第73話 君の魂で穿て

 運命というのは、偶然と確固たる何かで作り上げられたどでかい岩のようだと思っていた。


 ちっぽけな人間一人じゃどうしようもなくて、いつだって予想外の理不尽で塗り固められていく大きな一枚の岩。


 だから、俺がこの世界に飛ばされたことだってそんな運命のいたずらだと思ったし、その後ユフィと出会ったことも全くの偶然。彼女にはヘカテーさんという神様の先生がいて、そしてそのおかげで俺がこの世界で五体満足で今日まで生き続けられたのも運命という名の偶然の積み重ね。


 誰かが勝手に決めたイベントが俺の知らないところで発生して、それがバタフライエフェクトのように俺の元に様々な形となって現れる。


 そこに俺の意思なんてものは微塵も介入する余地はなく、ただ現れたものを成るがままに眺めていく。それを俺は運命だと思い続けていた。


「何が可笑しいんだい?」


 聖剣使いが俺の前で不思議そうな顔を浮かべていた。


「ああいや、俺があんたみたいなのとこうして向かい合ってるのが可笑しくてな」


 そう口にして改めて思う。もしこれがそんな運命の勝手に決めた出来事なのなら俺はここでこんな風には笑っていなかったと思う。


 右手の剣を投げ出して、この場を一目散に逃げ出すことだって出来たはずだ。奴も背中を見せて立ち去る奴を追いかけるほど暇じゃないだろう。


 ユフィやフィオナ、トゥルフォナ様は俺に落胆するだろうし二度と顔も合わせてくれないかもしれない。だけど、ただ一方的に蹂躙されるよりはそんな人生の方がよっぽどマシだと言える。


 この状況じゃ治癒の女神も俺なんかの治療にかまっていられないだろう。致命傷を負ってそのままお陀仏。


 そんなものよりこの世界の片隅でひっそりと生きていく方がよっぽどマシだ。


「それで、君はあくまで僕の邪魔をするというんだね?」


 そう、だけど俺はそんな選択を投げ捨ててでもこうして奴と対峙し続けている。それはきっと俺が選んだ選択肢という奴で、仮に誰かが何処かで勝手に書いた筋書きの通りだったとしても、確かにこの手の剣を握り続ける力だけは、確かに俺自身が込めているんだと声を大にして言えるだろう。


「ふぅん……しょうがない。これだけはせめてお情けで聞いてやることにしよう」


 ”聖剣使い”フローレンス・ロイガスティア。彼は宝物庫と呼ばれる異空間に手を突っ込むとそこから一振りの剣を取り出した。


 どす黒く禍々しい神性を孕んだ剣。まるで命を刈り取るかのような殺気を帯びたその剣を奴は満足そうに見つめると、その切っ先を俺へと向けた。


「僕の名前はフローレンス・ロイガスティア。武神ヴァンダル=ヴァインの一番弟子であり、そして――」


 フローレンスの口元が不気味に歪む。


「この世界に変革をもたらす先駆けとなる者だ」


 大層な肩書だこと。聖剣使いだけでも随分とご立派だというのに、どうもこの異質はそれだけじゃ満足できないらしい。


「アヤト。ナナサキ・アヤトだ」


 名乗られたのなら名乗り返す。奴には大したことない行為かもしれないが、これは俺にとっての決意表明。奴から決して逃げないという確固たる思いを込めた宣言だ。


「そうか、ならばアヤト。そのままこの変革の路を君の血で祝ってもらおうかっ!」


 速い。そう思った時には既にその手の切っ先が俺の喉元に届きかけていた。


「っ!?」


 ガキリ、と鈍い音がその切っ先を弾いて見せる。咄嗟に振り上げた創命剣が奴の剣戟を寸でのところで弾いたのだ。


「へぇ……」

「ふ、不意打ちなんて卑怯じゃねぇか」


 今になって背中に冷たい汗が流れだす。先の攻撃を防げたのは本当にただの偶然だ。たまたま体がそれを認識する前に動いただけの事。こんな事何度も繰り返せるものじゃない。


「今のが見えていないようじゃ、そう長くは持たないよ」

「へぇ……じゃあ試してみるか?」


 そう強がってみせると、聖剣使いは小さく鼻で笑って見せた。


「もう試してるよ」

「っ!?」


 突如右足が焼けるような熱さを帯びる。咄嗟にそちらに視線を寄こすと、冷たい何かが俺のふくらはぎを貫いている。


「氷剣クリストルファ。ガラスのような刀身が綺麗でしょう?」


 そう言って先ほどから背中越しで隠れていた左の腕をこちらへと向ける。その手には冷たく透き通るような一本の剣が握られていた。


 あれはたしか闘技大会の予選時にシグレとの一戦で見せた聖剣。その刀身からは無数の氷の槍が放たれていたはずだ。


「死角から撃ってたってのか……っ」

「ズルいと思うかい?」


 全くだ。と言ってやりたいところだがこれは決闘のような意地と名誉を賭けた戦いじゃない。奴にとってはただ目の前のゴミを片す作業と同じ。俺にとってはあまりにも一方的に行われる虐殺。そこに誇りなんてものの居場所なんてあるはずがないのだ。


