アズキ
久々に事務所を訪れた
「アズサくん、どうしたんだね!?」
梓の顔を見て、沙弥は急いで棚を漁った。
お目当てだった救急箱が無かったようで、タオルを水につけて梓の顔にあてた。
「うっかりしてしまって。有難うございます。」
「ううむ…。救急箱を買いにいこう。」
「ぼくの事はともかく、置いておいた方が良いですもんね。」
沙弥にあててもらったタオルの下で、梓の顔は青黒い痣以外に頬も紅潮していた。
「アズサくん、とんでもない顔色だぞ。今日はもう病院に行きなさい。」
「いやです!せっかく来られるようになったのに!」
慌てて梓が前に出ると、近くに来ていた沙弥にぶつかってしまった。
梓が謝る前に沙弥が大きく笑った。
「あわてんぼうさんめ。」
目尻に涙を滲ませるほど大笑いをすると、沙弥は梓の頭をポンポンと撫でた。
「一緒に薬局に行こうか。」
---
梓は携帯で地図画像を眺めていた。
「沙弥さんの行きつけの薬局があるならそこで良いと思いますが、安い所…えっと、こっちの方にある杏子堂さんが品揃えが良くて安いです。」
「私は引っ越してまだ間もないから助かるよ。アズサくんの言う店に行こう。」
指さしながらたどたどしく案内している梓を、沙弥は微笑んで眺めた。
沙弥を案内するように前に出た梓の耳は真っ赤になっていた。
「そんなにしょっちゅう真っ赤になっていたら疲れないかい?」
「コントロールして真っ赤になっている訳じゃないです!」
梓がぷんぷんと振り返らずに声を強めると、沙弥は「ごめん」とくすくす笑った。
店に着くと、また梓は携帯を眺めた。
「……絆創膏、ガーゼ、医療用テープ、消毒液、
「慎重なのだね。」
「人様のお買い物ですから。」
梓は画像と調べたものを沙弥に見せようと携帯の画面を沙弥に見えるように傾けた。
ほうほうと覗き込む沙弥の髪の毛が、さらりと梓の肩にかかった。
途端、蒸気でも出るのかという勢いで梓が真っ赤になった。
店内を歩いていると、お菓子コーナーでワイワイと騒ぐ子供の声がした。
梓は嫌な予感がして近くの棚裏に隠れ、沙弥も察したのかついていこうとした。
が、
「アズキ?」
気づかれ、声をかけられた。
ぞくりと、梓の背筋に冷たい汗が伝った。
「アズキじゃねーか!…ってそれ……え!?」
前歯が少し出た痩せた少年が沙弥を指さす。
「お姉さんじゃん!?」
少年の声につられて四人程現れた。
大柄のニキビ少年もそこにいた。
「アズキ…!?お前。」
沙弥をつれた梓を見て、少年たちが怒りに震えている。
「理不尽な子供達だ。」
沙弥は呆れてため息をついた。
「俺らにはダメって言って…アズキは良いんですか!?」
「ここは店内だ。買い物を済ませた後に話を聞くから、今は静かにしなさい。」
沙弥が宥めようとしたが、少年たちはギャーギャーと騒ぎ立てた。
梓の様に聞き分けが良くおとなしい子供の方が珍しいのだ。これが普通だろう。
沙弥は冷たい目つきになった。
リーダー格の大柄の子がビクリとその目線にたじろいだ。
「店内というのはお客さんは自由に入れる所だ。だがいいか?騒ぎ立てて言う事を聞かない者は大人でも子供でも営業の邪魔になるのだよ。」
沙弥は少し
「営業の邪魔になった時点でいつ追い出されても文句は言えない。
お店だってお金を払って土地と建物を維持しているのだ。入れてもらって、買わせていただいている自覚をなさい。」
「お、お客様っていうじゃん。金払ってる客が一番偉いんだろ?」
「落ち着け伊藤!論点をずらされているぞ!」
(簡単には誤魔化されなかったか。)
沙弥は小さく舌打ちをすると、笑顔で『表へ出ろ』のジェスチャーをした。
---
店横の駐車場で沙弥は子供達と対峙していた。
梓は沙弥に財布を渡され、店内で会計中だ。
「ここも店の敷地だから長くは居られないけれど…言いたい事があるのだろう?
