第67話 閃々空に踊り

 10メートルほど向こうの彼女を見ながらシグレは小さく口元を緩めた。


「全く……護衛の時から只物ではないと思っておりましたが」


 フィオナとは顔見知りではあるが大して言葉を交わした訳ではない。昨日イツキに息抜きに誘われた際に少しだけ言葉を交わした程度だ。


 戦闘を見たのは護衛の時と二日前に聖剣使いと相対した時。その時はどちらもはっきりとその力を目に捉えることは叶わなかったが今こうして対峙してみるとその凄まじさというものを改めて思い知らされる。


「神の力を宿し少女、でありますか」


 神性とは神から与えられた力。魔法使いはその神性を錬成し直すことでそれを魔法として行使している。つまり本来この世界に存在する魔法とは魔法使いというフィルターを通して一度再編成されたものである。


 その過程で一定の制約と神性そのものの純度の低下が見受けられるのが本来の魔法だ。


「……違いますな」


 そう、シグレが今切り捨てた魔法は神の性そのもの。つまり目の前の彼女は――


「あなたは……神、そのものであられたのですな」


 シグレの16年の人生の中でも神そのものの力を切ったのは今回が初めてのことだった。だからこそ自分は自らの父に心の中で小さく感謝した。


「切れてよかったであります」


 神性を切ると言われる聖剣『時雨正宗』。それが神の神性までをも切ることが出来ることに初めて気づかされたからだ。


「まだまだ余裕がありそうですわね」


 一つ大きく息を吐くとフィオナは目の前の少女へと言葉を投げかける。


「そんなことはありませぬ。素晴らしい力でありましたゆえ。精一杯であります」


 そんな言葉とは裏腹にどこかシグレの表情はこの場を楽しんでいるようにも見て取れた。


「神性を切る刀、ですか……」


 自らの魔法が目の前で叩ききられたことにフィオナは僅かに焦りを覚えていた。


 もし、先ほどの攻撃のように出力を高めた正面からの攻撃が全て切られる前提で動くとするならば、手数で勝負を仕掛けて一瞬の隙に最大限の火力を撃ち込むしかない。


「果たしてできるでしょうか……」


 自らが海運の女神ウェンズデイの力を宿しているといっても、その処理を全てになっているのはフィオレンフィーナ・ヘルグレンジャーという一人の人間であることには違いなかった。


「きっとこの力はまだ発展途上。でも、今はあるもので勝負をしていくしかないのですね……」


 これもまた旅。自らが自らの力に納得するまでの長い道のりの一つ。そう思うと自然とフィオナの肩も軽くなる。


「私はどこまで行っても私であり続けなければならないのですわ」


 気付けばフィオナも先のシグレと同じ表情を浮かべていた。


「自問自答は済んだようでありますな」

「あら、迷っていたように見えたかしら?」

「神も迷うのだと感心しておりました」


 フィオナの返しにシグレは笑い交じりの答えを返す。


「じゃあ、吹っ切れたかどうか試してみましょう」

「それはこの場において最も素敵な提案でありますな」


 重なる視線が互いの意思を伝え合う。今この場においてどちらが上なのか。異なる道のりを旅する二人のそれは純粋な想いのぶつかり合い。


「行きますわよっ!」


 フィオナのコンパウンドボウへと幾多もの弓が生成される。


「攻波魔法!『旗風の恵雨ウィンディング・レインアロウ』!」


 放たれた矢はシグレの上方へと向かうと、そのまま急激に向きを変えシグレへと降り注ぐ。


 向きを変えた矢を見て小さく息を吐くとそれを切り払わんと腰の刀へと手を伸ばした。


「はぁああ!!!」


 自分へと向かうそれを全て叩き落すことは既に彼女の前提にはなかった。やるべきは致命傷となりうる矢のみを選別して叩き落すこと。


 そしてその先に活路を生み出すことだった。


 防御することを拒否した矢が体の各部を傷つけていく。特に振り回した右手の甲には大きな血が流れていた。白い羽織にはシグレの血でいくつもの赤い文様が描かれていた。


 全ての雨が止んだ後、そこに必ずフィオナの隙が生まれると信じてそれでもシグレはその刃を振り続ける。


「それではこれはいかがでしてっ!」


 フィオナが大きく前後に足を開くのが見えた。その構えには覚えがある。護衛の時にフィオナが見せた大火力魔法だ。つまり、シグレにとってはそれは絶好の攻撃機会。


「『紫電――』」


 深く踏み込むシグレを見てフィオナは一気に上方へと舞い上がる。


 あの攻撃がいかに早くとも直線的な動きしかできないことをフィオナは見抜いている。だからこその上。中空ではいかにシグレとてその踏み込みを利用した防御態勢は取れないと踏んだのだ。


