第64話 戦いの後。神に抗いし力の名は

「はい、これで大丈夫よ」


 そう言って治癒の神であるルーデリアさんはその優し気な顔をにこりとこちらに向けた。


「ありがとうございました」

「いいえー。これも私のお仕事だから」


 ふくよかな体を揺らしながら彼女は治療に使った医療器具を棚の中へとしまい込む。そして俺たちを安心させるかのように再び口を開く。


「しばらくゆっくり眠ったらこの子も目を覚ますと思うわ」


 今、俺たちはルーデルヴァイン闘技場の一角にある医務室に居る。事の発端は三十分ほど前に遡る。武神により闘技大会予選の終了が告げられると、聖剣使いの攻撃を紙一重で防いで見せたシグレが気を失うように地面へと倒れ込んだのだ。


 そんな彼女を一目散に医務室へと運んだのが今ルーデリアさんに謝辞を述べた我が旅の頼れる相棒ユフィである。


「アヤトとフィオナもありがとうね」


 そう言ってユフィは少し疲れた顔をこちらに向ける。


「いや、俺も知ってる顔だったしな」

「わたくしは友人の身を守っていただいた立場ですので」


 そう口にする俺たちに向けても、ユフィは小さくありがと、と口を動かす。


 どうして彼女がそこまでシグレに入れ込むのか。きっとそれはあの最後の瞬間に身を挺して自らを守ったシグレの背中が目に焼き付いて離れないからなのだろう。


 あの魔法がどういう魔法だったのかは分からないが、聖剣使いの放った魔法の中でも最上位の力であったことは客席から戦況を見守っていた俺の目にも明らかだ。


 それをシグレは剣戟だけで切り伏せて見せた。


 彼女に寄り添うように医務室のベッドに立てかけられている一振りの刀。それが聖剣使いの興味を引いたように客席の俺には見えた。


 聖剣使いが目を付けた力。それがきっとあの魔法を切り伏せた要因。


「それじゃ、私たち一度着替えてくるわね」

「さすがにこの格好じゃいつまでも外にいられませんので」


 ふと美少女二人がそう俺に告げてくる。確かに、予選の最中で幾多もの攻撃に晒され続けてきた彼女達の衣服はところどころが派手に破けてしまい、彼女達の魅力的な体躯がちらちらと顔を覗かせている。


「分かった。俺はまだここにいるから」

「……うん」

「直ぐに戻りますわ」


 そう言って医務室を後にする二人の背中を見送りながら俺は一つ大きなため息を吐いた。


「……ぅぁ……っ!?」


 うめき声に驚き咄嗟にシグレの方を見る。が、まだ彼女は意識を取り戻さないようだ。今のはルーデリアさんが使用した術式の影響で痛みが走ったがゆえだろう。


 急速に心身の損傷を修復させるその術式は被術者に大きな苦痛を伴わせるのだという。


 そんな痛みと彼女は無意識化で今も戦っているのだ。ならば無力な俺が出来る最大限の努力は彼女の傍に居てやることぐらい。


「旅の果て……か……」


 どうして俺がここまで彼女に入れ込むのか。それは数日前の商隊護衛の依頼中に彼女と夜の川で交わした会話が原因だ。


 その会話の最中、シグレは俺にとあることを尋ねてきた。曰く、旅の果てには一体何があるのだろう、と。


 シグレが一人で旅をしてきたことをそこで俺は聞かされている。こんな小さな体でどうしてそんな過酷なことをしているのか。


 確かにシグレは強い。それは護衛時の戦闘の時に身をもって知ることが出来た。そしてそれが俺の勘違いなんかではないということも先の聖剣使いの大激闘で確信した。


 その強さはそこいらの獣や魔法使いなんかでは太刀打ちできないほどの強さ。だがそれは同時にアリサカ・シグレという少女の不安定な土台の上に乗っかっている強さであることも違いない。


「彼女が旅をする理由の先に、もし彼女の強さの真実が見つかるのであれば……」


 俺はシグレのことを何も知らない。ただ一晩言葉を交わした間柄だ。ちょっとだけ心の距離を縮めることが出来たと思っていたけれど、それは俺たちの胸中に眠る真実が互いに明らかになったという訳では無い。


「俺はさ……」


 誰に聞かせる訳でもなく、俺はぽつりとベッドの上で眠るシグレに向けて口を開いた。


「俺は、多分旅に果てなんてないと思うんだよ」


 あの時はそう問われたから、咄嗟に旅の果てには待っているものがあるのだと答えた。だがそれはきっと違くて、俺たちはどこまで行っても生きている限り旅の途中。死ぬまで、もしかしたら死んだ後も、多分ここが果てなんだとは気づけないままなんだと思う。


