町田と吉田。

軋む。


身体中が痛い。



どうしてこんなことになったんだ。


町田は目蓋まぶたを閉じたまま、思い出した。


夜、沙弥を送る時。

制服も着ていたし、景樹けいきは町田の他に一人つけたとも言っていた。

襲うのはかなりのリスクだ。

GPSも無線もつけっぱなしで沙弥を警護している。

有事の際にすぐに場所を特定するためだ。

(会話が景樹さんに聞かれていると思うと気持ちが悪いな。)

せめてもの抵抗に受話音量は最低限にしている。



その日は不思議とその気配もなく、町田は軽く辺りを見回した。

いつものように無線をつけた。

が、少し音が荒れている。

「……だ。早く…を送っ…くれ。寄り道するなよ。」

「はい。」

途切れてはいるが意味は通じる。

景樹が変な場所に居るだけかもしれないが…

念のため、交番に戻ったら無線を交換しよう。


「町田君!友情を深めるためにコンビニなど寄らないか!」

沙弥は町田と友人になってからこの調子だ。

悪い気はしないが、油断するわけにはいかない。

「仕事ですので。」

沙弥は頬を膨らませて抗議したが、町田がすたすたと先を行くので大人しくついていった。

「…明日、事務所に行く時の警護なら買い物に付き合えますよ。」

沙弥はぱっと明るい表情になって喜んだ。

悪くはない。吉田もそうだが、好意を抱かれるのは……面倒だが喜ばしいことでもある。

ほんのり、油断していたのかもしれない。

いや油断していなくとも、町田でも反応できないほど気配がなかった。

プロだ。

景樹側の監視もプロだが、それより気配が無かった。

「暗殺でも生業なりわいにしているんですか?」

素早く相手の方を向き、警棒を顔の前に出すと、ナイフがそこでとまった。

沙弥に目配せをし、下がらせた。

弱く街灯の光を反射させたナイフの刃は、何ヵ所か欠けていた。

(使い込まれている。それに、ナイフを握るグローブの広い範囲に血がついている。完全に乾いていないところを見ると、ついさっき…)

「やってきましたね。」

薄暗い中でニヤリと笑う歯が見えた。

警棒を下げずに相手を確認した。

町田より背が高い、体格もかなりいかつい男。

黒に近い灰色の服を着ていて、それもグローブ同様生臭い液体で湿っている。


町田の首筋に、冷や汗が浮かんだ。


勝てない。


すぐに悟った。


警棒を捻らせ、相手のナイフを落として銃をかまえ躊躇せず足に発砲した。

「逃げて!早く!!」

町田が叫ぶが、沙弥は動かなかった。

眉を下げ、首を振る。

そして、ぐるんと、町田の視界が回り、沙弥が叫んだ。

「町田君!」

「……いてぇ。」

大柄の男が、低く、怒りをこめて唸った。

町田は組伏された。

「沙弥!!逃げろ!!」

容赦なく、大男の拳が町田の顔に降ってきた。

何度も、何度も、何度も。

歯が飛び、血が飛び、目蓋も腫れた。

視界は次第に狭くなり、周りを確認する余裕などなくなった。

沙弥は涙を滲ませて駆け出した。

後ろではなく、前に。

霞んだ視界で沙弥が男の腕にしがみついているのが見えた。

「私が目的なら従う!だから町田君を殺すな。」

「馬鹿、にげ…。」

男は腕を振り、沙弥を投げ飛ばした。

華奢な沙弥の身体は簡単に飛び、塀にぶつかった。

大男が町田に向き直ると、右腕を掴んだ。

右。左。

上腕を一つずつ折られ、町田は鈍い悲鳴を上げた。

「顔見られてるのに生かしておく馬鹿はしねぇよ。安心しろ。逃げても捕まえてやるから。」

男は抵抗ができなくなった町田に馬乗りになったまま、殴り続けた。

激痛でどこを殴られているのかもわからない。

ただ、人形のように無抵抗な状態で、痛みに体をひきつらせ、何度も、何度も、何度も、何度も。


死を覚悟した。


沙弥が逃げ出すことを祈り、町田は、考えることもろくにできずに殴られ続けた。


ふいに、止まった。

もう視界はぼんやりとした街灯と人影しか映さない。

それでもわかる。


ウザったそうな男の唸りと、沙弥の気配。


また、止めに来たのか?

