第56話 月下のかぐや姫
そんな訳で俺たちはミドラーシュ商会遠征隊の護衛として一緒にエーデルワインという街まで向かうことになったのだが、道中はなんというか護衛が強すぎてぶっちゃけて特筆するような出来事はなかった。
以前この商隊を襲ったという大型獣の群れというのもユフィとフィオナがいれば相手にもならない。なんせ神様たちとも対峙したのだ。そんじょそこらの生き物なんて体がデカかろうが相手になるはずもないのだ。
まぁ俺は相変わらず獣たちを商隊から引き剥がすための囮としてその辺の大木ほどもあるデカい腕や足やらから逃げ回っていた訳なのだが。
商隊の練度も俺たちが今まで護衛についていたキャラバンの中でもトップクラスの高さを誇っていた。襲撃に会うたびにヴァンさんの的確な指示でキャラバンは陣形を的確に変えていた。しかしどれだけ練度が高かろうが彼らには自衛の手段が無い。生身の彼らが出来るのはせいぜい時間稼ぎ程度だ。
だからこそこうしてキャラバンは自前の部隊や俺たちのような雇い入れた護衛と共に旅を続けるのだそうだ。
そういえばヴァンさんは同じ商隊に奥さんがいた。名前はシルヴィさん。銀髪の綺麗な髪とスタイル抜群のボディラインが素晴らしい素敵な女性だ。まだまだ年齢的にも精神的にも幼い俺たちによく気を遣ってくれて道中和やかに護衛が出来ている。
それともう一つだけ。
この商隊の護衛に付いたのは俺たち三人だけじゃなかった。ヴァンさんは他にも護衛が出来そうな人間に声をかけていたらしく、そのうちの一人が俺たちと共に護衛の依頼に付いていたのだった。
「さすがに南下すると暑いもんだな」
護衛もそろそろ終盤に差し掛かっていた。夕食時にヴァンさんがあと一つ山を越えるとエーデルワインの入り口に辿り着けると口にしていた。ということはもって後二日あれば余裕をもってエーデルワインまで到着できるだろう。
通商連合はこのアトランディアでも最も南に領土を広げている。そのため季節を問わずこの土地の夜はジメジメした暑さが体にまとわりつく。
その日の俺はどうしても寝つきが悪かった。そのため横で気持ちよさそうに寝息を立てるユフィとフィオナを横目に見ながら俺は近くの水場まで歩くことにしたのだった。
今日キャンプを張った場所の近くには大きな川が流れている。水深はそこまでないが、北方の大山脈からの雪解け水が少しずつ流れていくつも支流となったものの一つだそうで水の底が手に取ったように透き通って見えるそうだ。
噂通りその綺麗な水面が月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がってくる頃、ふと目的地の先からちゃぷちゃぷと水を弄ぶような音が聞こえてきた。
「ん……先客がいるな」
雑草といくつかの大きな石が転がった河原を下ると先客の姿が目に入る。
少しだぼったい白色を基調とした衣服。素材は着物のような生地に近いものなのだろうが実用性は道着に近しいデザインをしている。そんな白に彼女の艶のある黒髪が生み出すコントラストが月明かりの中ぼんやりと浮かび上がっていた。
俺は彼女がしっかりと衣服を身に着けていることを確認してようやくその少女の元へと足を向ける。
以前ユフィにそれで危うく殺されそうになったことが記憶に新しい。まぁ、ウェンズディポートを出立してからは二度ユフィに、三度フィオナに同じことをしてしまっているのだが。
大自然の中では人はおおらかになれる。なんてことはどこかの誰かが抱いた幻想だったようだ。
「よう、こんな時間にどうしたんだ?」
俺はその少女へとそっと声をかけた。ぴくりと一度肩を震わせた彼女はその後恐る恐る振り返ると俺の方へと向き直った。
こうして改めて見るとまるでかぐや姫にでも会っているかのような気分になる。
それほどまでにその少女はどこか可愛らしい顔つきと背中まで伸びた艶のある黒髪、そしてそれをどこか歪に纏め上げるその凛とした雰囲気が絵になる少女だった。その子を見ていると俺もなんとなく五つの難題を提示されてでもかぐや姫を手に入れようと躍起になった大臣たちの気持ちが分かってしまう。
その少女こそ、今回ミドラーシュ商会ヴァン隊の護衛に付いたもう一人の人物である。
「アヤト殿……でしたか」
見れば彼女は脛から先を川の中へと浸けじゃばじゃばと水面を遊ばせていた。時折水の中から飛び出す真っ白な綺麗な足先に妙に心がくすぐられてしまう。
胸や尻ばかりに視線が行きがちな俺としては新しい世界がそこに広がっているような気がしてなんというか嬉しいような恐ろしいような……という話はおいておいて。
「シグレちゃん、だよな」
「シグレで結構ですよ」
俺も彼女に倣って近くの石に腰を下ろすと靴を脱いで足先を川の中へと下ろす。自己紹介は出会った当初に済ませていたがこうして名前を改めて呼ぶのは初めてだった。
「うおっ、冷たっ!」
「スラッグレイム山系の雪解け水だそうですからね」
