沙弥の仕事



正午が近づき、カーテンから漏れる光が布団の輪郭をなぞる。

沙弥の瞼がゆっくりと開いた。




じっとり汗が滲み出て、最悪の目覚めだ。

沙弥は軽く身じろぎをした。

「あと…五分。」

寝起きは弱い。

高校には殆ど登校していない。

「前を考えるとまったく怠惰だな。」

十五分経過してようやく身を起こした。

あくびを噛み殺し、顔を洗い、歯磨きをしながら鏡を覗いた。

気だるげだが整った顔がそこにあった。

(見た目は自分でも良い方だと自覚はあるが、それだけだ。)

携帯の通知ランプが光っている。

「…今日もあいつが来るのか。シャワーを浴びたら出勤しよう。」


小さめのワンルーム。

居住空間が狭いだけで立地が良くセキュリティもしっかりしており、建物も新しい。

恐らく家賃はかなり高いだろう。

家賃は払って貰っているため、正確な額は知らない。

払っているのは親ではない。

「国に飼われている。…ずっとは続かないだろう。それまでに少し貯金もしておきたい。」

チャイムが鳴った。

「……。」

沙弥は無視をしてシャワーを浴びた。


小一時間して、準備ができた沙弥が玄関を開けると、玄関脇に長身のスーツ姿の男が壁にもたれていた。

「既読がついたから迎えに来たのに、遅いじゃないか。」

「気持ちが悪いです。」

うんざりした沙弥の目つきに、男は笑顔で返した。

さらに沙弥の表情が曇った。

「事務所まで貴方と一緒に行く必要はあるんですか。」

「俺と一緒なら君はナンパされないだろう。」

「貴方に毎日ナンパされてうんざりしています。」

男は笑いながら沙弥の手を握ろうとした。

が、沙弥は手をはたいて拒否をした。

「あまりしつこいと国相手でも文句も言いますし仕事を辞めますよ。」

「それは困る。もう触らないよ。」

男が軽く手をあげてアピールをした。

沙弥はため息をついて男と事務所に向かった。



男の名前は洋岸景樹ようぎしけいき。警視だ。

父親が警視正で母親が弁護士、キャリア組。

容姿端麗で仕事もできる。

女好きというわけではなく、むしろ女性には冷たい。が、沙弥に対してだけ軽い態度をとる。


事務所で紅茶をいれながら沙弥がため息をついた。

「私にも他の女性に取っている様な対応をしてくれれば好感が持てるのだが。」

「蔑まれるのが趣味なのかい?」

ケラケラと笑われた沙弥は、さらに冷たい目を向けた。

「サッパリした仕事だけの関係でいたいと言っているんだ、景樹さん。」

男は洋岸と呼ばれる事を嫌う。そのため、沙弥や他の仕事相手…近しい人間は彼を下の名前で呼んでいる。

「それに私は十六だ。ロリコンかね、君は。」

沙弥はぐいっと紅茶を飲んだ。

「熱くない?」

「まあまあ熱い。

…君の私への執着は恋愛のそれというより、別の執着だろうけど。

もしその感情が恋愛に傾いたら、本気で貴方との関係を切る。」

景樹の目が静かに表情を消した。

「気を付けるよ。」


二人が落ち着くと、景樹が沙弥に書類を渡した。

「今回はこの件だ。いるかい?」

「……。ああ。勿論、この先もはっきりいる。」


沙弥の仕事、それは記憶を話す事。


「大分未来を変えてしまったから人災はあまり頼りにならなくなってきたが…大きなものは運命レベルで起こるのだね。」

沙弥は悲しげに目線を落とした。

「人だからね。」

景樹がメモを取る準備をした。

「君の記憶を参考に調査をすれば、早く解決できる。」

「お役に立てて光栄だ。ではまず犯人の名前から。」







---


沙弥は仕事を終えて一人になると、事務所に鍵をかけて休んでいた。

天井をぼーっと眺めて、目を閉じた。



沙弥が最初の命を失ってから十六年がたつ。

ー…沙弥は、二度目の世界を歩んでいる。


記憶を提供する度に思い出す。

あの時の事を。


思い出す。 思い出す。


つられて思い出す。すべてを諦めて投げたはずの、終わったはずの世界の事を。


--


  私は、最期に力尽きて倒れた。

  経験した事の無い苦しさを越えて、とても楽になった。


鼓動も温度も呼吸も音も何の感触もない。


「死んだ?」


(お前は特に都合の良い存在だった。)


(この世界はこれから巻き戻す。)


(実験的に能力の高い人間に世界の調和を取って貰う様に干渉したのだが、

お前は三十二年間、完璧に周囲の為だけに動いた。生まれて、死ぬまでずっと。)


(あまりに不遇すぎた。これは間違いだった。

寿命をすり減らして調和を取ってくれたお礼とお詫びをしたい。

何でも一つ希望のものを与えよう。)


「なんて勝手な事を言う。」


死後の世界だと思ったそこは、光に包まれた何かと話す場所だった。


(間違ったお詫びだ。何でも言いなさい。)

「なんでも?」

沙弥の手は空を切る。

何もいない、言葉だけが響く。

誰と話しているのだろう。どんな声かもわからない。

言葉と意識が入り込んできている。


「もう一度やり直せるのなら、私が生きたこの記憶をください。

きちんとやり直せるようにしっかりと覚えていたいから。」


(それは与えるものではなく、お前が持っているものだ。そのまま持っていけばいい。

他は?……幸運も、性別も、境遇も、人智を超えた能力も、一つならなんでも与えよう。)


「それだけで良いです。」


(ならばお前の生きた世界、全ての記憶と情報を自在に引き出せるようにしよう。)


(これから始まる世界はお前のための世界だ。)


--- 私のための。


(生きなさい。)


--- 何故。


(不憫だから。)


--- 傲慢だ。


「とても神らしい神だった。」




私は生まれて…生まれ直してすぐに自分を思い出した。

恐ろしい事にはっきりと、一度見たもの、経験したもの……どころか…私が生きたあの世界の全てをはっきりと。


「これだから神は。」


膨大なはっきりとした記憶と情報を波のように浴びさせられ、何度も高熱を出した。


そして私は、この記憶で防げる災害を忠告する仕事をしている。



-- 私のために。





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