梓は考えていた。


景樹と約束はしたものの、そう簡単にできるのであればそもそも苛められていない。

「まずは直接話してみるか。」

布団をぎゅっと抱きしめて、梓は眠りについた。



---



それから三日間、事務所に梓が来ることはなかった。

沙弥はむっとした顔で景樹と客用のソファーに向かい合って座っていた。

景樹はずっとにこやかだ。

「昨日も一昨日もアズサくんが来ないのだが?」

「あ、こちらの事件もお願いします。」

「この事件は前は起きていない。恐らく先月解決した事件のせいだろう。

詳しくはもう少し情報が無いとわからないけれど……

なぁ景樹さん。アズサくんを苛めたのではないか?」

「苛めていません。」

「信じられない。」

沙弥は不貞腐れて顔を背けた。

「せっかく親御さんの許可を得て一緒に夕方に癒されようと思ったのに。台無しだよ。」

「苛めていませんって。彼が来ないのは恥ずかしいからだよ。」

「恥ずかしい?」

上目遣いで聞く沙弥を、景樹は楽しげに眺めた。

「俺も『くん』で呼んでもらえたら教えるよ。」

「嫌だ。」

「呼び捨てでも良いけど。」

「もっと。嫌。だ。」

沙弥は「べーっ」と子供のように舌を出し、湯沸かし器の元へ避難した。

景樹はやれやれと書類を纏めて帰る準備をした。

「ではこの事件に関してはもう少し資料を集めてからだね。また聞きに来るよ。」

「……。」

後ろ向きのまま、沙弥がもぞもぞと悩んでいる。

景樹がふるふると笑いを抑えていると、

「……ん。」

少し耳を赤らめた沙弥が小さくつぶやいた。

「景樹くん。……君は子供に返りたい気分なのかい。」

予想外だったのか、景樹は高揚した気分を抑えられず、椅子から立ち上がった。

「なんだね!落ち着きなさい!」

景樹は何とも言えない表情で口に手を当て、そっと座りなおした。

「ごめん、嬉しくて。」

「ガキめ。」

「君がそういう言葉遣いもするなんて。」

ふふっと笑った後、景樹は梓の思いを沙弥に伝えた。

学校でいじめっ子たちに立ち向かおうとしている事、沙弥に嫌われたくない事。

怪我を見られるのが恥ずかしい事。

「頼ってくれて良いのに。」

「彼は小さいけど男なんだよ。」

寂しそうにする沙弥に景樹が笑いかけた。

「私だって…。」

何かを言いかけた沙弥は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して飲んだ。

「いや。情報ありがとう。道中気を付けて。」

「俺が襲われると思っているんですか。」

「ええ。お綺麗ですので。」

目線を合わせると、二人でぷっと吹き出してその日が終わった。




---



さらに一週間がたった。

この事務所には沙弥以外、大人しか出入りしていない。

「なぁ景樹くん。」

事務所の空気が日に日に重くなっていた。

景樹は肩をビクっとさせたあと、沙弥の顔を覗いた。

特に頬を染めているなどはない。呼び方を変えて恥ずかしがっていたのは初日だけのようだ。

「随分呼び方に慣れてきたね。嬉しいよ。」

少し残念な気持ちを隠して、景樹は優しく笑った。

「いいんだ景樹くん。……アズサくんが来ないのだが?」

「まだ奮闘中なのでしょう。」

「怪我をしているという事かね?ボロボロになってやしないかい?全治一週間とか相当だぞ?これは出る所に出て絞るだけ絞って心も折りつくして再犯を防ぐべきだ。ああそうだ今すぐにでも準備を…。」

