と梓は時計を確認した。

「そんなに悠長にしている時間なんて…。」

言い終わる前に女は笑顔で町田のベッド下を指差した。

大男が息耐えて転がったままだ。

つまり、待ってる間これを何とかしろと。

「……さすがに、アンタにはキャパオーバーね。」

飴村は貧血を起こしそうな梓を椅子に座らせ、窓の外を見させた。


五分どころか十五分経過した辺りで飴村の片付けが終わった。

ふりむくと、女は無傷で立っていた。

恐る恐る、飴村は喉に触れた。

特に何もない、普通の皮膚だ。

衣服についた血の染みは本物なのに…。

見上げると女はにこりと笑った。

「信じて貰えましたか?」

「…。手品ではないようね。」

「その大男、貴女一人で運ぶのは無理でしょう。手伝いますよ。」

「アズサにやらせようと思っていたのだけど。」

窓の方を向きっぱなしだった梓は慌てて振り向いた。

掃除された綺麗な床に男入りの袋が転がっている。

「……重そう。」

「三桁キログラムはあると思うわ。」

「無理ですよ!」

梓は無理と言ったものの、気になったのかそっと袋に手を伸ばした。

が、女によって止められた。

「私が持ちます。

駐車場に私の車がありますのでそこへ。

飴村さん、町田さんと看護師のことが終わったら合流してください。」

「何仕切ってんの。私、まだ人としては信用してないんだけど。」

「……。時間がありません。落ち着いてから話します。」

飴村は悔しそうに奥歯に力を入れると、肩をすくめて、ため息をついた。

「アズサをついていかせるわ。何かあったらアンタもブチ殺す。」

親指を下に向けた飴村に、女は笑顔で返事をして、男を担いだ。

「行きますよ、梓さん。」

梓は軽々と男の袋を担ぐ女を見て、不安な顔で飴村と女を見比べ、女についていった。





大袋を車のトランクに詰め込み、二人は暗い駐車場で飴村を待っていた。

梓は女をじっと見つめている。

「殺したりはしませんし、信じられないかもしれませんが私は本当に洋岸ようぎし警視の部下です。」

「……。親しくはなくて、仕事だけの関係ですか?」

「何とも言えません。」

「何故、頑なに名乗らないんですか?」

女は、ずっと名乗らないままだ。

能力も身分も明かせるのに何故。

梓は距離を保ったまま、女に視線を向け続けた。

「……ならば、犬で良いですよ。

飴村さんも仰っていましたし、しっくりきます。」

「名前が、無いんですか?」

女は、少し寂しげに口元を緩めた。

「洋岸警視が親しい人に下の名前で呼ばせる理由と同じです。」

知っていてわざわざ景樹を洋岸と呼ぶ姿に、梓は素直に返した。

「人の嫌がることをする趣味があるんですか?」

女はクスクスと笑った。

表情の薄い人だと感じていた梓は、意表を突かれてあんぐりと口を開けた。

「少しだけ。」

悪戯に和らげた表情はゆっくりと仕事の顔に戻った。

飴村が色々終えてきたようだ。

二人が向き合うと、飴村だけが強気に笑った。

「一応、聞いていたわ。ワンコちゃん。」

「飴村さんは盗み聞きの趣味をお持ちなんですね。」

「仕事の癖よ。ワンコ。」

飴村は額を女に近づけ、強い眼差しのまま続けた。

「で、自己紹介だけじゃないんでしょ?さっさと話しなさい。」

「はい。」

梓は年上の女性を『犬』と呼ぶのに抵抗があったため、『ワンコさん』と呼ぶことを心の中で決めた。


女―ワンコは車の中から書類を取り出した。

「上司が先に辿り着きそうなのですが…沙弥さんの捕らわれているだろう場所の候補と、犯人の目星はこちらに。」

飴村は奪うように書類を受け取り、小さなライトで照らして読み、重く呟いた。

「殺す。」

「殺さないでください。」

ワンコが冷静に返す。


梓は二人の様子を見て、少し考えたあとに冷や汗を垂らした。

「もしや、さっきの飴村さんみたいに…景樹さんがやりすぎるのでは?」

「それです。」

ワンコが少し眉を下げて唇に人差し指の第二間接をあてた。

「諸々調べなければならないのに片っ端から犯人を殺されてしまっては何も聞き出せません。

上司に追い付き、止めたいのです。」

「どうして調べないといけないんですか?」

梓の問いに、ワンコは目線を落として答えた。

「沙弥さんを守るためです。」

梓と飴村は、お互いに視線を合わせると、頷いた。


「なら、効率良く作戦を練りたいわね。

車…動かしながら話せる?」

「勿論です。お願いします。」


三人は車に乗り込み、夜の闇に走り去った。






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