「」

数日が立ち、事務所に梓の服が届いた。

「着てみてくれ!」

沙弥は嬉しそうに梓に渡した。

「えっと…じゃあ部屋を…。」

「ここは事務所だ。部屋など分かれていないが…そうか、恥ずかしいな。」

「す!すみません…!!おトイレおかりしますね!」

「いいや、大丈夫だ。あっちを向いているから。」

沙弥は玄関近くに移動し、ドアの方向を向いた。

「いやぁ楽しみだなぁ…。飴村はいい仕事をするし……これでアズサくんはパートナーって感じになる。とても楽しみだ。」

「ぼくも…楽しみです。」

梓はほんのり口を緩めながら…。

出会ったばかりの沙弥を思い出した。

少しずつ、少しずつ近づいている。

恋愛感情は持ってくれないと、冷たく何度も突き放されても…今は傍にいたい。

それだけで嬉しいから、自分ができる事ならば……。


梓は袖を通し、全てを着終わった。

「えーっと。あの、これ。サイズおかしくないですか?」

手先がギリギリ出ないダボついた袖、全体的にサイズが大きなぶかぶかの衣服。

デザインは沙弥に似ていて文句はないのだが、これでは動きづらい。

沙弥は目を輝かせて梓に駆け寄った。

「おやおやおや!!とても可愛いではないか!

数年後にぴったりになるのが楽しみだな!」

「あの、いや。これでは仕事がしづらいのではないでしょうか。」

「基本的にデスクワークだから問題ない!

ただ…ズボンはどうだ?そちらばかりはオーバーサイズだと危ないな…。」

沙弥はしゃがんで梓のズボンを触った。

丈はぴったりだが、裏側に折り返しがついている。

「さすが飴村だな…。ここを段階的に外して長さを変えられるようになっているぞ。」

沙弥が裏側のボタンを梓に教えて見せると、二人の顔が近づいた。

梓は驚いてバランスを崩し後ろに倒れかけた。

「大丈夫かね?」

床にぶつかる前に沙弥が抱きかかえた。

ふわりと細やかな髪が梓に触れ、石鹸の香りが鼻をくすぐった。

どんどんと、梓は顔に熱を持たせていく。

それに気づき、沙弥は段々呆れ顔になった。

「少しは慣れたまえ。」

「ムリデス。」

ロボットの様にギクシャクと顔を背ける梓に、沙弥はぷっと吹き出した。

「本当に君は愉快だな!仕事前でこんなに楽しいなんて。」

そうだ、仕事だ。

梓は体制を戻して、コホンと咳払いをした。

「あの、データ整理とか掃除とかって話は伺っていたのですが…沙弥さんって具体的に何の仕事をしているのか聞いても大丈夫でしょうか。」

梓は沙弥の仕事を曖昧にしか知らない。看板にいたっては真っ白だ。

「ああ…景樹けいきくんから聞いていないか?」

沙弥の白い指が事務机を撫でる。

「話そう。」







信じられない話だった。

かといって嘘をついているとも思えない。

実際、警察である町田や景樹が動いているのだ。

梓は唾を飲みこんでから、頭を抱えた。

(沙弥さんが。それを話すのが仕事。)

