第72話 一本の大きなペンを片手に

 その人はポリポリと頬を退屈そうに掻くと俺の方へと手招きを飛ばした。


「おーいっ!アヤト君。ちょっとこっち来れるかい?」


 か細い声で俺を呼ぶとその視線を聖剣使いの方へと向け直す。


「お知り合いですのっ!?」


 隣でなんとも言い難い顔を浮かべるフィオナを手で制すると俺はその足を闘技場中央へと向ける。


「大丈夫だ、多分」


 なぜそう言い切れたのかは分からない。だけど不思議とその姿とは対照的なほどになぜかそこにいる男に俺は安心感を覚えた。


「やぁ、初めましてだな」


 階段を駆け下り闘技場中心部へ。足早に辿り着いた俺にその男は優しげな声でそう告げた。


「……そうっすね」


 言いたいことは一杯あった。だが状況的に今はそういう場合じゃないということは誰の目にも明らかだ。


「この子をよろしく」

「もちろんです」


 ぐったりと項垂れるユフィを地面から抱きかかえると俺はそのまま後方へと後ずさる。その間、トゥルフォナ様は決して聖剣使いから目を離すことはなかった。


「さて、君には悪いがこの子の力を渡す訳には行かない」

「どうしても、と言ってもですか?」


 そう言って聖剣使いは苦笑いを浮かべる。


「まぁ、君には君の事情があるのだろうが、おじさんにもおじさんの都合というものがあってねぇ」

「そうですか」


 一つため息をつくと聖剣使いは小さく肩をすくめる。しかしその手からは決して武器を離すことはない。常に臨戦態勢といった様子だ。


「そうだな。だが君もそれを簡単には許してくれないんだろう?」

「もちろんですよ。僕には僕の事情がある。そして、僕の上司もそれを望んでいる」

「……そうか」


 瞬間、トゥルフォナ様の体から俺ですら感じ取れるほどの莫大な神性が滲み出るのが分かった。


「それが君たちの選択と言う訳か?」

「……そういうことです。僕らが求めた変革は、その先にこそ生まれる」


 彼らが何を話しているのか分からない。が、そこに決して共存の道はあり得ないということは分かる。


「そして、その時はすぐ目の前にまで迫っているんですよ」


 直後、まるで空が闇を覆うかのように暗くなった。直前まで真昼間だったはずなのに、先ほどまで直上で青々と広がっていた空はすっかりと何処かに姿を消した。


 そして残されたのは真夜中のように黒く塗り固められた空と、そして――


「真っ赤な月……!?」


 そこにはまるで血で染められてしまったような真っ赤な月がぽっかりと浮かんでいた。


「くそっ、本人直々におでましってか……?」


 苦々しく呟くトゥルフォナ様。その顔からは僅かに焦りの表情が見て取れる。


「アヤト君……」


 そう言って彼は俺の方を向く。その時初めて俺はトゥルフォナ様の顔を正面から見つめることが出来た。


「な、何でしょうか」


 突然声を掛けられ戸惑う俺。自然と背筋が伸びてしまうのは、きっと彼が俺に力を与えた張本人ゆえだったりするのだろう。


「おじさんにはちょっとやらないといけないことが出来た」


 そう言って俺から視線を逸らしたトゥルフォナ様の目は、空に浮かぶ真っ赤な月を見つめている。


「だからちょおっとしんどいかもしれないけど、この場をお願いできるかい?」

「え、あ、この場って一体……」


 直後、闘技場の一角の屋根から甲高い奇声が響き渡った。と同時に客席からいくつもの悲鳴が上がる。


「なっ……!?」


 見ればそこには無数の化け物が姿を現していた。なぜ俺がその姿を化け物と表現したのか。その理由はそこに現れたそれが明らかにこの世界で生きている獣たちとは違う見た目をしているからだ。


「神造種……っ」


 それに近しいものを俺はこの世界に来てから何度も目にしてきた。原生の生物たちとは違うその姿。どこか禍々しさすら覚えるそれは紛れもなく神の力により作り出された生命だ。


「フローレンスっ!!!!」


 俺は咄嗟にそんな状況を作り上げたであろう人物の名を叫ぶ。


 俺の声に気付いたのか聖剣使いはつまらなさそうにこちらに視線を寄こした。まるで俺の存在など見えていなかったかのような態度に思わず体が熱くなるが、ここで冷静さを決して失う訳には行かない。


「どうしたんですトゥルフォナ様。このままだと会場が大惨事ですよ」


 こいつは分かってやっている。客席にいるのは戦闘能力を持たない観衆が大多数だ。しかも仮に戦う術を持っていたとしても相手は神造種。並大抵の力では対応する間もなく命を落としてしまうだろう。


