梓の仕事


再会を終えた後、町田に見守られながら梓は沙弥に今までの事を話した。

自分でできる範囲でやってきた事、力が足りずに立ち止まっていた事、

景樹に手伝ってもらい、自分をいじめっこたちに『アズキ』呼びをさせないように頑張った事…。

「景樹さんはスパルタでしたが、おかげで短期間で色々おぼえました。」

緩く笑った梓の口元がほんのり景樹に似ている気がして、思わず沙弥は梓の両頬をぺちんと叩いた。

目を丸くする梓に沙弥が申し訳なさそうに謝った。

「ごめんよ。アズサくんは景樹くんを師にしてしまったせいで笑いが少し不気味になっていたんだ。条件反射だ。私は彼の事を気持ちが悪いと思っているからね。」

梓はきょとんとした後に、なんだか景樹が不憫に感じた。

梓の視線を町田に目を向けると、町田は顔を小さく横に振った。

「沙弥さん、景樹さんは沙弥さんの味方です。あまりきつく当たりすぎるとかわいそうですよ。」

梓の言葉に、沙弥は迷い無く答えた。

「彼はビジネスパートナーとして、とても頼りがいのある存在で有能だ。だが私に恋心を抱いている。」

沙弥が梓に少し顔を近づける。

梓は驚いて真っ赤になって声をあげた後、急いで距離をとった。

沙弥はニコニコと笑っている。

「アズサくんもだが、私は男性と恋仲になることはない。絶対に。」

(この話になると沙弥さんは同じ目をする。)

梓は不安そうに眉を下げた。

「景樹くんは成人男性で社会的立場も私よりずっと上だ。いくらでも力づくでどうにかできるのにしない。私の機嫌を怯えて伺うほど……。」

少し、沙弥の目が寂し気にかげった。

「私に恋愛感情を抱いている。今より気持ちをたかぶらせるわけにはいかないのだ。

私の安全のためにも、彼の気持ちをもてあそばないためにも。」

声に段々と悲しさと寂しさが混ざる。

沙弥の手が梓の頭に置かれた。

綺麗だがツンと冷えた悲しい目で微笑み、ゆっくりと頭を撫でる。

「とても苦しいんですね。」

「いや、寂しいんだ。景樹くんとも、アズサくんとも、町田さんとも……私は、良い友達でいたいから。」

「ごめんなさい。」

沙弥は梓の謝罪に微笑みで返し、事務机に戻った。

外は日が沈んでいる。

「また遅い時間になってしまったね。家は大丈夫かい?」

「大丈夫です。景樹さんに色々教えて貰っている期間の言い訳は今日まで通じるので。」

「言い訳?」

「ええ、さっき話した一番最初の…伊藤をどうにかするために、深夜にパソコンでゲームチャットをする必要があるんですよ。なので今日まで泊まり込みをしていて…。」

「泊まり込み!?」

沙弥は景樹を探したが、とっくに帰ったことを思い出して舌打ちをした。

「よく許可が下りたね!それと睡眠時間をそんな若い時から削ってはいけないよ。」

「厄介な男のストーカーに追い回されている事になっていて、授業後警察に保護されている事になっていて…今夜その男が捕まる設定なんです。」

「だが半年だよ?ご両親も変に思うだろう。」

「初日に警視である景樹さんが直接家に来て色々話しました。

ずっと泊まり込みをするわけでなく、土日と祝日は家に帰ります。ゲームとノートパソコンは働ける年齢になったらお金をお支払いする約束をして譲り受けましたので、帰宅してもチャットなどは続けられます。