「あの、ぼくの言葉でもう一度確認しても良いですか?」

「ああ。」

「沙弥さんはこれから沙弥さんが三十二歳になるまでのこの世界の一つの未来を知っている。」

「そうだ。」

「それを警察や信頼のおける仕事相手に情報を伝えるのが仕事…ですか?」

「そうだ。」

真っ直ぐ見つめている。

嘘をつく場面でも、相手でもない。

これが本当なら…沙弥は梓の手におえる存在ではない。

「信じられません。ごめんなさい。」

「景樹くんや町田君は私を信じている。これがアズサくんが私を信じる要素になると思うのだが。」

「そうなんです。だから混乱しているんです。」

「そうか。…じゃあちょうどいい。そこのラジオをつけたまえ。」

梓がラジオを付けたのを確認すると、沙弥は時計に目を向けた。

そして静かに目を閉じ、ゆっくりと何か思い出すように右手をこめかみに添えた。

時刻は夕方五時五十分。

日本地図を広げ、日本海側の一点を指さした。

「やはり間違いない。今日だ。あと三分で揺れる。最大震度四、マグニチュード5.4、深さ130km。」

沙弥の言葉に息を飲んだ。

ここまで正確に当てられるなら疑いようがない。

二人は静かに待ち……三分がたった。


ラジオは何も言わない。

だが、沙弥は落ち着いている。

梓が困惑しながら脂汗を滲ませた。

「ラジオの情報だ。揺れてすぐには来ないよ。」

少し、遅れてラジオが地震速報を流した。

最初の通知は最大深度三と報じられた。

が、数分後、最大深度が四と訂正された。

夕方五時五十三分。


「私はね。全てがわかるんだ。」

日が落ちて薄暗くなった部屋で、不思議な光を目に含ませた沙弥の表情は…読み取れなかった。

「そんなことまでは頼んでいないのに。期間内全ての情報…一つの確定した未来全てを知っている。

たまにのに時間がかかることもあるが。日本国内であればあまり苦労なく思い出せる。」

「未来予知…?」

「いいや違う。覚えているだけだ。三十二歳までの一つの未来を。」

沙弥は寂しそうに口元を緩ませて、人差し指を一本たてた。

「人災は、最近は外すことが多いよ。あまりに情報が多いもので…書き留めるのは大きな天災だけにしている。

……もうすぐ役に立たなくなる能力だよ。」

「それでも…凄いです。」

梓は沙弥に一歩近づいた。

「とんでもない量を覚えていて、思い出せるという事ですよね?

三十二年もの出来事を細かく。……頭は大丈夫なんですか?」

「それでは私が狂っているように聞こえるよ。」

「ご!ごめんなさい!!」

沙弥はいつもの調子に戻り、笑い飛ばした。

そして、梓の頭をポンポンと撫でた。

「心配してくれた通り、最初は頭がパンクしたよ。神様も困ったことをしてくれた。」

心配そうに見上げる梓に、沙弥は優しく目線を合わせた。

「とても大変だけど、私にもう一度チャンスをくれた神には感謝している。

この力でしっかり稼いだら…無理せず自分のままでゆっくり生きていきたい。

これが私の願いだ。」

「仕事、いずれやめちゃうんですか?」

「記憶は三十二歳までしか無いからな。」

「それは……沙弥さんが三十二歳で亡くなったという事ですか。」



時計の分針が音を立てた。

緩んだ空気に、少しだけまた緊張が戻る。

だが、沙弥は大きく笑いだし、また空気が砕けた。

「アズサくんは時々とても迷いなく凄い事を言うな。」

「ごめんなさい!?」

「大丈夫。

ああ…そうだ。今までそれを聞いたのは誰もいなかったが。

そうなんだ。私は以前三十二で死んだ。やり直しの最中なんだ。」

「どうして…。」

「胸が非常に痛くなったことしか覚えていない。まあ。ストレスだろうな。

だから、長生きするためにもう無理はしないんだ。」

沙弥はニカっと、子供の様に笑った。

(どんな辛い目にあったのだろう。)

「どんな辛い目にあったのだろう?」

「え!?そんな能力もあるんですか!?」

沙弥はケラケラ笑いながら梓の頬を撫でた。

「顔に出ているよ。」

「わぁ!また景樹さんに怒られちゃう!」

「いいよ。君はそうしていてほしい。

……私はつらい目にはあっていないんだ。一般的にはとても幸せな人生だった。

だから、死んだんだ。」

ぽつんと、小さな影が落ちるように言葉を落とした。

「だから君とか景樹くんとか、飴村もそうだが、私は誰とも恋をしない。

私は……。」

沙弥の喉が小さく鳴った。

緊張している?

「なぁ、アズサくん。最初の仕事を頼んでいいかい?」

「ハイ!」

肩を緊張させる梓に、沙弥は「緊張しなくていい」と笑った。

そして、看板のある方向を窓越しに指さした。

「この真っ白な看板に、名前を付けてくれないか?

仮で何でもいいと言われているこの事務所の名前が……一年近く決められなくてな。」


梓は目を丸くした。

「このままで良いじゃないですか。」

沙弥も目を丸くした。

梓は純粋な微笑みで続けた。

「真っ白で綺麗な看板、なんだかわからない仕事。

沙弥さんらしくて好きです。」

「それは褒めているのかい?」

「もちろん。」

「……まあ、新規の客はとらないからいいんだけど…。真っ白なままか。」

沙弥は少しだけ考えた後、梓を見た。

「アズサくんも真っ白なイメージだし、真っ白コンビって事で良いか。」

また、子供のように笑った。

梓は、子ども扱いは複雑な気持ちだったが、沙弥とコンビという言葉の嬉しさが勝って、ニマニマ笑った。

「面白い顔だな!アズサくん!」

「うれしいので。」

柔らかな笑い声が響き合い、梓の初めての仕事が終わった。











看板は据え置き。

仮で置いた真っ白なままで、沙弥の事務所は正式に報告された。

「名無しですか。」

町田はなんとも言えない顔で書類を確認している。

景樹はケラケラ笑っている。

「沙弥らしいよ。やっと決めたと思ったら空白だなんて。

真面目な話、部外者が入り込んだら困るからこのままがベストだろう。」

「藤枝事務所とか適当に苗字を付けてくれてもいいのに。」

「沙弥目当ての男が来たら俺が法を犯しそうだ。」

「逮捕します。」

真顔の町田が手錠を取り出したところで、景樹がするりと抜け出して部屋を出た。

「本当にやりかねない人なんだよな…。」

町田は深くため息をつき、報告書を纏めた。

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