もういい、やめてくれ、逃げてくれ。

頼む、早く。

お前には助けられない。早く逃げてくれ。


「嫌だ!!!町田君は死なせない!!!

彼は僕の大切な友達なんだ!!!」

投げ飛ばされた。

いや、地面に押し付けられた?

倒れこみ、砂利が擦れる音がする。

今度は沙弥がやられるのか?

やめてくれ…。


鈍く、重い音と悲鳴。


やめてくれ。やめろ。


「折っときゃもう飛び付けねぇだろ。」


折った?沙弥の足かどこかを折ったのか。

これではこの隙にも逃げられないじゃないか。


男は拳に汚く唾を吐きつけ、また、町田を殴り続けた。

「しぶてぇな。腹と胸も殴ってやってんのに。

あー…ナイフがあったな。」

金属音。

落ちたナイフを拾う音。

今度こそ、もう駄目だ。


沙弥の方角から砂利の音が聞こえ、必死に止めようと向かっていることがわかった。


馬鹿だ。やめてくれ。

来ないでくれ。

少しでも距離をとって、少しでも助かるように…這いずってでも逃げてくれ…。




地獄のような時間は急に終わった。



男は何かに気づき、舌打ちして町田を蹴り飛ばし、乱暴に路地に押し込んだ。

そして、沙弥を担ぎ、逃げ去った。




町田は、浅く呼吸を続け…

朝を迎え、誰かに見つかるまで。

意識を強く保っていた。









「旭!!!死ぬなよ!!!」

痛い。

「両腕と肋が折れています。患者に触れないでください。」

ゆっくり目を開けた。

うすぼんやりと目に映ったのは真っ白な天井。

病院か?

