第71話 然して命運は歯車に混じる
それが一つ振り下ろされたとき、まるでユフィは自らの体が真っ二つに切り裂かれるかのような錯覚を覚えた。
「なっ!?」
戦いの始まりは唐突だった。先手を打ったのはユフィ。得意の魔法で先を打つべくフローレンスの足元へと爆破を起こした。
目的は相手を後方に引かせることと、そして同時に地面から巻き上がる砂塵で視界を遮断すること。
剣を持った相手にはそれが一番であるということをユフィは経験でよく分かっている。まずはこちらの優位に立つために距離を稼ぐ。それを第一の目標としてユフィは動いたはずだった。
「黎冥の力は即ち切り裂いたものから役目を奪う力。つまり、目の前の砂塵は今僕の一撃によって視界を防ぐという役割を消し去ったのさ」
「なんっ……なのよそれっ」
視界を覆うはずだったはずの砂塵が一瞬にして霧散し、その先でフローレンスは不気味な笑顔を浮かべている。
砂塵が消え去るその刹那、一つ振られた黎冥剣の先から放たれた神性がユフィの体を引き裂くように通り抜けたのだった。
神性とは即ち魔法を行使するためのエネルギー。この世界では空気や光によく似ていると例えられる。それを再編成することで魔法と成し効力を発揮するが、それを浴びたり触れたりするだけではただそこにある無数のエネルギーの一つに過ぎない。
しかし気体に匂い、見えない熱に暖かさがあるように神性にもそれ特有の性質というものが備わっている。黎冥の剣が放つそれはまさにユフィにそう錯覚させるだけの性質を備えていた。
「そんな小手調べのような魔法ではいつまでも僕を倒すことは出来ないよ」
「はっ……元よりそのつもりなんてないわ」
「良かった。ちゃんと評価してもらえているようで何よりだ」
ユフィだって今の一撃でどうこうなんてつもりはなかった。あくまで牽制。しかしそれがああまでして簡単に破られてしまうとなると戦いの組み立ても大きく変えなければならない。
「……っし」
一つユフィは大きく息を吐くと覚悟を決める。
短期決戦。最大の火力で持って敵を薙ぎ払う。
「……空間神域魔法、起動」
ユフィの両手に青白い光が浮かび上がる。右手を顔の前に、そして左手を突き出すようにフローレンスに向けて。開いた両目の隙間から両手の間隔を頼りに聖剣使いの立つ地面の座標を瞬時に割り出す。
一点集中。その地点こそを時間も空間も超越した、ただ一点の
「絶対空間神域魔法『
金属を一つ叩いたような乾いた音が闘技場内を波打った。直後に訪れるのは無音。出し惜しみ無し、ユフィが放つまさに神の域に至る魔法。空間と時間を操り時空間の捻じれを意図的に引き起こす力。彼女がこの場で放てる最大火力の魔法だった。
「煽ったこと、後悔させてやるわっ!」
フローレンスの周囲の物質が全てゼロポイントへと向けて引き付けられていく。ゼロポイントの周囲を捻じれの中に収納し、文字通り空間ごと切り取ってしまう。その魔法こそがユフィが契約神から賜った至高の一撃だった。
「……この程度か」
直後、そんな時空間ごと叩き切るようにフローレンスが両手を振り下ろした。その手にあるのは黎冥の剣。冥府神オルフィの力をその身に宿した漆黒の刀身が爆心地に向けて一切の狂いなく振り下ろされる。
「なっ!?」
世界に音が戻る。最初に響いたのはユフィの愕然とした声だった。
「それが最大限か?時空の申し子ぉ!」
何事もなかったような顔でフローレンスは爆心地となるはずだったそこで一つ声を荒げた。
「な、なんで……っ」
「それは君が、僕の力をまだまだ甘く見ていたってことだからだ!」
その声と同時にフローレンスは宝物庫から新たな剣を取り出した。風を纏う刀身。アトランディアに四季の変化を告げる神、それ即ち季節風を操りし力。
「唸れ旋風刃っ!」
無数のかまいたちが戦場に巻き起こる。それはユフィの体めがけてまるで獲物を見つけた群れネズミのように節操もなく飛びかかっていく。
「まずいっ!」
咄嗟に飛び退き前方へと魔法を放つ。空間さえ弄れば風程度であればそこを通過することは出来ない。
しかしそれはユフィの反応速度を上回る速さで彼女の元に飛来する。魔法の展開が一歩遅れ、そこを通り抜けた尖刃達がユフィの柔らかな四肢を切り刻んでいく。
「痛っ……っ」
右足に猛烈な痛みを感じ思わず膝から崩れ落ちる。見れば太ももにまるで巨大な獣に爪で抉られたかのような傷が付いている。
じくじくと痛むそれに思わず目元に涙が浮かぶがそれで視界が歪んでしまっては元も子もない。歯を食いしばりながらもう一度足に力を入れ立ち上がる。