平日の夜に泊まり込みで景樹さんからアドバイスを貰いながら伊藤とチャットをして、学校の様子をレポートに纏める事を教えて貰って…。」

梓は照れながら頬を掻き、鞄からノートパソコンを出した。

「あの、頑張ったので見て……くれますか?」

「勿論だ。…えーと、話を戻すが。今日まで泊まることができるという事なのかい?」

「はい!景樹さんの特訓も今日までで…このあと景樹さんの部屋に戻ろうかと。」

「じゃあアズサくんは私の家に泊まることもできるんだね!」

町田が飲もうとしていた紅茶をこぼしそうになった。

「冗談だよ!」

「景樹さんには期待を持たせないように気を付けているのに、ぼくには杜撰ずさんすぎやしませんか!?」

沙弥は声をあげて大笑いし、ぷんぷん怒る梓を楽しそうに眺めた。

「アズサくんはとても優しくて賢いからつい甘えてしまってね。泊まってくれるならこの上なく嬉しいのだが。」

「……--っ!む、無理です!!!」

真っ赤になる梓に沙弥が笑いながら謝っていると、町田がノートパソコンをじっと見つめている事に気付いた。

「どうしたね、町田さん。」

「そのノートパソコン、少なく見積もって二十五万以上しますよ。」

「何!?そんなに高額じゃアズサくんには負担すぎやしないかね!?私にプレゼントさせてくれないか?景樹くんはケチだな!無償で譲ればいいのに!」

「嫌です。ぼくがお金を払いたいと言い出したんです。」

梓はむっとしながら断った。

「沙弥さんは甘やかしすぎです。ぼくは沙弥さんと堂々と話をするために…自信をつけるために頑張ってきたんです。

だから、ちゃんとぼくの力でできる事はさせてください。」

「…ごめん。」

出会ったばかりの沙弥は大人びて感じていたが、話す度に沙弥は子供っぽく素直で感情的に見えた。

梓は沙弥をますます、人としても女性としても愛らしく感じ、諦めきれない気持ちが強まった。

「だが、私はずっとアズサくんに友として何かをしたいのを我慢してきたのだ…何かやれる事は無いか?」

梓は沙弥の言う事も尤もだと思い、少し考えこんだ後に事務所を見まわした。

「この事務所で仕事をなさっているんですよね?」

「ああ。看板こそないがちゃんと仕事をし、収入を得ている。」

「年齢的にバイトはまだ無理ですが、お手伝いとして何か仕事をいただけますか?

報酬は沙弥さんが役に立ったと思えた分の額で良いです。技術も身につくと思いますし。……沙弥さんがぼくに仕事内容を教えられれば、の話ですが…。」

沙弥は目を見開き、次に顔を緩ませ喜んだ。

「勿論!かまわないよ!アズサくんが私の仕事を手伝ってくれるのだね!」

「えっと、まだそんなにキーボードも打てるわけじゃないので教えて貰って…。」

「教えるとも!」

「掃除とかでも良いんですけど。」

「掃除も嬉しいよ!時給はきちんと計算して何かしらの名目で振り込ませてもらう!」 

「時間もちょっとしか…。」

「ちょっとで良いよ!嬉しいなぁ。仕事服を作っても良いかい?成長期だからね!毎年服が変わることになるかもしれないが是非作らせてくれ!」

「沙弥さん……。」

さすがに梓がテンションについていけず、呆れていた。

「なんでぼくにそんなに懐いてくれるんですか。

それと信用しすぎです。看板にはっきりかけない仕事内容を出会って間もない中学生に教えるのは不用心すぎます。」

「わあ。短期間で随分変わったのだね。

景樹くんに似てしまったのは凄く残念だ。

だが、なおさら君を信用できると思えたよ。

これだけ君に懐いているのは……とても可愛い事と、癒される事と、仲良くしたいタイミングで物凄くお預けを食らってしまって寂しかった事が原因かな。

あと、君はとても誠実でいい子だ。」

「可愛いは嬉しくないですし、お預けはこちらの知った事ではないですし、信じてくれるのは嬉しいですが戸惑います…。癒されてくれる事と寂しがってくれた事だけ喜んでおきますね。」

梓は苦笑いで答えた。

沙弥が好意的だとわかっても、小動物を愛でるような感情では梓は素直に喜べなかった。




町田は梓のノートパソコンを受け取ると客用の机に置き、電源を繋げた。

「これが言っていたレポートですか?」

デスクトップのアイコンは少なく、フォルダを開くと丁寧に分けられたデータがあった。

小豆河あずきがわさんは中学一年生に上がったんでしたっけ。」

町田がカチカチとフォルダを順に確認しながら聞いた。

「はい。」

「パソコンはいつから?」

「本格的に始めたのはこの機会が初めてです。」

「……。沙弥さん、これは彼に明日からでも入ってもらいましょう。」

「何だね!?」

画面を覗き込む沙弥はわかっていない様子だった。

「沙弥さんよりデータ管理が丁寧です。テキストやエクセルファイルもいくつか見ましたがわかりやすいです。教えたのが景樹さんだからという理由だけではないでしょうね…。」

