第66話 挑むは試練、背負うは想い
フィオレンフィーナ・ヘルグレンジャーは闘技場中心部へと続く通路脇で一つ小さくため息を吐いた。
「全く。運命とは随分と皮肉なものですわね」
背中に背負ったコンパウンドボウの先端を一撫でする。金属製のそれが僅かに火照った体に心地よい冷たさを伝えてきていた。
「緊張しているのでしょうか……・このわたくしともあろうものが」
自らの実力に不安があると言う訳ではない。なにより自分は海運の女神の力を身に宿しているのだ。そんじょそこらの魔法使いなど相手にもならないということは自覚していた。
それでも、今回の相手は別格だ。
「はぁ……やっぱり左のクジにしておけば良かったかしら」
武神ヴァンダル=ヴァイン主催の闘技大会も開催から三日目を迎えた。初日の予選、そして昨日の休息日を挟んでいよいよ本戦の三日目となる。
予選で多くの参加者をふるい落としてきた16人がこの決勝トーナメントの舞台に上がることが出来る。それは自らの力の証明と共に、これから来る幾人もの強者との対峙を意味していた。
先刻行われた抽選会の様子を思い出しながらフィオナは再び小さくため息をつく。くじ引きによって決められた今回の抽選。フィオナはさんざ迷った挙句右のくじを掴み取ったことを悔いていた。
じわりと浮き上がる手汗を、勝負衣装である真っ赤なドレスの裾で拭いとるとその裾にはフィオナの緊張の跡がくっきりと浮かび上がっている。
「まさか一回戦目から顔見知りと当たってしまうなんて……」
同時刻。
向かい側の通路にいる一人の少女も同じく険しい表情を浮かべていた。
「まさか一回戦目から知り合いと相対してしまうことなるとは……」
腰に身に着けた相棒の柄にそっと手を伸ばしながらシグレは通路の天井をぼんやりと見つめた。
「負ける訳にはいきませぬ……昨日のことは今回の試合とは別なのです。だから……」
思い出すのはこれまでの旅の事。目的のために故郷を離れ、一人でここまで進んできた。いつもシグレの心の中にあるのは忘れがたきあの日の背中。
どうして自分を置いて姿を消してしまったのか。自分の元へと戻ってきて欲しいなどと我が儘は言わない。だがその理由だけはどうしても尋ねたかった。
一体どこに行ってしまったのだろう。それをどうしても尋ねたくて武神の力に縋ってここまで来たのだ。だからシグレは決して負けるわけには行かない。
「――お父様っ」
久しぶりに読んだ彼の名は闘技場通路の乾いた石造りの空間に吸い込まれてしまう。
「……ふぅ」
僅かに高ぶった感情を抑えつけるように大きく深呼吸をして見せると衣服の襟を簡単に整えて見せる。
「時間です」
その時だった。ちょうど開始時刻を告げるように大会運営の職員がシグレの元へと声をかけにやってきた。
「……参ります」
―――
「俺は一体どちらを応援すればいいんだろうな」
試合開始の合図を今か今かと待ち構えている大観衆の一角で、アヤトは隣のユフィに吐き出すようにそう投げかけた。
「そりゃフィオナでしょ」
「まぁ、普通に考えたらそうなんだろうけどさぁ」
自分たちの目的はこの闘技大会で武神に願いを聞いて貰うこと。その願いとは、ウェンズディポートの事件に関わっているだろう恐らく黒幕に繋がる情報を得ること。それこそがこの途方もない旅の目的になるのだと信じているからだ。
だからこそフィオナが勝ちあがるのはアヤト陣営としてはこの上ないありがたいことである。
「それに、フィオナとは一回ちゃんと戦ってみたいのよ。負けてもらっては困るわ」
そう言ってユフィは真剣なまなざしを空っぽの闘技場中心部へと向けた。
「こんな時に俺の運命神の力が使えたらな」
運命を司る神トゥルフォナ。アヤトに力を与えこの世界に呼び出した要因である。このアトランディアという世界において運命を操り世界を作ったと言われる神の一人であり、俗に六柱神と呼ばれる神の一柱でもあった。
その運命を操ると言われる力があれば今回の大会の組み合わせも何とかなったりするのだろうか。なんてことをアヤトはぼんやりと考えてしまう。
「あんたのくだらない力なんてあってないようなものでしょう?」
しかしそんな力などアヤト自身が与えられている訳もなく、思わず出てきてしまった戯言はユフィにあえなく一蹴されてしまう。
「ほら、始まるわよ」
対角に配置された入場口から二人の美少女が姿を現す。と同時に客席からは大歓声が上がり闘技場内のボルテージは一気に跳ね上がった。