「あぁ……」


 だからこそ思う。人生が旅なのであれば、俺に必要なのは未踏の場所を踏み続ける為の覚悟と力。


「強くなりたいよな……」


 今日の戦いを見て改めてそう思う。俺はきっとお話の主人公のような誰かの矢面に立てるような男じゃない。だけど、それでも俺という物語の主人公は、きっと俺自身にしか演じることが出来ないのだ。


 俺という読者が読み解く、俺という物語。その物語が豊かなものになるために新たな世界へと向かうための力が欲しい。


「強く…………全く、その通りでありますな」


 ふと、僅かに掠れ交じりの声を零しながらシグレが俺に同意の言葉を述べた。


「起きたのか!?」

「……男性の声が聞こえてきたのでどなたでなのだろうと目を覚ましてみれば、いやはやアヤト殿でありましたか……っ」

「おい、まだ目を覚ましたばかりなんだからゆっくりしてろって!」


 無理に体を起こそうとしている彼女の背中を支えると、俺はそっとそれを再びベッドの上へと誘導する。その時に手のひら越しに伝わる彼女の感触が、改めてアリサカ・シグレという少女のか細さを俺へと伝えてきた。


「申し訳ありません……情けない姿を晒してしまい」

「気にするな、今はここには俺しかいなんだし」


 そう言うとシグレは照れくさそうにシーツで顔を覆った。その上から眼だけを覗かせるようにしてこちらを見ると、再び口を開く。


「予選は一体どうなったのでしょう……?」

「シグレは予選を通過したよ。意識を失う直前にあの場に立っていたのが予選通過既定の16人だったそうだ。俺の連れのユフィとフィオナも決勝トーナメントに進めるみたいだ」


 その言葉に一つほっとしたような顔を浮かべるが、直後にその顔が険しいものに再び変わる。恐らくその脳裏にはあの時の聖剣使いの攻撃がフィルム映画のように鮮明に流れていることだろう。


「明日は出場者への休息日と決勝トーナメントの組み合わせが行われるらしいぞ」

「ということは本戦は明後日と言う訳ですか」

「だな」


 ふと、シグレが何やら言いたげな顔で俺を見つめてきた。


「どうしたんだ?」

「あ、いや……」


 どうしたものかと言い澱む彼女に向けて俺は小さくなんでも聞いてくれよと投げかける。


「で、では僭越ながら……」


 しばらく悩んでいたもののようやく腰を据えるつもりになったのかシグレはそう言葉を切り出す。


「聖剣使いはどうもわたしのこの刀が目的のようでありました」


 そう言って彼女はベッドの脇に立てかけてあった刀の柄をそっと一撫でして見せた。


「聖剣使いが……?」

「彼の力は聖剣をその手に召喚する力。でも一つ条件があるようで、召喚できる聖剣は彼の掌握圏にあることが条件のようでありました」


 客席からもシグレと聖剣使いが何やら言葉を交わしているのは見て取れていた。今シグレが口にしているのが真実なのであれば、その時交わした会話の内容こそまさにそのことなのだろう。


「ということはその刀は……」

「神断刀『時雨正宗』トキサメマサムネ。それこそが我が信仰神、鍛冶の神カナヤヒコ様から賜りし剣であります」


 聖剣使いの話を聞くときにちらとユフィからその性質を耳にしたことがある。聖剣とはすなわち神の力を宿し武器。


 つまりシグレのその刀に込められし力というのはそのカナヤヒコという神様の力なのだろう。


「それにしてもなぜそのような剣を神様はシグレに……?」


 信仰神というからには神と契約を結んで神性の分割を願うこともできたはずだ。武器を握らなければならないそれとは違い魔法は自分の身に神から賜った神性がある限りそれを行使することが可能なはず。


 それをどうしてわざわざ刀という形でシグレは身に着けるのだろう。


「それは……いや、申し訳ありません。この話はここまでということにしていただけないでしょうか」


 そういって苦笑いを浮かべるシグレの顔はどうにも痛々しく見えてしまう。それは先の戦闘の後遺症などではなく、まるでずっと昔から付き合ってきた古傷が痛んだ時のような――


「そっか、分かった」


 そんなシグレの表情にそれ以上俺は何も尋ねることが出来なかった。


「目覚めたらルーデリアさんが声をかけて欲しいそうだ。俺がちょっと行ってくるからそしたら――」


 だから俺にできることはいつも通り、女の子が自らの運命と向き合えるように手助けをしてあげることぐらい。


「そしたら、一緒に晩飯でも食べに行こうぜ」


 こうして、寄り添える日常を提供してあげることぐらいなんだろう。

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