「なるほど……でも想像以上だな。バトンたちが美味そうに飲んでいたらしいってのも納得だ」
「……そうですね」
ふと会話がそこで止まってしまう。別に言葉を交わすのが初めてだった訳ではないがこうして世間話のようなものをするのは思えば護衛で一緒になってから初めてのことだった。
どうも彼女はあまり人を近づけたがる質ではないようだ。ユフィやフィオナにも同じ態度のようで彼女が親し気に言葉を交わしているのはシルヴィさんぐらいだったと記憶している。
「シグレもエーデルワインへ行くのか?」
「ええ、まぁ……」
「そうか……」
「そうですね」
だめだ、会話が広がらねぇ……。俺、こんなに会話が下手くそだったか? それともただシグレと相性が悪いのか。しかし彼女自身があまり人と親しくすることに消極的なのであればそれに合わせるのもある種礼儀なのだろうか。
「シグレは一人で旅をしてるのか?」
「はい。アヤト殿は随分と愉快な方たちと旅をなされているようで」
お、今俺は軽く皮肉を言われていますか? まぁ、騒がしかったのは全く否定できないのだが……。どうやらシグレはああいいう雰囲気が苦手なのだろう。明日からはちょっとだけ静かにできるように努めよう。
「でもすごいな、俺には一人で旅をしようだなんてとても……」
今考えるとユフィやフィオナがいなければ命が足りなかっただろう場面に山ほど遭遇してきた。プリズムウェルを出立するとき、ユフィが付いてくると言ってくれなかったら俺は一体どの辺でくたばっていたんだろうか。
「戦闘も見てたけどさ、シグレは強いんだな」
「わたしの強さなど……まだまだ未熟な事ばかりです」
先ほどはかぐや姫なんて例えたが彼女の普段の恰好や言動、それに戦い方を見ているとどちらかというと姫というよりはそれを守る武士の方が適切だと思えてくる。
自らの研鑽に努力を惜しまない、そんな真摯な姿が数日共にしただけの俺にだって見て取れるのだ。
「シグレが未熟なら俺は未熟以下だな」
こんな力があったって結局のところ俺はいつだって自分で何かを解決してきた訳じゃない。ユフィやフィオナ、ヘカテーさん。そんな自分たちの苦難に立ち向かう強さを持った人たちがそれに立ち向かい続けたからこそその傍に俺の居場所があった。ただそれだけの話だ。
「まぁ、だからこそ旅をしているのかもしれないけどな」
そんな未熟以下の自分を何とかしたくて、その答えを探して俺は旅をしているのだろう。
「……ならば」
ふと、シグレのそのまっすぐな視線と目が合った。月明かりを吸った真っ黒な瞳が俺をどこまでも試しているようにすら思えてしまう。
「アヤト殿は旅の果てには一体何があると思いますか……?」
その問いに俺は一体どんな答えを導き出せるのだろうか。
「どうだろう。それって結局その時じゃないと分からないんじゃないかな」
「その時……ですか?」
「恥ずかしい話だけどさ、俺は一緒に旅をしているユフィやフィオナ、そしてシグレみたいに戦うことに関して才能ある訳じゃないんだ。だからこそ俺は旅に強さを求めている訳じゃない。俺が探しているのってそういうものじゃない気がするんだ」
「なら……」
視線の端でシグレが俯くのが分かった。俺の答えが満足のいくものではなかったからだろう。シグレはどこか寂しそうに傍らの刀の鞘を指でそっと撫でた。
「だからこそ一つ言えるのは、そういう果てに何を求めるのかを見つけるのもきっと旅をするってことなんだと思うんだ。だから俺は俺にしか見つからない答えを探してこれからも旅をしていくんだと思う」
「自分にしか見つからないもの……」
「気づいているのかいないのかは分からないけどさ、きっとシグレにもそれがあるんだと思う。だから悩んで苦しむことはあっても、必ず果てはあるんだよ」
俺は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。俺だって不安だ。納得の理由。それがきっと俺の求める果てなんだと思う。だけどそれがどんな色でどんな形で、どんなふうに俺の目の前に現れるのかは想像もつかない。だけど、それでも今は歩き続けることしかできないのだろう。そうでもしないと俺はこの世界で何をしていいのかすら分からなくなってしまうのだから。
「だからその果てって言うのに辿り着いた時、おのずと自分が探していた果てに待っているものに気づけるんじゃないかな」
シグレが小さく息を呑むのが分かった。
「いつか会えるといいな、シグレの旅の理由」
「……ええっ!」
俺の言葉は彼女の難題に答えることが出来ただろうか。かぐや姫を手に入れることは出来なくても、どうやら彼女の笑顔だけは引き出せることが出来たらしい。
それからというもの、俺たちはしばらくの間ただ涼を得るために他愛のない時間を過ごすのだった。
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