その様子に感心したような笑みを浮かべている目の前のこいつをぶっ飛ばしてやらなきゃ腹の虫が治まらない。ユフィという少女はそういう女の子なのだ。
「女の体に傷をつけて平気そうな顔してるのは気に食わないわね……っ」
「よく言うじゃないか。君の体のどこが女の子だというんだ。世界の均衡を崩さんばかりのその力を身に宿しながら、それでも君は自分を一人の少女だとのたまうのかい?」
どきり、と心臓が一つ鳴るのが分かった。自分の力が異質であることは分かっている。他の魔法使いなんかとはそも力のあり方が違う。そんなこと、物心付いた頃から分かり切っていたことだ。
だけど今日までそれでも自分の在り方を間違えなかったのは、この力のいなし方を教えてくれた先生がいたからだ。
豊穣の神ヘカーティアは、ユフィのその身に宿した異質な力に気づきながらも、彼女が一人の人間としてどう魔法と付き合っていくのかを教えてくれた数少ない存在だった。
だからユフィは彼女を先生と慕う。
そしてもう一人――
「こんな私に可愛いって言ってくれる男がいんのよ」
ある少年は、そんなユフィを年相応の少女として扱ってくれる。
「随分と物好きがいたものだ」
「ホントにね。でもね、きっとアイツは私の本当の姿を知らない」
「ならば知ったら嫌われてしまうかもしれないな。今なら僕が普通の女の子に戻してやれる」
だからその力をこちらに寄こせ。そう言わんばかりに黎冥剣の切っ先がユフィの方を向き直る。
「冗談。もしアイツなら、仮にそうなっても私のことを嫌わないわ」
「なぜそう言い切れるんだい?」
「……アイツは私のおっぱいが好きなのよ」
フローレンスがこの戦闘中一番の苦い顔を浮かべた。
「……くだらないな」
「いいのよそれで。くだらない事ってこの世界で一番忘れちゃいけないことじゃない?」
莫大な殺気がユフィの体を貫いた。と、同時にユフィは瞬時に察する。この戦いに勝機は微塵もないということを。
だが彼女は前に伸ばした手を引くことはない。
「空間神域魔法っ!」
それは彼女にとって彼を裏切ってしまうことに値するからだ。自らが傷つくことよりも、ユフィはただ何よりもそれを恐れる。
「美味しいもの食べに行くって約束したもんっ!『
再度時空の捻じれがフローレンスの前に現れる。先ほどよりも規模は小さいが、それでもそこにはユフィのありったけが詰め込まれている。
「消しとべぇええええええ!!!!!!」
「何度やっても無駄なことだぁあ!!!」
フローレンスの手には更なる聖剣が姿を現す。天地を照らす希望の光。太陽剣ホルスティア。
「二柱の力に成すすべもなく倒れて行け、時空の申し子っ!!!!!」
二振りの聖剣から放たれた神性魔法がユフィを襲う。位相の力は霧散し、咄嗟に展開した防御魔法はしかしその力の前には薄氷を破るがごとく瞬時に砕け彼女の体を包み込んだ。
「はぁ……はぁ……っ、手こずらせてくれるっ!しかしこれで目的は達成だっ!」
地面へと倒れ伏せるユフィを前に聖剣使いは勝ち誇った顔を浮かべた。
「これで世界はまた変革への時を進めるのだ。六柱の力を一つに集約し、このふざけた世界を作り直すっ!」
力任せにフローレンスはその手の獲物を振り下ろし、黎冥剣の切っ先がユフィの胸元を貫かんとする、まさにその瞬間だった。
「悪いな少年。この子を殺らせる訳にはいかねぇなぁ」
突如、その振り下ろされた黎冥剣があらぬ方向へと向きを変える。
「なっ、なんだっ……!?」
戦いを見守り続けていたはずの観客席からも突然の出来事に戸惑いの声が上がる。なぜならば、一人の闖入者がその場に姿を現したからだ。
赤い長髪を肩まで伸ばし、こけた頬と顎には無精髭が見て取れる。猫背気味の細身の体躯からは慢性的な疲労感すら感じられた。しかし冴えない風貌のその男はそれでもその場において誰よりも異質な神性を放ち続ける。
「あれは……」
突如として現れたその男にその場の驚愕の表情を浮かべている。困惑と不信感が闘技場全体を包み込んでいた。
だが一人だけ、その少年だけはその男の正体に誰よりも先に気づいていた。自らの力と同質の力を扱いし者。いや、その力こそが少年の力の源であるということに彼はいち早く気づいたのだ。
「運命神……トゥルフォナ」
その呟きが聞こえるはずもない。しかしそれに応えるように、その男は観客席のアヤトに向かって小さく手を振ったのだった。
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