第70話 天に災いし漆黒の剣
「緊張してるのか?」
そう声を投げかけてくるアヤトに向かって、ユフィは小さく手を振った。
「そう見える?」
乾いた声が闘技場脇の控室通路に虚しくこだまする。不安そうな顔を浮かべるアヤトの表情をどうにか解してやりたくてユフィは不慣れな笑顔を浮かべた。
「いやぁ、見えるかな」
だがそれも空振りに終わったようで、相変わらずアヤトはユフィの目をじっと見続けている。
「どうしてそう思うの?」
「普段のユフィだったらそんな風には笑わないよ」
敵わないな、とそう思ってしまった。生まれたころからずっと一緒にいただとか、同じ村で過ごした隣馴染みだとかそういう関係ではない。ただ数か月一緒に旅をしてきただけ。
だけど彼は自分の表情をそんな短期間で見抜いてしまう。
悔しいけれど、勝てないなと思った。
「今回は本当に心配なんだ、ユフィのことが。『一生に一度のお願い』がもうユフィに使えないのも何となく分かる。プリズムウェルの時のように俺はおまえの力にはなれない」
「それは……分かってる」
「だからさ、俺だって不安だ」
そう言ってアヤトは通路の壁に背中を預けた。
「見守ってやる、なんて偉そうに言ってみるけどさ、所詮俺に出来ることはここでユフィの背中を見ているだけなんだ。だからさ、俺が見ている前でせめてかっこよく散ってくれよ」
「それって私が負ける前提?」
「そんな表情してるやつが勝てる訳ないだろ。相手は”聖剣使い”なんだからよ」
そう、これからユフィが挑むのは闘技大会準決勝。相手は聖剣使いフローレンス・ロイガスティア。力量の差は十分に理解している。だけど後に引くという選択肢はユフィにはないのだ。
「じゃあさ、元気が出るようなことしてよ」
ふとユフィの体がアヤトへと寄り添う。
「そういうのズルいと思うぜ」
「分かってる。でもね……欲しいじゃん、そういうの」
上目遣いのユフィにほだされついついアヤトの手が彼女の体に伸びる。
「あーえっと……」
両者の距離はもう拳一つ分もない。吐息の音と香りが互いに伝わるほどの距離で、ユフィは小さく目を閉じた。
柔らかそうな唇をめがけてアヤトの顔が近づいていく。
「くっ……ふふっ……っ」
そんな時だった。ユフィがふと抑えきれずに笑い声を零す。
「な、なんだよ」
「いや、あんたの元気づけ方ってそうなんだなって思うと、なんかおかしくって……っ、ふふっ」
どこか緊張感に溢れた雰囲気が一気に霧散する。後に残るのはユフィの笑い声とバツが悪そうに頬をぽりぽりと掻くアヤトの二人。
「悪かったよ。そういう雰囲気だったじゃねぇか」
「かもしれないけれど、私たちには似合わないわよ、そういうのは」
「そうなのかねぇ」
先に仕掛けてきたのはそっちじゃねぇか、と言ってやりたい気持ちに溢れるアヤトだったが、先ほどとは比べ物にならないほどに体の緊張が解れたユフィを見てそれもどうでも良くなってしまう。
「負けんなよ」
「もちろん」
「勝てよ」
「もちろんよ」
二つの視線が交差する。その瞳の奥に覚悟に似た色を見たアヤトはそれ以上何も言わずに観客席へと続く通路の方へと足を向ける。
「……ありがとね」
「へいへい」
「そう言うのって聞こえてないふりをするもんじゃなくて?」
互いに背を向けているため相手の表情は読み取れない。だが、聞こえてくる楽し気な声がお互いの心境を共有し合っていた。
「これ終わったら、美味いもんでも食いに行こうぜ」
「それは素敵な提案ね」
その言葉を最後にユフィは闘技場中央の入場口へと足を向けた。
待つのは聖剣使い、フローレンス・ロイガスティア。六柱の力をその手に宿し絶対強者である。
―――
「アヤトさんこちらですわっ!」
観客席へと戻った俺を待っていたのは山盛りのホットスナックを膝に抱えたフィオナだった。
「いや、何でも好きに買って来いって言って金渡したけどさ……」
山盛りの揚げた野菜を頬張りながら満足そうに笑みを浮かべるフィオナについつい呆れ声が零れてしまう。
「……ユフィさんと何かありましたの?」
ふと、先ほどまで景気よく口の中に食べ物を放り込んでいたフィオナの手がぴたりと止まる。
「……いや、別に?」