首が痛み、視界を動かすことはできないが…さっきのは吉田の声だ。

「看護師さん!!旭起きた!起きたよ!!!」

「町田さん。声は出せますか?」

看護師が町田を覗き込んだ。

ぎこちないが、ちゃんと視線が合う。

目は無事のようだ。

「はい。ここは?」

「病院です。今、医師せんせいを呼んできます。」

看護師が出ていき、吉田の鼻水の音と、もう一人の気配を感じた。

「吉田と、誰?」

「アズサくんだよ、お前を見つけて通報してくれた。旭と知り合いなんだって?」

「小豆河さんか。」

「はい。……。」

梓は続けて何か言いたげにしたが、恐らく吉田が邪魔なのだろう。口をつぐんだ。

「吉田。僕はどのくらい寝ていた。」

「えと、今16時で、発見からは日付変わってないっす。」

「……仕事は?」

「旭が心配で休んだ!」

「行け。」

「嘘でしょ!?冷たすぎない!?」

「…17時にいつも柳川やながわさんが買い物帰り、重い荷物持って交番前を通るだろ。」

「あー、あのおばーちゃん!」

「あの人は吉田と話すのを楽しみにしてるんだ。すぐ行け。」

「えっ、あ!でも。」

「また来い。ちゃんと仕事をしたあとに。」

「わかった!!!生きてろよ!」

吉田が出ていった。

医師が入れ違いに入ってきて、梓と話すのはその後になった。


赤黒い空を眺めた後、梓は窓を閉めた。

手短てみじかに聞きます。沙弥さんは?」

「…さらわれました。すみません。」

「……。景樹さんに電話をしましたが、繋がりません。」

町田は、ピクリと肩を動かしたが、痛みですぐに姿勢を戻した。

「無理しないでください。姿勢はそのままで…。

ぼくにできること…町田さんにはわかりますか?」

「……事務所を守れる人間が、今一人もいない。

洋岸景樹ようぎしけいきは手を回しているはずだ。生きていればだけど。」

梓は小さく唾を飲んだ。

「電話はどう切れました?」

「留守番電話サービスに繋がりました。」

「…折り返しは?」

「ワンコール来ました。」

町田はほっとしたように息をついた。

「なら大丈夫です。あとは、飴村あめむらさんとは面識あるんでしたっけ?」

「はい。」

「彼女に伝言をおねがいします。

沙弥さんを連れ去ったのは身長180㎝を越えた筋肉質の男。グローブをしていた。黒よりの灰色の服装。恐らくなにかのプロ。接触まで気配が掴めませんでした。

衣服やグローブに血痕、まだ乾いておらず、仕事を終えた直後の遭遇と思われます。

右足に発砲し、着弾しましたが、逃走時に人を抱えて走っており、浅いか逸れたかの可能性があります。」

町田が息を吸い込むと、痛むらしく眉をしかめた。

梓がメモの音が止まったのを確認し、続ける。

「藤枝沙弥は男に二度投げ飛ばされ、骨を折られました。」

梓は、握りしめるペンに力をこめた。

ギリっと歯を食い縛り、最後の一文をメモした。


「必ず、伝えます。」

声が震えていた。

「お願いします。そして、……ごめん。」

梓は何も返事をしないで病室を後にした。









翌朝、一番に吉田が来た。

「ちゃんと仕事は終わらせてきた!どうだ旭!治ったか?」

「骨折がそんなにすぐ治るわけがないだろう。」

昨日よりましな声になっていた。

首はまだ痛む。

「旭、深刻そうな顔してどうした。」

「言えるものが殆ど無い。」

吉田はキョトンとした後、カラカラと笑った。

「有能なのも大変だな!」

「無能だよ。何もできなかった。」

「お前をこんなにするヤツなんて化け物に違いない。オレだったらどうなってた?」

吉田が?

「初手で即死。」

また大きく笑った。

何だか、少しずつ胸が軽くなっていく。

「オレだってさ、訓練ちゃんとしてるんだぜ?

それが即死なんだから生き残ったお前はすごいよ!」

「運が良かっただけ、殆ど死んだようなものだ。」

景樹も、小豆河さんも怒っているだろうな。

沙弥さんを守れなかったのだから。

「できるヤツってほんと不憫だよな。普段できてるのに一度のミスでこんな落ちこんでさ。」

「その一度が許されない仕事を自分で選んでやっているんだ。落ち込むだけじゃ足りない。」

「足りない?何するんだ?」

「……。」

何も提案がなかった。命を懸けても守れなかった。

それどころか無駄死にするところだった。

最善は尽くした筈だ。足を撃ち、盾になり、逃がそうとした。

「友達って…。」

吉田が「ん?」と耳を傾けた。

「友達って、目の前で死にそうになったからと言って、命かけて守るものか?

力がなく守れないってわかってて。」

吉田は緩い声を出しながら少し考えた。

「オレはお前が敵わない相手なんか勝てないけど、きっとその場に居たらしがみついてでも止めるんじゃないかな。」

「逃げろ。」

「やだよ。何もできないからって何もしないで友達が死んだら死ぬほどつらいじゃん。」

「死ぬのに?」

「どっちも死ぬな!」

吉田が笑うと、町田はムッとした。

「冗談で言ってる訳じゃないんだ。」

「オレだって本気で考えて答えてるよ。

目の前で死にそうになってる友達を見捨てて生き残るのは死ぬ程つらい。なら、死ぬ気でやれることやるよ。可能性って過去じゃないならゼロになることは無いだろ?」

「どこで聞いたんだそんなこと。」

「たぶん今思い付いた。」

「馬鹿だな。」


すっと。


怪我ではないものが治った気がして。

こいつと友達なら幸せになれそうだと、少しだけ思った。


「飲み屋。知ってるんだっけ?」

「!」

「退院祝いに奢ってくれるか?」

「も、ももももちろん!!旭!!!やったー旭!!!」

看護師にうるさいと叱られる吉田を、町田は表情を緩めて眺めた。





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