梓に二人の視線が集まった。

「子供なりに頑張っていると思っていたのですが、よく考えたらこの年で一人であそこまで頑張れた上に大きな失敗もなく、景樹さんから学んで技術もここまで上げてきたんです。このままパートナーに育てたらかなり強みになると思います。」

「今はデジタルのデータ管理は町田さんと景樹さんがやってくれてるからな…。私も覚えようとは思うのだが。」

「沙弥さんへの忠義心もありますし…。小豆河さんの協力は大事でしょう。正直僕は景樹さんをそこまで信用できていません。」

「何だかすごく饒舌になってないか町田さん。」

「沙弥さんはアナログでは有能なんですがデジタルと掃除は酷いので。」

「掃除はできているだろう!?」

町田が『これで?』と言いたげな表情になった。

事務所は汚くはないが、凄く綺麗という訳でもない。

物が少ないため散らかっていないだけで、水滴汚れや埃はそれなりにたまっており、書類棚とペン立てはいつも荒れ気味だ。

町田が神経質すぎるのもあるが、時間がたてば散らかる未来が見える。

「定期的に来られる仕立て屋の子が掃除しているのは見かけた事があります。

この様子ではそれ以外の掃除はされていないのでは?」

「失礼な!食器はすぐに洗うから全てピカピカだぞ。」

「…食器は部屋ではありません。

提出書類をデータで作っていただいた時全てテキストでしたよね?」

「ああ、ちゃんとキーボードがうてるぞ!」

「エクセルはいつ覚えてくださるんですか?」

「…け、景樹くんがやるから覚えなくて良いって…。」

「覚えてください。」

沙弥は悲しそうに口をつぐんだ。

「アズサくん……教えてくれるかい?」

「ぼくは基本を覚えてる最中ですし、さっきから持ち上げすぎです!」

町田は無言で『覚える』と書かれたフォルダを開いて画面が沙弥に見えるように傾けた。

そこには景樹が教えたであろう基本ソフトの使い方、会話の仕方、交渉の仕方、お薦めの心理学本、調べたらしい必要な情報…全てがメモされ、梓自身の言葉でまとめ直されていた。

「これと…他にも『纏め中』というフォルダもあり、薦められた本を必要な部分だけ自分の言葉で言い換えている最中みたいです。」

「ちょっと!あの、待ってください。さすがに、そろそろやめてください!」

梓は耐え切れず町田を制止した。

「褒めていただけるのはありがたいのですが、覚えたい事を自分の言葉に直すのは図書館にあった本に書いてあったので…書き溜めた手書きのノート分をパソコンに移しただけのものもありますし、お勧めの本はまだ一冊目も纏めきれてないです。」

「なんと、景樹くんに教わる前からノートで頑張っていたのか。」

沙弥は唸りながらデータと梓を見比べた。

梓は何とも言えない気持ちで赤らんで口を一文字にした。

「半年の短い間に本当に頑張ったと思います。誇っていいですよ。

そして、沙弥さんのぽんこつな部分をサポートしてください。」

町田が小さく頭を下げ、沙弥も梓も二人して慌てた。

「町田くん!?」

「町田さん!?」

沙弥は声を上げた後にハッとして口に手を当てた。

「すまない。最近景樹『さん』を『くん』にかえる罰ゲームを受けていたのでうっかり敬称を…。」

「先ほど僕を友人にしたいと言ってくださった気がしたので、それが本当ならかまわないですよ。

僕も貴方に恋愛感情を抱ける気がしませんので。」

沙弥はこれまでにない晴れやかな顔で喜んだ。

「ありがとう…ありがとう!」

そしてその勢いで梓に顔を向けた。

梓は眉を下げて首を振った。

「ごめんなさい。振られているのはわかっているんですが、簡単にこの気持ちが消える気がしないです。」

沙弥はわかりやすく項垂うなだれた。

「仲良くしたい気持ちも役に立ちたい気持ちも強いので……沙弥さんの……役に立てるならパートナーに、してほしいです。」

沙弥はがばっと首を上げると梓に駆け寄って手をとった。

「ありがとう!勿論だよ!今日は嬉しい事ばかりだ!」

素直に声を上げて喜ぶ沙弥を見た梓は、振られて悲しいという気持ちは殆どかき消されてしまった。



(ぼくは…沙弥さんの仕事を手伝えるんだ。)



確かに頑張ってきた成果を認められ、梓は温かな気持ちで景樹の家に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る