 そんな状況を目の前の男は意図して作り上げたのだ。


「僕の友人は優秀でね。こんなにベストなタイミングで事を起こしてくれるとは」


 神造種を操る。そんな力に俺は心当たりがあった。


「アイリスが居るのか」


 俺が漏らした言葉に聖剣使いがぴくりと反応したのが分かった。


「……そうか、君が」


 何を理解したのかは知らないがフローレンスは俺の方を僅かに驚いた表情で見つめた。


 しかしこれで繋がった。恐らくフローレンスの裏にいる存在はウェンズディポートでアイリスを操っていた存在と同じだ。


 彼らは繋がっている。目的が何かまでは不明だがこれで一つ繋がった。が、それが分かったところで今俺たちが置かれている状況が良くなる訳ではない。


「アヤト君、頼めるか?」


 気付けば真剣な表情でトゥルフォナ様が俺を見ていた。恐らく彼は空に浮かぶ真っ赤な月をどうにかするつもりだ。あれがきっと何かの力の源で、それを破壊するためにこの場を後にするのだろう。


 そんな彼が俺に言いたいことは――


「俺に出来ると思います?」


 その問いかけにトゥルフォナ様は苦笑いを浮かべて見せた。そりゃそうだ。彼は俺がどれだけの人間かを理解しているのだから。


 俺に戦える力なんてなくて、ただできるのは美少女に一生に一度だけ何でもお願いを聞いてもらえることぐらい。


 その表情だって納得だ。


「そりゃそうですよね、俺なんかに……」

「アヤト君は一つ勘違いしているな」

「えっ……」


 その言葉に俺は戸惑いの声を上げる。


「君は一人であれを何とかするのか?違うだろう。今までだって君は誰かと一緒に何かを成し遂げてきたじゃないか。君は君の我が儘のためだけに誰かの力になり続けてきたのか?違うだろう」


 その言葉と同時に俺の背中から誰かの足音が聞こえてくるのが分かった。


「どこのどなたか存じませんが、全く持ってその通りですわ。アヤトさん、貴方は一人ではありませんわ」


 聞き慣れた声が背中越しに俺の耳に響いてくる。それはいつしか俺が押したはずの背中。そんな彼女が今度は俺の後ろから声をかけてくる。


「フィオナ……」

「居ても立っても居られなくて駆け付けてしまいましたわ」


 そう言って彼女は俺に照れ笑いを向けて見せた。


「はっ、役者がいくら増えたところで僕には敵わないさ!」


 しかしそんな彼女の登場に水をかけるように聖剣使いは声を荒げる。先ほどまで足が震えてしまいそうなほどに怖かった彼も、しかし今はなぜか何とかできそうな気すらしてくる。


「まぁ、今のままじゃそうだな。だからアヤト君、後は君の頑張り次第だ」


 いつの間にかトゥルフォナ様が俺の隣へと佇んでいた。彼は流れるような所作で俺の腰からブロードソードを抜き取ると、それを丁寧に一つなぞる。


「悪いな、今はこれぐらいしかしてやれないが」


 再び刀身を鞘に戻すと、その鞘ごと俺の胸元に押し付けてくる。


「え、あ、これは……」

「これは君が運命という大いなる力に抗うための力。。そうだな、名付けるなら……創命剣シクサーズ。君がその運命を自らで描くための力だ」


 そう言ってトゥルフォナ様は一つ俺へとはにかんだ。あれだけ焦がれた誰かのために振るうことのできる力が、今俺の手に握られた。


「頑張れ、少年。おじさんはおじさんの仕事をしに行く」

「……はいっ」


 覚悟は決まった。俺の仕事は、この剣と共に目の前の巨大な力に抗うこと。


「フィオナ」

「なんでしょう?」

「神造種を抑え込めるか?」


 俺の提案にその美少女は戸惑いの表情を浮かべた。が、直後一つ何かをあきらめたかのようにため息を吐いた。


「…………御武運を」


 それだけで聡明な彼女は察してくれたようだ。


「はっ、君みたいな何も力を持たない人間が僕に逆らえるとでも?」


 一つ皮肉な笑みを浮かべる聖剣使いに俺は右手の件の切っ先を向けた。


「その台詞は試してみてからでも遅くないんじゃないか?」


 運命は自らの手で掴み取るもの。彼女達が俺の目の前で体現してきたその言葉を、今度は俺自らが示す番だ。


 たとえその先に待ち構えているものが遥か遠くを行くあまりにも強大な力であろうと、俺の足は止まらない。


「がんばって、アヤトさん」

「フィオナもな」


 なぜなら美少女が、俺の運命の背中を押してくれるから。そして――腕の中の彼女を少し離れたところに寝かせると俺は聖剣使いに向き合った。


「ユフィ、直ぐに終わらせて美味いもん食いに行こうな」


 美少女が俺との約束を待っててくれるからだ。

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