 誘われた――。小さく口元を緩めるフィオナを見て、シグレは本能的にそう悟った。しかし既にその動きを止めることは逆にこちらが大きな隙を晒すことになる。


 だからといって踏み込んだその足を止める訳には行かない。今ここに前進以外の道はない。


「『一灯』!!!!」


 シグレはこれでもかと下げた視線の端でフィオナが上方へと浮かぶのを捉えた。踏み込みのモーションを必要とするその技では急な進行方向の変更は技の精度の低下に直結する。


 だからこそシグレはすぐさま狙うべき相手の位置に補正をかける。


 上方へと浮かぶフィオナのちょうど足が止まった位置。そこに向けて斜め上へと跳ね上がるように地面を蹴り上げた。


「貰ったぁ!」


 急な上方にすぐさま対応したシグレがフィオナの元へと飛来する。しかしそれもフィオナの中では予想の範疇であった。


 飛ぶというのは生半可な神性では実現が不可能。いや、正確には可能ではあるのだがかなり高度な魔法の精度を要求されるのだ。


 それを目の前の少女は地面を蹴り上げる一瞬に力を凝縮し実現させている。それほどの実力がある相手だということはフィオナの中ではすでに織り込み済みの事。当然ここまで来てくれることもフィオナは信じていた。


「甘いですわっ!」


 上方へと昇るフィオナの足元には小さな術式が展開されている。それは海運の女神ウェンズデイの力の一つ、海面を駆ける様に進む事の出来る力にフィオナ自身が独自のアレンジを加えた魔法だ。


 これによりフィオナは自らが望んだ地点へと足場を構築することが出来る。それは例え地面と垂直な場所であってもである。


 フィオナは駆け上がった中空に壁を作るように足場を作ると、そのままその壁を思い切り蹴り込むようにして垂直に飛んだ。横への移動を加えればシグレが目指す場所と自らの現在地をずらすことが出来る。そういう魂胆だった。


「なっ!?」


 シグレの攻撃は一度足場が地面を離れてしまえば急な方向転換に不向きな力だ。だからこそ咄嗟に位置を変えたフィオナに戸惑う。


「捉えましてよっ!」


 そんなシグレに向けてフィオナのコンパウンドボウは既にいつでも矢を放てる状態へと移行していた。


「これでっ!」


 接射の距離。目の前の的を外す道理などあり得ない。フィオナは確たる手ごたえを感じながらその手の矢をシグレへと向けて放った。


「『羅刹……鳴神っ』!!!!」


 しかしそんな危機的状況において咄嗟に取ったシグレの行動は、回避ではなく防御だった。


 足場が無ければシグレの技は威力が半減する。フィオナはその前提で一連の行動に身を委ねたのだ。


 だがその前提が崩れ去る。


 中空で足場もなく、それでもフィオナの攻撃を切り裂く手段。彼女は中空で勢いよく体を盾に回転させて見せたのだ。


「そんなっ!?」


 体の回転によって生み出された力により羅刹鳴神の威力はフィオナの魔法を叩き切るに十分の威力を得た。


 フィオナが放った弓が中空で両断される。二つに割れついぞシグレを捉えることが出来なかった魔法が地上に着弾し土煙を上げる。


「まだまだ終わりませんわよっ!」


 咄嗟に地上へと着地したフィオナは再びシグレの方へと弓を向ける。


「いいえ、これで終わりであります」


 しかしその視線の先では、既にシグレは攻撃態勢を整え終わっていたのだった。


「『紫電……一灯』っ!」


 その踏み込みは音より速く光に手を伸ばさんばかりの速度。シグレが引き抜いた一閃はフィオナの脇腹を的確に捉えた。


「がっ……はっ……っ!?」


 フィオナの脇腹から鮮血が飛び散る。と同時にその体が地面へと崩れ去った。


「……強敵でありました」


 ぽつり呟き振り返ったそこには地面に散った真っ赤なドレスがまるで一輪の花を咲かせている様だった。


「決着っ!勝者、シグレ!」


 武神の声が闘技場に響き渡る。幾多もの歓声をその背に浴びながらシグレは控室へと続く通路へと足を向ける。


「……はっ、ふぅ……。はぁ……負けちゃいましたわ。アヤトさんにどう顔向けいたしましょう」


 大歓声の最中に混じる駆け寄ってくる救護班員の足音を聞きながらフィオナは空を仰いだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る