ぶつぶつと声を低くして呪い始める沙弥に景樹が苦々しい笑顔で止めた。

「ストップ。落ち着いてくれ。梓君は無事だ。」

「怪我をしていると言っていたじゃないか。」

「怪我は…しているけれど……」

「ほーら!アズサくんは無事ではないんだな!どうにかして学校に入り込むぞ。」

「やめてください!」

景樹はまごまごと説明を渋りながら、沙弥が暴走しない様に頭を動かしている。

「景樹くん。」

名前を呼ばれるとその思考が濁っていく。

「悪巧みかね。」

沙弥が景樹の顔を覗き込む。プルプルと景樹は我慢しながら思考を巡らせようと努力をした。

だが、こんな状況で考えられもせず。

「いい加減にしてください!あなたの顔は凶器なんですから軽々と近づいたらキスしますよ!」

沙弥はウゲっと表情を歪めて距離を取った。

一気に距離を取られて寂しいのかほっとしたのか、景樹は複雑な気持ちを呼吸で整え、梓の詳しい話を沙弥に続けて話した。

「彼は今、とても頑張っているのです。」




沙弥の心配の裏で、梓は治りかけの怪我を鏡で覗いて考え事をしていた。

「正面突破はやっぱり無理だった。一対一でも力で無理やり押される。」

ノートを取り出し、みっしりと書かれたページの隙間を探して、ぐりぐりと書き込む。

「直接言えば囲まれた。数の暴力には勝てない。

頭を潰そうとしてもあいつは強すぎるし、身が竦んで言い返すのも難しい。

周囲から攻めるしかないけれど、ぼくは友達が少ない。っていうか全然居ない。」

痛いことが怖かったが、それ以上に沙弥に嫌われることが怖くて。

景樹の気迫を思い出して、それと比べて

「怖くない。」

言い聞かせた。

相手は小学生。梓も小学生だが一度味わった気迫を思い出すことで少しずつ抵抗できるようになった。

顎が震えて、出そうとした言葉が真っ白になって、涙が溢れて笑われて。

「先生に相談もした。裏でもっと責められた。学校外に連れまわされてひどい目にもあった。」

肘の擦り傷に消毒液をかけた。

少し染みるが、治ってきている。

今でこそ強がれているが、その場ではまだまだ小さくなってしまう。

怖くて怖くて。言葉が上手く出てこなくて。

「こんなんじゃ駄目だ。」

頭を机に伏せて考える。

彼らとは同じ中学に進学する。この先も沙弥と会いたい。

問題なく沙弥と会うために…。

「そうだ、沙弥さんはぼくと会うためにすごく慎重に…家に挨拶して、確認も取って…ああいうのならぼくにも頑張れるかも!」

調べるんだ。

「まずは……伊藤だったら一人でもいけるかもしれない。」

薬局で沙弥に誤魔化されそうになった伊藤を思い出した。

「伊藤と二人きりになるには…」


夜が更け、カリカリとノートに走らせるシャーペンの音が部屋に響いた。




---



(話は聞いたものの、アズサくんが心配すぎる…。)