「フィオナ緊張してるわね」
「相手が相手だからな」
その表情が強ばっているのが観客席のアヤトとユフィにも見て取れた。それとは逆にもう一方の入場口から姿を見せたサムライ少女はその黒髪がうまい具合に顔にかかり今の席からその顔色は伺えそうにない。
両者中央まで歩み寄ると互いに握手を交わす。
そして指定の位置まで下がると同時にヴァンダル=ヴァインが試合開始のアナウンスを始めた。
「激戦の予選を勝ち上がりし16名の強者たちよ!ここに立てる喜びを味わうとともに、自らの力を存分に発揮して見せよ!今ここに立ちしつわもの達の矜持を、この武神とそしてこの大観衆がしかと見届けて見せる!」
武神の手が上空を向く。
「アリサカ・シグレ!フィオレンフィーナ・ヘルグレンジャー!この決勝トーナメントの第一試合に相応しい素晴らしい戦いを期待しておるぞ!それでは――開始!」
武神の手から眩い閃光が上がる、と同時に上空でけたたましい爆発音が鳴り響いた。それが試合開始の合図だった。
「――速いっ!」
先手を取ったのはシグレだった。隙を見せない一瞬の踏み込みで一気にフィオナまでの距離を詰める。
予測はしていたもののそれを上回る速度の先制にフィオナの口から思わず驚きの声が漏れる。
「が、それが分かっていたら苦戦するほどではありませんわっ!」
咄嗟にコンパウンドボウの向きをシグレの方から地面へと向けると拡散する矢をそこに向けて放つ。
上がるのは土煙。それはフィオナへと直線的に向かい続けるシグレの視界を防ぎ、思わずシグレもその加速を止めざるを得ない。
「ここに突っ込むのは無謀ですな」
聖剣使いの時とは違う。あの時はただがむしゃらに突っ込む選択肢しか取れなかったが今回はその限りではない。恐らく実力は互角。ならば敵の術中に強引に飛び込むのは愚策である。
シグレの剣は神性を切ることは出来ても単純な物理現象の前ではただの刀に過ぎない。
彼女が無謀ではないことをフィオナもよく理解していた。
「状況の読めている彼女の事ですわっ、必ず一度戦況を整理しようとするはず」
シグレの足が土煙の手前で止まる。が、それは目の前の煙幕に怯んだ訳では決してない。神性は切れずとも、その刃は決して彼女の足を止める障害を切り払えない訳ではないのだ。
「『紫電一灯』っ!」
ぐいと踏み込んだ右足にありったけの神性を集める。それは莫大な神性を宿すその聖剣を振り抜くための堅固なる土台を築くため。
「振り払えっ!」
横薙ぎに振り払われた聖剣により強風が巻き起こる。その風はシグレの視界を遮る土埃を薙ぎ払いその先にある真っ赤なドレスをシグレの前へと露わにする。
「へぇ……そんなことが出来ますのね」
だが、既にその先のフィオナは手元のコンパウンドボウに既に強大な矢をつがい終えていた。
「では、こういうのはいかがでしてっ!」
それは海運の女神が送る、波濤の波を超える船乗りたちへの希望の灯。暗闇を照らし、船旅の果てに迷うことなきようにと願うウェンズデイの愛。
しかしこの場においては、一人の少女の道に立ちはだかる強大な女神の試練となる。
「攻波魔法、超動!その光は希望を照らす灯となれっ!『
放たれる莫大な質量をもった光の矢。それは一人の少女を貫かんと直進し――
「参る……っ。『羅刹鳴神』っ!!!!!!」
しかして少女は、その女神のもたらす試練へと確固たる意志で立ち向かう。その手には聖剣。その心には覚悟を持ち合わせて。
振り下ろされた斬撃は、女神の試練を真っ二つに叩き切った。
「……くっ、そう簡単には行きませんわねっ!」
小さく唇をかむフィオナをよそにシグレは静かにその手のシグレマサムネを鞘へと納めると、次の攻撃への姿勢をとった。
「海運の女神とあのいけ好かない男は申しておりましたな」
シグレが思い出すのはフィオナが現れた時に聖剣使い、フローレンス・ロイガスティアが彼女へ投げかけた肩書だった。
「先の攻撃。確かにそれが事実であると思い知らされましたな。だが――」
深く口元を歪めて見せるシグレに感化され、フィオナもその手のコンパウンドボウをもう一度固く握りしめる。
「切れぬ相手では、ありませぬっ!」
「こんなもの、まだ序の口でしかありませんでしてよっ!」
闘技大会一回戦。
そしてシグレとフィオナ、二人の美少女の戦いは中盤戦へと突入していく。
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