「出来れば無駄に殺したくはないんだ。そろそろ力量差に絶望して僕の前から消えてくれると嬉しいんだけど」


 直後、左腕に焼けるような熱さを感じる。奴が呼び出した新たな聖剣がその刀身を伸ばし俺の左肩を大きくえぐり取って見せたのだ。


「いっ……っ」


 思わず顔が激痛に歪む。先ほどのふくらはぎの痛みと相まってまるで全身が切り刻まれたかのような錯覚を覚える。


「そろそろ限界じゃないかい?」

「誰が折れるかよっ!」


 二振りのかまいたちが俺へと襲う。一撃目は何とか動いた右手の剣で弾けたものの、二撃目が俺の脇腹を勢いよく抉り取っていく。


「がっ……はっ……」


 出血量のせいか頭が朦朧としていくのが分かる。見れば正面に立っているはずの聖剣使いの姿が俺の目には霞んで見えた。


「可愛い子に背中を押されたってのに散々な姿じゃないか。情けないね、諦めたらどうだい?」

「断るっ!」


 大声を出したせいで全身にこれまた猛烈な痛みが走る。しかしおかげさまで少しだけ頭がクリアになった。聖剣使いにぶん殴ってやりたくなるような卑下た笑みが良く見えるってもんだ。


「聞き訳が無いな」

「何を今更。俺はまだやり残したことが一杯あるんでね、あんたに簡単にやられる訳にはいかねぇんだよ」

「……ははっ、折れないねぇ。僕と対峙してここまで好き勝手に言ってくれる奴は初めてだよ。気に入った。君には英雄の資格があるね」

「英雄の資格だぁ……?随分と評価してくれるじゃねぇか」


 なぜ俺がこんなところでボロボロになりながらもそれでも奴の前に立ちふさがるのか。思えば、それは俺がどうしても欲しかったものがあったからなのかもしれない。


「だけど生憎とそんなものちっとも欲しくはないもんでね。俺が欲しいのはな、あいつらの後ろで守ってもらう資格だけだ」


 自分の力で進んできた可愛い女の子たちの、その後ろで情けなく守ってもらうだけの資格。俺が欲しいのはそれだけ。それが俺にとっては何よりの存在理由。


「だからな、こんなところでいつまでも突っ立ってる訳にはいかねぇんだ。走ってかなきゃいけねぇ。自分たちの足で確かに進んでいくあいつらの後ろまで、俺は追いつかなきゃいけないのさ」

「情けないな。その情けない立場のために、君はそこまで意固地になれるというのかい?」


 運命というのは偶然と確固たる何かで作り上げられたどでかい岩のようだと思っていた。


 ちっぽけな人間一人じゃどうしようもなくて、いつだって予想外の理不尽で塗り固められていく大きな一枚の岩。


 だけどそんな大岩に楔を打ち込んできた奴らに俺は出会ってきたじゃないか。人生という旅路の目の前の、行く手を塞ぐ大岩を砕いてきた奴らに俺は、きっと救われてきたんだ。


「分かってねぇな。届かねぇんだよ、こんなところに居たんじゃ。あいつらの背中を押すためには、あいつらの背中に手が届くところに居なきゃいけねぇんだ。そこが俺の居場所だ」


 だから――


「そこをどけ、聖剣使い」

「はっ!僕に勝てるとでも思ってるのか?そんなにボロボロになりながら血だって溢れてるじゃないか!そんな剣一本でこの僕にどうしよっていうんだっ!」


 高笑いを浮かべるフローレンス。確かに奴の言うことはごもっともだ。俺には特別な力はない。ただ有るのは美少女が一生に一度のお願いを何でも聞いてくれる力だけ。だから力を貸せ、聖剣。俺が出来ないことは、お前がやってくれるんだろう?そのために俺にこれを託したんだろう?


「俺が何かをできるなんてこれっぽっちも思ってないさ。だから今から、そう誰もが思ってる俺の運命を、俺自身が捻じ曲げるっ!」


 これは、俺が一生に一度俺自身のために願った祈り。脳内に浮かび上がるその祝詞を、ただ奴に叩きつける。


「――極移神域転換魔法、起動」


 右手の剣が子気味のいい音を鳴らし砕け散る。破片となったそれは少しずつ光と姿を変え俺の胸元へと収束し出す。


 恐らく撃てるのは一発のみ。だが今はそれだけで十分だった。


「『宣託は選択により成りワンダーカンバ・セレクション』っ!!!」


 この一撃は、運命という名の大岩を砕かんとする、俺の魂の楔だ。

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