沙弥は珍しく朝早く身支度を終え、帽子で長い髪を隠した。

「地味な服……無いな。今度発注をかけておくか。」

手持ちの服の装飾をいくつかもぎ取り、シンプルな服に変えて身支度をした。

「これはバレたら怒られるな。」

ガチャリと玄関を開け、廊下を見まわす。

景樹はいないようだ。

こそこそと沙弥がマンションから出た。

「本当に来るなんて。」

マンションの出口にツナギ姿の町田がいた。

何も知らない人が見たら点検や清掃をしている何らかの作業員にしか見えないだろう。

「お、おはよう。変装が上手いね…!」

沙弥が声を上ずらせて町田に挨拶をした。

「話は聞いています。彼の元へは僕が見に行きます。

沙弥さんは隠しきれないオーラがあるのでどんなに地味な格好をしても無駄ですよ。」

がっくりと肩を落とす沙弥を、町田が家に帰るように促す。

「いやだ。せっかく出たのだから様子を見に行きたいのだ。何とかしてくれよ町田さん。」

「安全第一ですから。必要なら動画をお送りしますよ。」

「直接行きたい。」

「バレます。」

沙弥が部屋に戻るまで町田は動こうとしない。

睨み合いが続く。

「……町田さんが一緒なら安全だろう。」

「僕はこんなに目立つ警護対象をバレないように連れて潜り込めるほど優秀ではありません。」

沙弥は口を尖らせて唸った後、唇に指をあてて少し考えた。

「動画を…通話で繋げられるかい?」

「はい。こちらは言葉をあまり発しませんが、音と映像をそちらにリアルタイムでお届けします。」

「…………梓くんがあまりに危なければ助けてくれる?」

「骨折や後遺症が激しい怪我を負いそうなら止めます。」

沙弥がむっとした。

「……それ以外は身を隠しながら偶然を装って守ります。」

暫く町田を見つめると、沙弥は諦めて家に帰った。

「困った人だ。」

町田は梓の通う学校に向かった。


---



梓は沙弥の予想と反し、平和に学校生活を送っていた。

時々いじめっ子に睨まれることはあるものの、殴られることもなく、体についた怪我もほとんど治りかけだ。

「アズキの野郎面倒になっちまったからなー。」

「調子乗ってんな。」

ひそひそと悪意のこもった声が響く。

梓は意に介さず何かしらの考え事をしており、昼休みには姿を消した。

姿を消した先は図書室。

後を付けられないように回り道をしたり、工夫して辿り着いた。

町田でなかったら見逃してしまうかもしれない。

放課後もすぐに姿を消し、いじめっ子たちは梓の陰口程度しかすることが無いようだ。

「最近は体育のある日以外は大体こうです。」

町田がボソッと沙弥に伝えた。

「アズサくんは…本当に努力していたんだな。……だがこれほど怪我が治ってきているならそろそろうちに来てくれたっていいじゃないか。」

町田から送られた映像を眺めながら、沙弥は少しあくびをした。

「ううむ……今日の仕事は休みにしよう。少し眠い。」

景樹に連絡をした後、沙弥はひと眠りをした。




---




「だめだー。」

梓は帰宅してすぐ布団に入り込んだ。

「グループ授業や体育以外はなんとかなったし、怪我が悪化した時に先生に言ったから小学校にいる間は学校の中で危険になることは殆どなくなったと思う。」

誰かに褒めてほしいという気持ちがわいたが、親に心配させたくないし、ましてや沙弥に話すには中途半端すぎる。

「疲れたな…がんばらなきゃなぁ。」

梓はじっと携帯を見た。

連絡先も知らない。沙弥に会うにはいかなければ。でもまだ何も報告することが無い…。そう考えている間に一週間以上たってしまった。

「会いたいなぁ。せめて写真を撮っておけばよかった。」

ぶつぶつ呟いていたら携帯に着信があった。

知らない番号だ。

「えっこわい。」

出ずに放置していたら着信が止まった。そして、すぐに家に電話がかかってきた。

「あずさー!おでんわー!ヨウギシさんって人。」

「ヨウギシ?」

電話の元に行き、受話器を受け取った。

「警視さんらしいわよ。」

警視…知っている警察関係者の人は沙弥から説明を受けた景樹と、沙弥の帰りを守っていた町田だけだ。

「町田さんはヨウギシじゃないしなぁ。……もしもし?」

「ああ。ごめんね。洋岸景樹ようぎしけいきだ。梓君だね?」

「あっはい。携帯にかけたのも貴方でしたか?」

「うん。知らない番号だから正しい反応だよ。…それよりすごく頑張っているみたいだね。沙弥が寂しがっていたよ。」

「はい…え!?寂しい!?」

「ずっと俺に梓君の事を聞くものだから、少しだけ話してしまったんだ。すまない。」

(沙弥さんが…。)

梓は思っても無かった情報に気持ちが高ぶった。

「聞いてる?」

「あ!はい…!はい!!えっと……はい?」

景樹がくすくすと笑った後に、「携帯にかけ直す」と電話を切った。


梓は部屋に戻り、深呼吸をして携帯の前に座った。

(沙弥さんがぼくを…。)

