藤枝沙弥
梓の両親は口を開けて呆けていた。
息子が美人を連れて帰ってきたのだ。
「息子さんと遅くまで話し込んでしまったのでお送りしました。」
沙弥は梓の母親に名刺を渡した。
「ご丁寧に…藤枝、沙弥さんというのね。有難うございます。」
(沙弥さんの苗字、藤枝っていうんだ…。)
梓は母親の持つ名刺を覗き込みたかったが、背が足りなかった。
「事務所が少し小道に入った場所にありまして。遅くなりましたらまたお送りさせていただきますので、また息子さんと仲良くしても良いでしょうか?」
「あらあら…でもこんな美人さん…藤枝さんもとてもお若いですし今から一人で帰るのも危ないのではないかしら?お年はいくつ?」
「十六です。」
「まあ。高校生じゃないの。何の事務所かしら。親御さんのお手伝い?」
「母さん、玄関口で長話は良くないぞ。」
父親が注意をした。
梓はもう少し聞きたい気持ちもあったが、これ以上遅くなっては沙弥が帰るのに危険だと思い、父親に同意した。
「私の帰宅は心配ありません…息子さん、アズサくんがうちに遊びに来るのにこちらの身の上を知らないのも不安でしょう。」
母親は口に手を当て、少し考えて提案した。
「でしたら…藤枝さんは夕ご飯はまだかしら?良ければ食べながらお話しません?」
「有難うございます。是非ご一緒させてください。」
梓は浮かれた気持ちで家に駆け込み、緩んだ顔つきでランドセルを部屋に置きに行った。
「手伝うよお母さん!もう一人分の食器だせばいい?」
「アズサったら…本当に嬉しいのね。」
どうぞ、と沙弥も促され、梓の家に入っていった。
「詳しい事は言えませんが、公務員の方の調査のお手伝いをしているのです。なので看板はこれからで…。」
芋の煮つけを掴もうとした沙弥の箸がずぶりと食い込む。
味醂で照りのついた美味しそうなじゃが芋だ。
会話の途中で行儀も悪いが、食欲に負けて口に入れた。
ホクホクのほどよい大きさの芋だ。しっかり出汁と甘みが染み込み、醤油の香ばしさで調えられた味が口の中でほどける。
「このお煮物美味しいですね。」
父親が、そうだろと笑った。
「煮物は母さんの得意分野なんだ。」
少し笑った後、もう一度話題を戻した。
「ですので、細かい事は簡単にお伝えするのが難しくて。」
「…わからないけれどちゃんとしたお仕事なんですね。」
梓と父親は沙弥にでれでれしているが、母親は少し警戒をしていた。
全く知らない女性がいきなり訪ねてきたのだ。息子はまだ小学生で小柄で気弱。
食事の間にできるだけ見極めておきたいらしく、沙弥の表情も観察していた。
「関係者の名前なら公式ホームページで確認できますが…連絡をとれたとしてもやはり心配ですよね。」
「あ、ええ…そういう意味ではないのよ。」
「いいえ、きちんとしていて良いお母様だと思います。十六でこういった仕事をするなんておかしな話ですし、お母様が確認して頂いて問題が無いとわかった上でアズサくんに遊びに来ていただく形にしましょう。」
沙弥は丁寧に夕飯を食べ終えると、手を合わせ、礼をした。
片付けて帰ろうとする沙弥を梓が落ち着かない様子で見ていた。
梓が母親に助けを求めるような目を向ける。
「ああ…いえ…、いや。」
困ったように母親が目を躍らせる。
そして数秒目を閉じて考えた後、
「梓を信じます。こんなに好意的で、連絡先もきちんと渡して家にまで送ってくださるんですもの。普通の十六の女の子じゃないわよね。…お仕事もあまり詳しく話せない事もあるでしょうし大丈夫ですよ。」
「いえ、お越しいただいて納得してからにしましょう。アズサくんも信用を頂く時間は我慢できるね?」
「…………ハイ。」
口を尖らせて、唸るように返事をする梓に、母親と沙弥はぷっと吹き出した。
「これだからアズサくんにはまた来てほしいと思ったのだよ。」
垣間見えた素の口調を聞いて、母親は沙弥の笑顔を信じようという気持ちに落ち着いた。
「あとはこれからの帰宅ですが…事務所の近くにお住まいですか?それだと危ないのではないかしら。」
「先ほども言いましたが……ああ、仕事を信用していただけるかもしれません。」
沙弥の携帯電話が振動した。
小さく返事をして携帯をしまうと、母親に微笑んだ。
「迎えが来ました。」
チャイムを鳴らしたのは、警察官だった。
「沙弥さんの警護を務めております、町田と申します。」
「まぁ、よく交番でお見掛けするわ。おまわりさんが藤枝さん個人を守っているの?」
沙弥はしーっと指先を唇にあてた。
「あまり周囲に言わないでいただけますか?」
「…事情があるのね。」
沙弥は苦く笑い、すみませんと頭を下げた。
「ではまた後日、都合の良い日にご連絡ください。アズサくんと仲良くするのはそれからで。」
沙弥はしゃがんで梓と目線を合わせた。
梓は苦々しく頷き、沙弥は笑いながら梓の頭を撫でた。
警察官の町田と並んで帰る沙弥の後ろ姿を見ながら、梓と母親は不思議な気持ちになった。
「藤枝沙弥さん…不思議な女の子ね。おとなびているし。」
梓が不安そうに母親を見上げると、笑顔がにこりと返ってきた。
「色々と不思議だけど、梓の事も私たち親の事も心配して、たくさん気を使ってくれていたわね。
気疲れが心配だから、梓が癒してあげなさい。」
「……うん!」
どんな役回りでもいい、沙弥の傍に居たい。
梓は警察官に少し嫉妬をしながら姿が見えなくなるまで眺め、見届け終わると玄関のドアを閉めた。
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