第68話 君が信じるその訳は
「負けてしまいましたわぁあああああ!!!!」
フィオナの悲痛な叫び声が宿の一室に響き渡ったのは激闘から一夜明けた朝っぱらの事だった。
「体の調子は大丈夫なのか?」
昨日の戦闘でシグレに脇腹をこれまた綺麗にざっくりといかれてしまったフィオナは即座に医務室へと運び込まれた。
そこで行われたのは治癒の神ルーデリアによるこれまた不思議な荒治療。傷口から零れそうになってしまっているフィオナの中身を強引に腹部に戻し、そして治癒魔法による傷口の縫合。更には体内の神性を整えるという曰くがある苦い薬のがぶ飲み。
これによって満身創痍になったフィオナの体はあっという間に……というほどの時間では決してなかったのだが、とかく元に近い状態に戻ったのである。
神の力様々と言う訳だ。
「わたくし、自分の内臓というものを生まれて初めて見ましたわ」
「そりゃそうだろうな。というかそういうことをレディが言うもんじゃありません」
「あんなに綺麗なピンク色を」
「それ以上いけない」
どこか楽しそうに昨日のことを振り返るフィオナの口を半ば強引に抑え込むと俺は近くのソファに再び腰を下ろした。
現在この部屋には俺とフィオナの二人しかいない。ユフィはというとちょっと気を休めたいからと何処かへと出かけてしまった。
ユフィの試合は明日。相手はどこぞの国の召喚術使いだという。まぁ、フィオナとシグレの激戦を目の前で見せられて思うところがあるのは分かる。
だから俺は仲間の心配も俺に任せっきりでどこかに行ってしまう彼女へと何も言うことが出来なかった。
「ユフィさんはそれでいいんですの」
とは今日顔を合わせた時にユフィの予定を伝えた際のフィオナの言だ。
「ユフィさんはきっと何者にも囚われない、きっと自由な存在だから。わたくしなんかに構っている時間が勿体ないですわ」
と、どこか寂しそうにそう口にしたのが印象的だった。
「――さん、アヤトさん聞いてますのっ!?」
ふと名前を呼ばれそちらを向くとフィオナがその頬をぷっくりと膨らませながらこちらを見つめていた。
整った顔とそれを包み込むふわりと揺れる金色の髪。キツそうな印象のわりにどこか愛嬌のある美少女がこちらをむくれ顔で見つめているもんだからそのギャップに思わず俺も笑みが零れる。
「なぁにが可笑しいんですの!?わたくしの反省に何か不満でもっ!?」
「い、いや、悪い。マジで聞いてなかったっ」
「じゃあどうしてそんなに笑うんですの!?」
「いや、フィオナの顔が綺麗だなって思って」
「そう言えばなんでも許してもらえると思ってらっしゃいます?」
ぷいとそっぽを向いてしまったフィオナに向かって俺はどうしたものかと思案する。
「どうしたら許してもらえるんだ?」
「……か、可愛いって、フィオナは頑張ってたってそう口にしていただければ……許してあげないこともないですわよ?」
そう言ってフィオナはその頬を真っ赤に染めながらこちらへと懇願するような視線を向ける。
女の子にそこまで言わせといて恥ずかしいから嫌ですはさすがに男が廃る。昨日あれだけ頑張った彼女に報いてやることも、ただ客席から彼女の頑張りを見つめるだけだった俺が送ることが出来る最大限のご褒美だと言えよう。
「分かった」
その言葉に小さくフィオナが息を呑むのが分かった。
「フィオナは可愛いよ。昨日だって頑張ってた。最後まで勝負は分からなかった。ただちょっとだけシグレの方に運が向いていただけさ」
きっとシグレのあの斬撃だって、確証があったからああやって放たれたわけじゃないんだろう。ただあの一瞬だけシグレが信じた自らの力が、ちょっとだけフィオナの魔法を上回った。
ただそれだけだ。
「うぅ~~~っ、うわぁああああああ~~~~ん」
俺の言葉をゆっくりと咀嚼していたフィオナが突如大声を上げ俺の方へと飛び込んできた。その目からは堰を切ったかのように涙が溢れ、彼女の悔しさが滝のように流れ出ている。
「慰めてくださいましぃーーー!!」
ふわりと薫る彼女の匂いが鼻を突き、回した両手からはフィオナの温もりが伝わってくる。そういえば俺たちが出会った最初の夜にも、こうしてフィオナを抱きしめたような気がするな。
「そんなに暴れて大丈夫なのか?」
