第59話 高みを見据えし者共よ

 神やそれに近しい者たちにこれまで何度も出会ってきた俺だったが、それと同等の異質な雰囲気をたかが人間が発することが出来るのだということを俺はその時初めて知った。


 『神性』


 神様の力をその身に宿した魔法使いたちは、その存在をこの世界の生物としての頂点に近しいところまで引き上げることが出来る。

 頭では何とな理解できていたことだが、それをまさかこんな大観衆の中で見守ることになるとは思いもしなかった。


 彼が一つ歩みを進めるたびにその足元から零れ出た神性が小さく土煙を上げさせる。そんな錯覚さえ見せてしまうほど彼は、”聖剣使い”はその場で明らかに異質な存在だったのだ。


 事の始まりは数時間前の事。俺たちは眠気眼を擦りながら宿で朝の支度に勤しんでいた。


「ほら、ユフィそろそろそのシーツを放してくれ」

「んにゅぅ……まだねりゅ……」


 今回俺たちはエーデルワインの中心地から少し離れた安宿街に宿を構えた。人の出入りが激しいこの街は当然ながら高級ホテルのようなお高い宿から俺達みたいな旅人に向けたリーズナブルな宿まで多種多様な宿が点在している。


 その中でもこの辺は比較的お財布にも優しい値段で部屋を取ることができ、俺たちが泊っている建物にも様々な衣服や容姿の旅行者らしき人々が建物を出入りしているのが見て取れた。


 そんな安宿の一角で俺は今ベッドでがっしりとシーツを胸に抱えたままのユフィと格闘している。


「申し訳ありませんわ……」


 そう言って視線を下げるフィオナに向けて気にしていないことを伝えるとそのまま俺はユフィが頑なに離さない真っ白なシーツの裾を目いっぱい引っ張り上げた。


「ちょっとなにするのよぉ!」

「そろそろ時間だっつってるだろ!」

「知らないわよそんなことっ!」

「知っとけよっ!参加者だろっ!」


 ルーデルヴァイン闘技場で行われる武神ヴァンダル=ヴァインによる闘技大会。


 大陸中から強者たちが集まるその祭事に参加すべく俺たちはこの街に滞在している。それだというのに目の前の我が儘お嬢様はそんなこともすっかり忘れて惰眠を貪っていたようだ。


 三十分ほど前に申し訳なさそうに俺が泊っている隣の部屋の扉を叩いてきたフィオナの気苦労が知れるというものだ。


「そういえば、ユフィさんは昨日散々お酒を煽っていましたものね……」

「そういやそうだったな……」


 祭り前の景気づけだ、なんて意気込んだのが半日とちょっと前。参加者であるユフィとフィオナを盛り上げようと俺たちはこの街でも人気のある酒場へと足を運んだ。


 これまであまり特筆してこなかったがこの大陸には未成年の飲酒を咎める法律なんてものは存在しない。アルコール中毒でぶっ倒れようが酔っぱらって他人に絡もうが全て自己責任という名の投げっぱなしで済まされてしまうのだ。


 だからこそと言う訳ではないが、昨日ユフィは馬鹿みたいに酒場で果実酒を胃の中に流し込んでいた。それが今のこの有様の原因と言う訳だ。


「着替えないと下乳が丸見えだぞ」

「何を今更ぁ……」


 シーツを取り払ったにもかかわらず再度枕に顔をうずめようとする少女の腕を俺は引っ張り上げる。別にユフィのギリギリアウトな姿を眺めていたくなかった訳ではないが、むしろずっと眺めていてもよかったのだがそれとこれとは話が別だ。


 武神ヴァンダル=ヴァイン様は聞いたところによると、闘技大会の優勝者の願いを何でも聞いてくださるそうだ。


 俺たちには聞いておきたいことが山ほどある。それがたった一つしか受け入れられなかったとしても、その一つが確実にこの旅の進展に繋がるはずなのだ。


「起きなきゃ揉むぞ」

「それは……まだダメっ」


 俺の脅迫に観念したのかついにユフィはその身をベッドから引きあげると、おずおずと着替えを置いてあるカバンの方へと足を向けた。


「それじゃあフィオナ、後よろしく」

「え、ええ……三十分後でよろしくて?」

「女の子の準備ってそれぐらいか?まぁ、出来たら呼んでくれ」


 女の子が着替えている部屋にいつまでも居座る訳には行かないため、俺はフィオナに小さく手を振りその場を後にした。


「……まだダメって、将来的にならいいのかよっ!」


 ユフィが呟いたそんな言葉を己の頭の中で反芻しながら俺も自分の部屋へと荷物を取りに戻る。ブロードソードをどうしようか悩んだが俺は今回闘技大会には参加しない。


「お前はお留守番だな」


 こいつはプリズムウェルを出立するときから俺の旅についてきてくれている相棒である。決して名のある刀工の作品だとかそれなりの謂れがあるとかそういう代物ではないのだが、こうも長く腰にぶら下げていると愛着の一つぐらいは湧くというものだ。