順に言いなさい。」
いざ発言の場になると子供たちはおろおろと互いを見た。
大柄の少年がやはりリーダーなのだろう、すっくと前に立った。
「お姉さん、前に俺たちが来た時に相手にできないような事言ったじゃないですか。なのにアズキはどうして一緒にいるんですか。」
「アズキとは誰だね。」
「とぼけないでください!今店で薬を買ってる弱そうなあいつですよ!」
「あの子はアズサくんだ。人の名前も呼べないのか?」
「…あいつはアズキって呼ばれているんです。俺らが仲良くしてやってるから。」
「ほう?」
沙弥は目を細めた。
「仲良くしてやってる?ならば聞きたい事がある。」
店の自動ドアから慌てて梓が出てきた。
買い物を済ませたようだ。
「仲良くしているのなら、アズサくんの今日の怪我…誰がやったのか知っているね。」
ごくりと、少年たちが唾を飲んだ。
発言はやはりリーダー格の少年だった。
「ドッジボールをしていたら派手にぶつかったんです。アズキどんくさいから。」
「
「あ、あずさ。」
体格の大きな少年も段々と沙弥に気おされてきた。
声色がわかりやすいほど怒っている。
「アズサくん。彼の言う事は本当かい?」
梓はいじめっこたちをおどおどと見つめた。
ギロリと五人分の視線が梓に刺さる。
「……。うん。」
梓は弱々しく答えた。
「信じよう。」
沙弥のあっさりした返答に梓を含む少年たちが口をあんぐり開けた。
呆然とした子供たちを置いて、沙弥は梓の買ったものを受け取り、事務所へと歩いた。
ハッとした梓は小走りでついていった。
その様子を見て、大柄の少年は我に返り、声をかけた。
「あっ!あの!それでなんでアズ…あずさだけなんですか!?」
「私が誰を選ぼうと君たちにどう関係がある?
私と君たちは言葉を数回交わしただけの他人だ。明らかにこれは過干渉で大いに迷惑をしている。
アズサくんは私が個人的に気に入った。君たちはそこまでではない、それだけだ。」
沙弥は後ろ向きのまま冷たく答え、少年たちはうぐっと唸り涙目になった。
「だからこそ、アズサくんと君達の関係が暴力的でないのなら私はそれを信じてこれ以上口出しはしない。…ただし。」
すっと沙弥が振り返った。
変わらず美しい顔だが、数分前の……憤った冷たい目つきに戻っている。
「嘘ならば。私はお前たちを嫌いになる。」
冷たく言い放って、また沙弥は向きを直して歩き去った。
---
事務所に戻り、梓は沙弥と一緒に救急箱を纏めた。
沙弥が梓に向ける表情は変わらず優しいままだが、梓の
嘘だったからだ。
(沙弥さんに嫌われてしまう。そんなの、嫌だ。)
思いつめる梓は、次第に無口になって縮こまってしまった。
沙弥は冷蔵庫を開け、少し考えると鍋にミルクをはった。
砂糖をくわえ、くつくつと弱く温めていく。
甘くて柔らかな香りが室内に満ちた。
「ああ、なんて優しいんだ。」
足が長く、サラサラな髪をした男がガチャリと事務所のドアを開けた。
「えっ!?お仕事の関係者でしょうか!?」
梓が動揺して声を上げた。
ガチガチに緊張した大声に男は吹き出して笑った。
「っははは!いや、本当にかわいらしい子だね。」
男はにゅっと綺麗な顔を梓に近づけた。
(沙弥さんといい、この人といい、ここの関係者はみんな顔が綺麗なのかな。)
「ついにショタコンにまでなったのかい。景樹さん。」
「俺はそういう趣味は無い。」
「先日のロリコン疑惑もそのくらいきっぱり反論してほしかったよ。
…貴方の好みはビターでしたね。エスプレッソを入れるからそこに座ってください。」
景樹は梓の隣に座った。
梓はドギマギしながらどんどん縮こまっていく。
時計の音が響く。コーヒーカップの音が近づくのをただひたすらに待っていた。
「今日は仕事がない筈ですし、連絡もありませんでしたよね。何しに来たんですかストーカー。」