「さすがはルーデリア様ですわぁ~~、違和感はあれど痛みは全くうわぁああああああ」
「泣くか容体を言うかどっちかにしてくれ」
こうして大げさに声を上げて見せるのが場を和ます演技であるということは分かってはいるのだが、それでも泣きたい気持ちは紛れもない本物なのだろう。
だから俺の胸元がフィオナの涙でべちゃべちゃになっていようが、俺はただしばらくなすがままにされることしかできない。
「……落ち着いたか?」
それからどれぐらい経っただろうか。
腕の中のフィオナからすんすんと鼻をすする音だけが聞こえるようになった。
「し、失礼いたしましたわ」
そう言って俺から離れた彼女の目は泣き腫れて真っ赤になってしまっている。
「今日のことはフィオレンフィーナ・ヘルグレンジャー、しっかりと心の中に刻ませていただきますわ」
「失態として忘れるとかじゃないんだな」
「永久保存版です」
「何がだよっ」
きりりとキメ顔を浮かべるフィオナに俺はそう声を上げる。
「今日のことはユフィさんにしっかりと自慢してあげねば」
「なんでだよ」
「だから……」
そう言ってフィオナは大きく一つ息を吸った。
「ユフィさんが負けたら、アヤトさんがしっかりと慰めてあげてくださいね」
彼女の柔らかな目元がやけに印象的だった。
「……そうだなぁ」
既に決勝トーナメントの組み合わせは全て発表済みである。更には昨日のシグレとフィオナ戦に引き続きその後も一つ、そして今日も二つ、闘技場では激戦が行われている。
もしかしたらユフィも闘技場に足を運んでいるのかもしれない。
そしてそんな中で恐らくフィオナの懸念点が一つ。
「もし明日の試合以降、ユフィさんが勝ち上がったなら――」
「準決勝で当たるのは恐らく聖剣使いだな」
そう、きっと彼女の実力ならばそれまでの相手など直ぐに倒して見せるだろう。しかし勝ち上がれば勝ち上がるほどその背中が迫ってくる。
”聖剣使い”フローレンス・ロイガスティア。
本名についてはそう名乗ったのだとシグレから聞いている。その名前にユフィとフィオナは心当たりが無いらしいのだが、ただ純粋な力だけがモノを言うこの場においては名前など何も意味を持たないことは誰だって分かり切っている。
だが、その肩書が何よりも彼の純粋な力を現しているのだ。
「フィオナは勝てないと思ってるのか?」
「正直……厳しいかと」
ユフィとフィオナのコンビネーションがあっさりと彼の前に敗れたのは記憶に新しい。
「まぁ、それでも負けないよユフィは」
「……どうして」
ふと、ぽつり寂しそうにフィオナはそう口にした。
「どうしてそうもアヤトさんはユフィさんに信頼を置くのですか?」
そう言えば、俺はフィオナに大切なことをずっと伝え損ねている。
「あいつはさ、俺が旅をし始める前から一緒なんだ」
俺がこの世界の人間じゃないこと。そして俺が運命神トゥルフォナから貰った力の事。それを目の前の美少女は知らない。
もちろんここまで親しくしている人間に隠す理由もないのだが、今まで言う機会をさんざ見失ってきたというのが正直なところだ。
「なんというか、俺の命の恩人なんだよ」
だからと言って改めてこんな場で伝えるようなことでもないと思うが……いつかはちゃんとフィオナにも伝えなきゃいけないことなんだとは思う。
もし、万が一俺たちが追っている事件の黒幕にトゥルフォナ様が関わっているとするならば、俺たちは六柱神という絶対の存在を相手にすることになるのだから。
それに、ユフィの力のことだって――
「だからかな。きっと信じてるんだ。いや、信じてるというか願ってるに近いのかな。ヒーローをテレビの前で応援する少年みたいな……って言ってもフィオナには分かんないか」
「たまにアヤトさんはよく分からない例えをしますわね」
「俺の地域特有の言い回しみたいなものだと思ってくれ」
「じゃあ……」
そう言ってフィオナは立ち上がる。
「わたくしも信じますわ。アヤトさんが信じているユフィさんを」
「そうしてあげてくれ。きっとユフィも喜ぶと思う」
そう言うとフィオナは小さく目を細めた。
「まぁでも、今日のことはしっかり自慢してやりますけどね!」
「いや、二人は何を争ってるんだよ」
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