第三章 ルーデルヴァイン闘技場:ときに光すら置き去りの希望

第54話 頼りがないのが良い頼り

 鬱蒼とした森の中を数台のバトン車が連なって移動している。アトランディアにはアヤトがいた世界で言う馬に当たる生き物が存在しない。そのため体躯が良く耐久性も高い、そして何より気性がおとなしく飼育に適したこのバトンと呼ばれる生き物が荷車を引く役割として重宝されていた。


 森を抜ける道はお世辞にも舗装されているとはいいがたく、時折路面の石に車輪を乗り上げたバトン車の荷台が上下に跳ね大きな音を響かせている。


 そんなバトン車の荷台の上で、アリサカ・シグレはぼんやりと自らが護衛を務める商隊の隊列を眺めていた。


 港町ウェンズディポートから僅かに南下すると、マドラッドという小さな商業都市が存在している。生まれ故郷を出でて当てのない旅を続けるシグレにとって依頼というのは貴重な旅の収入源だった。マドラッドはさほど大きな街ではない。人口もそう多くなく、ほとんどのキャラバンが補給地点として僅かに数日滞在するほどの規模でしかない。


「あそこで路銀が切れなければこんなことには……」


 ガタガタと激しく揺れるバトン車の荷台でシグレはふとそんなことを考える。


 マドラッドに辿り着いた時、シグレの財布はすっかりと空っぽになってしまっていた。その日の食事には何とかありつけたものの次の街に移動するまでの路銀がない。


 一人で旅を続けるシグレにとって金が無いということはまさに死活問題だった。そんな時に飛び込んできたのが今回の依頼である。

 とある商隊が護衛を探していたのである。聞けばここに辿り着く直前に大型の獣の群れにキャラバンが襲撃され、護衛の多くが命を落とすか依頼を放棄し逃げたのだそうだ。

 

 マドラッドを出て更に南のエーデルワインまで、一週間とちょっとの旅路であった。報酬も悪くなく道中もそこまで悪路では決してない。キャラバンを襲ったという大型の獣の群れというのが僅かに気になったが自分の実力だと相手にもならないだろう。

 

 そう考えたシグレは二つ返事でキャラバンの護衛の依頼を受けた。なかなか依頼が捕まえにくいマドラッドではまさに幸運が転がり込んできたと言えよう。それが彼女の悩みの種になるとはこの時は思ってもいなかったのだ。


「アヤトさんっ、またシルヴィさんのお尻を眺めていましたねっ!? そんなに大きなお尻が良いんですの!?」


 少女の悲痛な声が商隊内に響き渡る。シグレがちらとそちらをみれば、そこでは金髪の少女が一人の少年に噛みついていた。

 噛みついていた、というのは比喩表現なのだが頬を真っ赤に染め上げた少女はその辺のウォーバックにも迫らんばかりの勢いで少年に迫っている。


「ち、違うんだって! たまたまそこに大きなお尻が揺れていただけで最初からそれを拝もうと思っていた訳ではなくてですねっ!」

「そういう問題ではありませんのっ! わたくしがアヤトさんを見たまさにその瞬間にシルヴィさんのお尻をエッチな目で見ていたことが問題なのですっ!」

「それはフィオナの勘違いであってな、ユフィも何とか言ってくれよっ!」


 少年が視線を向ける先には先ほどの少女とは別の少女が退屈そうに大あくびを浮かべていた。


「いやぁ、私はフィオナよりお尻おっきいからなぁ~」

「ほうほう……売られた喧嘩を買えないようなフィオレンフィーナではなくてよ」

「ちょ、フィオナ落ち着いてくれっ! 後ユフィも煽るようなことを言わないでくれ、俺はどっちのお尻も好きだからさっ!」

「あんたは」

「アヤト様は」

「「ちょっと黙っててっ!!!!!」」

「……はい」


 とまあこんな具合である。マドラッドを出立して二日。同じくマドラッドから護衛に付いた同業者がどうも騒がしい。自分一人でもこの規模の商隊は守り切れるのだがキャラバンの隊長はそうはいかなかったらしい。

 そこで追加でマドラッド内で自分以外にも数人護衛を雇い入れていたようだ。その連中がどうも頼りない。


 男一人に女が二人。シグレの目から見ればどこぞのお坊ちゃまが金にものを言わせて美少女を二人侍らせているようにしか見えない。

 おまけに護衛中もどうも騒がしい。副隊長のシルヴィも先ほどから苦笑いを浮かべ続けている。キャラバン隊長の妻である彼女はシグレの目から見ても魅力的な女性だ。男性の視線が引き付けられるのも分からなくはないがああも露骨だと嫌悪感も沸くものだ。


 おまけに金髪の少女の方は護衛の仕事に息まいているようだが、ブロンドの少女の方はそうでもないらしい。どこか退屈そうに路肩の木々に目をやっては手慰みに手に持った携帯食料に齧りついている。仕事にプライドも持てないのか、と二日間シグレは苛立ちが募るばかりであった。