沙弥が冷たく聞きながらエスプレッソとホイップクリームの乗った小皿を景樹に渡した。
景樹はにこにこと笑いながら受け取り、礼を言う。
「ありがとう、砂糖なしのホイップで調節させてくれる気遣いも最高だよ。」
「何しに、来たん、ですか。」
「甘い良い香りに誘われたのと、俺にできる事を見つけてお邪魔しました。」
景樹は、少量のクリームをエスプレッソに溶かしながら沙弥に答えた。
入っていけない空気で気まずそうにしている梓に、沙弥は優しく笑いかけ、梓に軽く景樹の名前と職業を伝えると、甘いホットミルクを手渡した。
梓はおずおずと口にし、優しい味に癒された。
「今日は町田君がおやすみでね。俺が外出を見守っていたんだ。…だからずっと見ていた。」
景樹が梓をちらりと見た。
「疲れたろう、梓君。俺が送るよ。」
一見柔和な表情だが、目から沙弥のような優しさは感じなかった。
どっと疲れたらしく、梓はおとなしく頷いた。
---
帰り道、景樹と梓は並んで帰っていた。
長身の景樹と小柄な梓…目線どころか、顔を見るのにも一苦労だ。
はぐれないように手を握った。
「君は手を握らせてくれるね。」
「えと、沙弥さんは並ぶとき手を握らせてくれない、っていうことですか?」
「うんうん。頭も良いね。」
声色も優しいし、口元も笑っている。
「ねぇ梓君。」
(だけど、この人はずっと。)
「沙弥の事が好きなのだろう?」
目の奥がずっと笑っていない。
梓は景樹を見上げ、赤らみもせず「はい」と答えていた。
「好きだからさっきの事はとても恥ずかしいし、怖かったろう。」
「お店の事、見ていたんでしたっけ。」
「強がって嘘をついて守らせもしない、だが怯える。弱いんだね、アズキは。」
少しずつ声からも温かみは消えていく。
「心配させない事と見栄をはる事は全く違う。君のアレは半分は弱い所を見せたくないエゴで、見栄だ。…彼女は、そういう見栄は嫌いだよ?」
家路から少し外れ、公園に着いた。
景樹は梓をベンチに座らせた。
二人が並んで座り、少しだけ目線が近づいた。
血の気が引くような冷たさを、薄暗い中で感じた。
夕闇の公園に静かな風が横切り、さらさらと木々を撫でた。
(この人は、普段ぼくが感じているアイツらの怖さと次元が違う。)
じっとりと汗が滲み、ぶるりと震えるものの…手のひらに力が籠った。
怖さの次元は違うが、話が通じるし敵意は感じない。
梓は体の向きを景樹に向けた。
「見栄にも、嘘にもしないためにぼくがする事は、今考えている事であっていますか?」
真っ直ぐ見つめる梓に、景樹は少し目を丸くした。
「俺は心を読む力が無いからわからないよ。口に出してくれ。」
「……アイツらに……苛められない様に学校で立ち向かいます。」
にんまりと景樹が笑った。
「できるのかい?アズキくん。」
「梓です。」
不思議と震えない。
強い声に、景樹は暫く見つめた後に噴出した。
「ははは…!本当に。いいこだ。」
そして声を低く冷たくする。
「俺も沙弥の事が好きでね。振られているが。
だから俺たちはライバルだ。…一人前になれるよう健闘を祈るよ。」
景樹は拳をグーの形にして、梓の前に出した。
梓も拳をぎゅっと握り、それに合わせた。
「アズキと呼ばせないように頑張ります。」
「悪い意味ではないのだけどね。」
恐らく、初めてだろう。景樹は梓に素直に微笑んだ。
「小さい豆の何が悪いのだろう。
あの子達は馬鹿にしているから悪い印象は出てしまうだろうけど、豆鉄砲だって頭を使って食らわせたら痛いよ?
それに…豆は芽吹く。」
きょとんと、比喩が多く意味を理解するのに追い付いていない梓が困惑していた。
くすくすと笑いながら景樹は続けた。
「芽吹けよ。アズサ。」
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