「はぁ……それならそれでいいんですの」
思い返すのは先ほどのユフィとのやり取り。とちって随分恥ずかしいことをしでかすところだった。あれが彼女の本心なのか、それともただの照れ隠しだったのか。ここまで来てしまってはもうその真意は分からず仕舞いだけれど、まぁあの場においてはあれはあれでよかったんだと思う。
「もしかしてフラれましたの?」
「いや、なんでそうなるんだよっ」
俺を揶揄いながらも再びフィオナは口の中へと食べ物を放り込み始める。その食いっぷりについつい感化され、フィオナの膝に乗っている揚げ野菜へと手を伸ばした。
薄く衣で揚げられたそれが付け合わせのソースと絶妙にマッチしていて何とも美味だ。
「まぁ、仮に本当にフラれてしまいましたのならわたくしが後で慰めて差し上げますわ」
「……マジで!?」
その提案に思わずいかがわしい想像が俺の中で沸き立ってしまうが、それをなんとか振り払いながら俺はフィオナの隣に腰を下ろした。
「……冗談ですわ」
「冗談かぁ」
「残念ですの?」
「もちろん」
思わず食い気味でそう答えるとフィオナはしばしキョトンとした顔をした後、これまた景気よく笑い声を上げた。
「そんなことをしたらユフィさんに怒られてしまいますわ」
「それもそうだ」
「慰める予定は?」
「あの調子じゃ仮ににユフィが負けたとしてもそんなことしなくていいと思う」
「それは安心ですわ。それに、何かあっても死なない限りルーデリア様が何とかしてくださいますし!」
さすがはみ出た内臓を押し込まれながら苦い薬を飲まされまくった奴の言うことは違う。隣のフィオナはもう先日のシグレとの戦いの傷もすっかりと完治している。そのためか先ほどの言葉も説得力が違う。
「出てきましたわね」
ふとフィオナの視線が闘技場の一角に飛ぶ。その先ではユフィが小さく拳の握りしめながら闘技場中心部へと歩を進めていた。
「そしてあちらが……」
そんな時だった。フィオナが思わず口元を抑えた。
「な、なんですのっ……!?」
「大丈夫かっ!?」
先日の怪我の痛みがぶり返したのだろうか。それとも彼女が飲まされまくった謎の薬の副作用か。俺は苦しそうに小さく呼吸を繰り返すフィオナの背中をさするために手を伸ばす。
「体調が悪いのか……?」
そんな問いかけにフィオナは必死に何かを言いたげな表情をこちらに向ける。俺は近くの飲み物を彼女へと差し出すと一口それを口に入れたフィオナは静かに息を整える。
「た、体調は何ともないですわ」
「じゃあどうしたって」
俺の言葉の続きを遮るようにフィオナは闘技場の一点を指さした。
「アヤトさんは分かりませんの?」
その指につられるように視線を向けると、そこでは聖剣使いが一本の剣を異空間から取り出していた。まるで闇のように染まったその黒い刀身に思わず俺の背中にも寒気が走る。
「あ、あんな神性見たことがありませんわっ……」
フィオナが小さく震えているのが分かった。俺には彼女が何を恐れているのか分からない。だが怯えるフィオナをどうにかしてやりたくてその震える手を握りしめる。
「……なぁフィオナ、あれは一体何なんだ」
聖剣使いが握るそれが狂った力であるということは分かる。だがその力の本質までは俺には理解できない。あの黒い神性、その正体は一体……。
―――
「また随分とヤバげなものを持ってるじゃない?」
そう問いかける少女に向かってフローレンス・ロイガスティアは小さく口元を歪めた。
「君にはこれぐらいしないと失礼だと思ってね、時空の申し子様」
その呼び名にユフィはあからさまに嫌そうな顔を浮かべる。
「はっ、そんなもので私の首に届くとでも?」
しかし尊大な態度は自分の心中を悟られないための目一杯の演技。宝物庫からそれが姿を見せた時から震えと吐き気が止まらない。
聖剣使いの手に握られた真っ黒な刀身が、まるでこちらの魂までをも引き裂かんばかりの神性を放っている。
「そんなものだなんて失礼な。これは黎冥剣オルフェウス。冥府神オルフィ様の力を宿しこの剣、それが君の時と空間を司る力を奪うための僕の力さ」
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