第8話 母のいる場所?

週末と月曜日の三日間、美由紀は新しく買った帽子を目深に被って、手紙の住所付近をゆっくりと歩いていた。

曜日にかかわらず、あまり人通りがない。

いや──人通りどころか、車通りもほとんどない。

「本当にここら辺に住んでるの……?」

万が一にもばったり母と会ってしまったら──そう思って『変装』のつもりで帽子を買ったのだけれど、そんな用心は必要なかったのかもしれない。


どうして会ったらいけないの?


嫌な感じがしていた。

何も言わずにいなくなった母。

情に縋りつく手紙。

顔も見たことのない母の夫だった人。

その人の娘。


もし……もし、も……その三人が一緒にいたとしたら───


美由紀は自分が本当に母を見つけたいのかどうか、自信が無くなってきた。

いや、母の前の『家族』が一緒にいたからといってどうなのだろう?

いたっていいじゃないか。

いや、いやいやいや…まず好きあっている夫婦が好き好んで別れるというのは、現実問題としてまずありえないだろう。

経済的な問題とか、婚家の親が離婚するように仕向けただとか、小説の中にはあるかもしれないけれど、現実には……

「いやいや」といろんなことを否定しながら、なんとかさりげない風を装って、美由紀は垣根越しの家々を覗き見ながらゆっくり歩いた。


一日目と二日目には変化は特になく──というか、本当にめったに人がいないのが不思議な町だった。

母の実家の辺りは子世代家族と同居している家も多く、子供達が夕方になると道路で遊んでいたり、近くにある学校からチャイムが聞こえてくるが、ここでは一切そんな声は聞こえてこない。

自家用車すらないのではないかと思うのだが、普通にガレージも駐車場もあるから、誰かしら出掛けるためには使っているのだろう。

美由紀が誰にも会わないというのは、当然ひと気がないのを確かめてから歩き回っているというのもあるのだけれど──朝早い時間とかの方がいいのだろうか?

「じゃあ、お願いしますね?」

「ええ!大丈夫です、おばさま。ちゃんと出してきますから」

「でも……こちらにお返事くれればいいのにねぇ……まあ、うちの人もまめにポストなんか見る人じゃないし。娘が顔を出してくれるから、ちゃんと渡してくれてるとは思うんだけど」

「そうですね!きっと今日か明日にはお返事来ますよ!ところで、何か足りない物なんかありませんか?」

食い気味に返答する声に、思わずギクッとして美由紀は角を曲がろうとしていた足を止めてしまった。

「ええ?……そうねぇ。私の身の周りでは足りない物はないわ。でも……」

「じゃあ、父がデイホームから帰ってくるまでゆっくりしていてください!」

「ええ?でも、それじゃ……」

「ごめんなさい!私、もう出勤の時間なので!行ってきまーす」

「ええ……行ってらっしゃい……」

元気がいいというよりも焦った感じで、若い女性が美由紀の隠れた塀の向い側の家から飛び出してきた。

引き留めようとするかのように手を伸ばした母親らしい老女性に向かって手を振ると、急ぎ足でその家を離れていく。

二日間歩いたのは伊達ではなく、彼女の向かう方向がバス停の方ではなく、近所にある公民館に向かっているのがわかった。

しかもそちらには郵便局どころか、ポストは公民館に着くまでひとつもない。

一番近いポストは美由紀の真後ろ数メートルのところにある──駅に向かうにしろ、公民館の方へ向かうにしろ、距離的な合理性を考えればこちらに向かうのがいいはず、だ。

一体あの人は──たぶん、母に向けて手紙を出してきた『飯田 遥香』という女性に違いないとは思うのだけれど……


「………あら?美由紀?」

まさかと思ったけれど、こちらを向いた母は、ほんの数メートルの角にいた娘をしっかりと認識したらしい。


隠れる暇もないかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る