第10話 帰ってこない母 ②

とにかく「帰ろう」「帰れない」の話がちっとも解決に向かわないので、美由紀が折れることにした。

「……わかった。とりあえず、有休は今日だけしか取ってないから。幸一さんと父さんに、お母さんがこちらでお世話になってるって言っておく。着替えはどうしてるの?というか、旅行鞄とか着替え持って出たでしょ?もう泊まることは決まってたの?どうして書き置きしてかなかったの?」

「え?食卓に置いておいたけど?そういえば……どうして遥香さん、私の鞄なんか持ってきたのかしらねぇ?」

「………」

ツッコミどころ満載な母の返答に、美由紀は思わずぽかんと口を開けた。

食卓の上……に手紙などなかったはず。

確かに母の不在を不審に思って家中探したときに、不審人物や意識不明の母を見つけるのが嫌で明かりはつけなかったが、その後に父の世話をしがてら掃除をしたり他に母のメモがないかと探したのだが──

「ちょっと……考えさせて?とにかく、なんか乱暴されたりこき使われたりとかしてないのよね?」

「乱暴って……まあ吾郎ちゃんももう若くないから、そんな危ないことないし、口がちょっと悪いだけで……」

「ちょ、ちょ、ちょっと?ちょっと待って?」

危ないことはない?

口がちょっと悪い?

聞き慣れないフレーズ…ではない。

暴力は振るわないが、父もかなり口が悪かった──主に娘に向かって、であるが。

だが、父は母に対しては絶対に手を上げたりしなかったし、学生の頃に美由紀を平手打ちことはあるが、それは母に対して子供として言ってはならないことを言ったためだった。

いったい母の過去に何があって、どうして父と結ばれ美由紀が生まれ、何を経て今ここにいるのか──ちゃんと聞かないといけないことが多すぎる。



昼ご飯を食べて行けという母の自然さに不自然さを覚えながらも、美由紀は他人の家に厄介になるということには気後れを感じて、今日のところは帰ると言った。

これ以上この家に滞在して、いずれ帰って来るであろう遥香という女性に会うのも怖い。

「そぉお?じゃあ、また手紙出すわね?なんだか携帯電話が直るのってずいぶん時間がかかるらしいし……今日も遥香さんにお手紙渡したから、きっと明日には家に届くはずでしょう?」

「そうね……」

美由紀が予想した通りなら、きっと母の手紙は届かないだろう──明日だけでなく、これから先も。

なぜ彼女が母を引き留めるのか、居場所を知らせないようにしたのかわからない。

それを知る一端になるとは思わないが、とりあえず美由紀は母の携帯電話を預けてあるはずの携帯ショップに向かうためにこの家から離れ、夫や父に相談することに決めた。



いつもぽやんとして自分のことより夫のことを優先して、逆にあまり考えずに物事の決定や面倒なことをやってもらうことに慣れている母──その性格というか行動に拍車がかかっている気がするのは、気のせいだろうか?

いったい何があって、自宅にいた時よりも母の判断力や会話能力が落ちているように感じているのか、美由紀にはまだ判断する材料が少なすぎた。

何より気になるのは、そう狭くもないあの家に、母以外の人の気配がないことが気になるのだが──

「とりあえず、携帯会社に行ってみるから……ここの電話番号教えてもらったら、後で連絡するよ?」

「え?そう……よね……でも、このおうちの電話も壊れてしまっているんですって」

「はぁ?」

いろいろと美由紀の中で常識が崩れていく。

いや、もちろん美由紀の会社でひとり暮らしをしている若い子たちは『家に固定電話を置く理由がない』と携帯電話のみが連絡手段というのが多いから、この家もそうなのかもしれないけれど──『壊れた』というのならば、ちゃんと電話線は通じているはずだろう。

なんだか母が父や美由紀自身と連絡を取ることがないようにと手を尽くされている気がする──まるで何か手の込んだいたずらのようだ。

「……もう何が何だかわからない。とにかくお母さんがここにいるっていうのは分かったし。さっきも言ったけど、お母さんの携帯電話の修理が終わっているか、確認してくるから。もし直っていたら私が引き取ってくる」

「え……でも、それって預けた人じゃないとダメなんじゃないの?遥香さんはそう言っていたけど……」

「う~ん……まあ、聞くだけなら大丈夫だと思う。時間がかかるかもしれないから、また明日……来てもいい?」

「あら。じゃあやっぱり美由紀もこちらに泊まらせていただく?遥香さんにお願いすれば……」

ついさっき否定したというのに、常識外な母の提案に美由紀は言葉を発する前に首を横に振った。

「い!いやいや!いいって!そんな知らない人に迷惑かけるなんてわけにはいかないし!お父さんと幸一さんにもちゃんと話さないと!私まで帰らなかったら、心配かけるどころじゃないし!」

できれば自分がこの家に来たことも話してほしくないぐらいだが……そうぉ?と首を傾げる母には、何を言ってもちゃんと理解してくれなさそうな気がして、とにかく美由紀は『母の携帯電話の修理状態』を確認するために帰ると言って、ようやく『他人の家』から出ることができた。

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