まだ信じられない。会いたがってくれているなんて。

ぐるぐると思いをはせていると、電話が鳴った。

梓は慌てて通話を受けた。

「ヒャい!」

声は裏返っていた。

「耳がキンとしたよ。」

「ごめんなさい。」

「それより明日も学校だろう?長電話は良くないし、梓君が今やっていることを手短に教えて貰えるかい?俺も手伝いたいんだ。」

「は、はい!」

「それと、さっきもいったけど沙弥に話してしまってすまない。」

「だ、大丈夫です。心配させてしまっていたなら、説明してくれてありがたいくらいです。」

沙弥に梓の考えがバレた所で、頑張っているだけで後ろめたい事はない。

自分から言うにはどうなのだろうと悩んでいただけだ。

「……ということで、最近は殴られたり変な命令をされたりは特にありません。」

現状と梓の対策方法を聞いて、景樹は少し感心したようで素直に褒めた。

「すごいね!今躓いているのは一番弱そうな所を突こうとしていても実際には動けないって事かな?」

「はい…簡単には二人きりになるのは難しくって。」

「伊藤…。」

景樹の通話音にタイピングの音が混ざる。

何かを調べているようだ。

伊藤宗光いとうむねみつ。オンラインゲームをしている。ゲームからコンタクトはとれそうだ。深夜一時から三時までやっている。いけない子だね。」

「そんなに夜更かししてたんだ。」

「IDとゲームの情報をおくるよ。なんならゲームも用意しても良い。ゲームチャットで話しかければ二人きりで話すことはできるんじゃないかな。弱みは見つけた?」

「いえ、何も…フルネームと得意な授業と、食べ物の好き嫌いくらいです。パイナップルを酢豚に入れたりハンバーグにつけるとものすごく怒ります。」

「梓君の携帯って検索機能しか使ってない感じ?パソコンは?」

「はい、携帯は検索とか、メモとか…画像を保存したりするくらいです。パソコンはお父さんのものしかないです。」

「…わかった。明日の放課後会える?場所は町田に案内させる。」

「町田…あ、警察の人ですね。わかりました。」

「当日凄く地味なおじさんが話しかけてくるけど、町田って名乗らせるから。心配だったらフルネームを聞いて。町田旭まちだあさひという。」

「ま、まままってください!メモしないと!」

梓は慌ててメモをとった。

「そういう真面目で地道な所が好かれるんだろうね。理想は中学で友人を作る事かな?」

「……はい。沙弥さんに心配させるような状態が続くのは、苦しいですから。」

「頑張れ。君のおかげで沙弥のかわいい所も見られたし、仲良くもなれた。これはそのお礼もあるんだ。」

梓がむっとすると、それを見透かしたのか景樹はケラケラと笑った。

「景樹さんは性格が悪いです。」

「援助を受ける前にそれを言うとは、肝が太くなったね。おやすみ。」

「おやすみなさい。明日はよろしくお願いします。」

通話が終わると、梓は布団にダイブして枕を殴った。

景樹が自分の知らない沙弥を見た事と、近づいた事に嫉妬をしたのだ。



---



梓はいつものように朝を迎え、早めに学校に行って図書室に行き本を読んだ。

時計を確認して図書室を出ると、一度学校を出てから回り込んで登校した。

図書室に通っていることがバレたら待ち伏せされるかも、と心配しているのだ。

昼休みも早々と教室を出て、見られないように撒いて、図書室が混んでいたらパソコンのある情報室を借りた。

「先生に相談したらどっちも勉強目的でなら鍵を使っていいって許可を貰えたし、言ってみるもんだな。」

部屋を使う時は基本電気をつけない。

父親に借りた小さいライトをつけて、朝ならば薄暗い図書室の棚裏で読書をしたり、カーテンを閉めた情報室でこっそりパソコンの使い方を学んだり。

やっていたことは正直に先生に報告した。

朝の職員室にいじめっ子が来ることはないので、基本報告は朝だ。


「中学からはこうもいかないから…自分のパソコンが欲しいなぁ。」

放課後になって、運動部が活発に動いている間に梓が下校をする。

運動部の顧問にも相談をしていたので、もしそこで絡まれても助けてもらえる。

「もっと早く相談したら良かった。結構大きい怪我もしたし、そのおかげもあるのかも。」

校門を出てすぐに、死角から声が聞こえた。

「町田です。」

驚いて振り返ると、そこに居たのは長い箒を持った掃除のおじさんだった。

警察官の面影が全くない。顔で判断したくても一度薄暗い所で見ただけなので思い出せない。

「え?」

「町田です。景樹さんから話はいってますよね?」

「フルネームを言ってください。」

町田旭まちだあさひです。」

梓はこくりと頷いて、町田についていった。


(少しずつ、進んでいる。)



早く沙弥に報告できるくらいになりたい。


(目標は、中学でも一緒になるだろうあいつらの『アズキ』呼びをやめさせ、『梓』でいること。)


とてもゆっくりだが、梓は進んでいけている事、味方を少しずつ増やせている事を実感して顔をほころばせ、景樹が待つビルの中に入っていった。



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