「どうしてこんな連中とわたしが一緒に……」


 自らの目的のために旅をしているシグレにとってはこのような時間はとてつもなく無駄な時間のように思えてしまう。腰にぶら下げた名刀もどこか寂し気に見えてしまう。


 事が起きたのは一つ峠を越えて森が僅かに開けたその時だった。


「敵襲っ!」


 商隊先頭を行く商隊員の一人が大声を上げる。と同時にキャラバンが足を止め慣れた動きで防御陣形を取った。荷車を引くバトンをすぐさま後ろに下げ、その前に日用品を大量に詰め込んだ荷車をバリケードのように展開する。そしてその一番奥に隠すように食料品や嗜好品を詰めた貴重な荷車を配置する。


 そしてその最前線で護衛は敵と対峙するのだ。


「参りますっ!」


 声が聞こえた瞬間にシグレの体は動いていた。陣形を整える荷車の上を飛ぶように駆け抜けると商隊の先頭へと舞い踊る。と同時に腰の刀に手をかけると小さく姿勢を低く下げた。


「ふむ……あれが件の大型獣でありますか」


 目の前には体長3メートルはありそうな大型の四足獣が唸りを上げていた。森に適さない体格のせいか森の中で狩りをせずに、こうして森から抜け出してきた小動物やキャラバンを襲っているのだろう。


「それが8頭。どうせ彼らは役に立たないでしょう」


 先ほどの件を思えばあの護衛は戦闘では無力だろう。無駄金を払ってしまった商隊長のことを哀れに思いながらもシグレの目は敵の姿をしっかりと捉え続けている。


「……参るっ、鹿倉流抜刀術……っ」


 大きく息を吐きながら体を前へと傾ける。小石や雑草が転がる地面が眼前まで迫ってきた瞬間、シグレは前に突き出していた右足を一気に後方へと蹴り抜いた。


 小柄な彼女の体は蹴り上げた勢いそのままに高速で前へと加速していく。そしてそのままシグレは手にかけていた腰の刀を引き抜く。


「『紫電一灯』っ!」


 その居合は前方への射出と神性による加速を得て音速よりも早くその一刀を大型獣の頭部へと叩き込む。


「ふっ……っ」


 着地と同時に納刀。すぐさま姿勢を落とし次の獲物を見定めるとシグレはすぐさま二発目の紫電一灯を繰り出す。


「……他愛もありませんな」


 刀身に付着した獣の血を落とすように刀を振るとすぐさま腰の鞘へと納める。先ほどからノイズが騒がしい。先の二刀の間じゅうずっと少年の悲鳴が鳴り響いていた。


「はぁ……旅は道連れ。なんて申しますが、見てしまったからには助けぬ訳には行かぬのでしょう」


 残り六頭。恐らく追い回されているであろう少年を助けるべくシグレはそちらの方を向き直る。が、その瞬間彼女の目に飛び込んできたのは想像だにしない光景だった。


「抑えたっ!早く何とかしてくれユフィっ!」


 シグレの目に映ったのは大型獣の攻撃をなんとかいなし続けている少年の姿だった。腰のブロードソードは飾りでなかったのか。そう感心しながらシグレは少年の方へと右足を向ける。


 が、直後にシグレが次の標的と定めた獣の首から先が突然に爆発したのだ。


「な、なにがっ…・・・!?」


 驚くシグレをよそに少年はその視線をブロンドの少女へと向けていた。


「遅いぞユフィっ!」

「しょうがないじゃない、こっちはこっちで相手してたんだから」

「お前ならあんなの1秒あれば十分だろっ」

「こっちだって詠唱ってもんがあるんだからっ!」


 見れば既にそこには先ほど頭部が爆発した獣を含め4頭の大型獣が倒れ伏していた。


「フィオナはっ!?」


 心配そうに声を上げる少年をよそにブロンドの少女は呑気な声を上げて見せる。


「ん~フィオナなら大丈夫じゃない?」


 少女の視線の先、そこには大きく体勢を落とし自分の身の丈ほどもありそうなコンポジットボウを構えた少女の姿があった。


「攻波魔法展開っ!射貫けっ『無名の蒼雷アノニウム・ブリッツ』っ!!!」


 コンポジットボウにつがえられた矢が雷を纏い、その体が少女の手から解放された瞬間に高速で大型獣の心臓部へと飛翔する。それはシグレの抜刀に匹敵するほどの速度で、さらにその体から放たれる電撃により荒々しくその体を貫いた。


「さすがフィオナ」

「ユフィさんも手際がよろしくて」


 互いの拳をぶつけ合い健闘を讃える二人を横目に見ながら少年は苦笑いで頭を搔く。どうやら自分には人を見る目が無かったらしい。


 そう思ったシグレは自らを諫めるように静かに一つ肺の中の空気を吐き出す。どうやらフィオナと呼ばれた少女は既にもう一頭を先に仕留めてしまっていたようでキャラバンの行く手を阻む獣たちはもう存在しない。

 キャラバンの隊長は払うべきところへ払うべきものを払っていたのだ。


「わたしもまだまだ精進せねばなりませんな……」


 腰の刀にそっと手を添えそう呟くと少女は隊列へと足を向けるのだった。

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