 そんな剣をベッドの脇に立てかけると、俺は宿の一階にある待合スペースで彼女達を待つのだった。



―――



「それじゃ、そこで見守っててよね!」

「では、行ってまいります」


 闘技大会初日は、開会式が行われた後直ぐに一回戦の予選が行われるらしい。ここで毎年多くの参加者が振り落とされるのだそうだ。


「ああ、気をつけてな」


 ここで別れてしまえば今日はもう二人に俺は声をかけることが出来ない。参加者通路の方へと歩いていく二人の背中を見守りながら俺は少しもの悲しさを感じていた。


「これが普通の転生ものなら、俺はきっとあの通路を歩いているんだろうなぁ」


 見れば俺と同い年ぐらいの少年たちも続々と参加者通路へと足を向けている。その他にも屈強そうな男性から何やら訳ありげな細身の女性まで。


 多種多様な人物たちがその通路の奥へと姿を消していくが、一つ言えることがあるとすればその誰もが俺の何倍も強そうに見える、というか恐らく俺の何倍も強いのだろう。


「まぁ、素直に見守るとするか」


 そんな時だった。見覚えのある衣服が視線の端を通り抜けた。


「……シグレ?」


 一瞬だったからしっかりとは見えなかったが、あの印象的な白の衣服と夜を纏わせたかのような真っ黒な髪は忘れることのないあの少女に違いなかった。

 だが俺がそちらをしっかりと見ようとしたときにはその姿はなく、彼女に声をかけることは出来ない。


 彼女が一人で旅をしている理由。もしかしてシグレも、ヴァンダル=ヴァイン様のお願いとやらを頼ってきたんだろうか。


「っと、こんなところでボーっとしている場合じゃないな」


 闘技場内は中央の楕円形のステージを360度を客席が囲んでいる。何段も階段状になっている客席には、既に多くの人が腰を下ろしておりその開催を今か今かと待ち構えていた。


「なるほど、こりゃすげぇや……」


 俺は手近な席へと腰を下ろすともう一度闘技場内を見回す。ルーデルヴァイン闘技場。武神ヴァンダル=ヴァインによって作られたそこは曰く、人間の高みを示すための場所だという。

 その様はまるでギリシャのコロッセオを彷彿とさせるようで、当時のローマの人々も俺と同じ気持ちだったのだろうかと少し感慨深ささえ覚えてしまう。


「諸君っ!」


 そんな時だった。闘技場内を包み込んでいたざわめきを抑えつけるかのように低い荘厳な声が響き渡った。


「年に一度、このルーデルヴァイン闘技場で開かれる神事によく足を運んでくれた」


 マイクのようなものは存在しない。しかしその声はこの大規模な闘技場内にそれはよく響いてきた。恐らく魔法で声を増幅させているのだろう。

 しかしそれ以上にその声は何とも言葉にし難い威厳を宿している。


「改めて名乗ろう。我が名は武神ヴァンダル=ヴァイン。このアトランディアにおいて武を司る神であり、そして何よりも人の高みを愛する神であるっ!」


 何者かが闘技場中央の舞台へと姿を現す。戦車のような体躯、そして身に纏ったいかにも頑強そうな鎧。そして獅子のように逆立つ金色の髪。


「あれが……武神……っ」


 その存在が人間と並ぶ存在ではないということは一目見て分かった。あれは人という生物の器に収まらない上位の存在。異質。それをきっとこの世界では神と呼ぶのだ。


 ヘカテーさん、ウェンズデイ、アクアマリーなんかとは比べ物にならない。きっと彼は神たちの中でも更に力を持った存在だ。そんな存在が、大観衆の中で大手を振り上げている。


「さぁ、今年も我が祭典に多くの強者どもが名乗りを上げた。いざここに、ルーデルヴァイン闘技大会の開催を、宣言するっ!」


 湧き上がる歓声はこの建物どころか、天をも引き裂くかのような轟音を響かせる。観衆たちの熱が一気に沸騰し、闘技場内の体感温度が跳ね上がった。


「こりゃあヴァンさんも勧めるわけだ」


 俺のテンションもご多分に漏れず一気に引き上げられ、胸の高鳴りが抑えられない。


「さぁ、今年の参加者たちの入場だっ!」


 ヴァンダル=ヴァイン様の掛け声とともに脇の入場口から参加者たちが姿を現す。ユフィとフィオナは直ぐに見つけることが出来た。そしてそんな彼女たちの後ろには二人を見送ったときに見かけた顔が大勢いる。そして――


「シグレだ……やっぱり居たのか」


 見間違いなんかではなかった。その白と黒のコントラストが目を惹く少女も確かにその中に存在していた。


「……っ!?」


 しかし、次の瞬間俺のそんな視線を一瞬にして搔っ攫ってしまうほどの異質が参加者たちの一番最後から姿を現した。


「なんっ、だよあれは……っ!」


 朝食が胃の中を駆け上がって来るのをどうにか抑えつつ俺はその人物へともう一度視線を向ける。


 腰のぶら下げたのは一本の長剣。薄いプレートメイルに身を包んだその男はニヒルな笑みを舞台中央の武神へと向けていた。

 見れば周囲の観客たちも彼の登場に歓喜とどよめきの声を上げている。甘いマスクとさわやかな雰囲気に腹が立つがそれ以上に彼から伝わってくるのは圧倒的な強者の余裕だった。


 あれが噂の人物であるということが一目で伝わるほどの風格。


「”聖剣使い”……」


 人はあれほどの高みに上ることが出来るのか。その時の俺はただただ彼のその雰囲気に圧倒されるだけなのであった。

 

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