第52話 運命という名の真っ白な地図を抱いて

ウェンズディポートでのアクアマリーとの決戦から数日が経った。


 今だ戦闘の傷跡が多く残る港湾部にはたくさんの人々や資材が忙しなく出入りしており、通商連合屈指の一大貿易港としての姿をいち早く取り戻さんと多くの人が動き回っている。


 その中でも特に活発に動いているのが、自ら現場へと足を運びあれやこれやと指示を出しているヴェルドルト・ヘルグレンジャー氏であるというのはちょっとだけ驚きだった。


 あの決戦の後、ボロボロのまま屋敷に戻った俺たちを出迎えてくれたのはヘルグレンジャー家の使用人であり、俺達とも屋敷で顔を合わせていたメイドのメイスリーさんだった。


 彼女曰くヘルグレンジャー氏は治安維持隊から発令された避難指示には一切従わず、食い入るように崩れた屋敷の一角から娘たちの戦闘を見つめていたそうだ。

 彼なりにこの街の惨状に思うところがあったのだろう。アクアマリーに手を貸していたという負い目だってある。それにそんなこの街の負を凝縮したようなその場所に立っていたのは自らの血の繋がった娘たちだ。


 この街の為政者として、そしてこの出来事に加担した人物としてこの美しいウェンズディポートが瓦礫まみれであり続けるのは心が痛んだのだろう。


 その後の俺たちはというと、フィオナを屋敷へ運んだあと俺とユフィは満身創痍のまま自分たちが宿泊していた宿へと戻ってきた。


 どうやら中心部から向こう側の地区は戦闘に巻き込まれることはなかったようで俺たちが横になれるベッドは無事にそこで帰りを待ってくれていた。


 そして今日、メイスリーさんの使いで俺たちの元へと連絡がきた。曰く戦闘後に意識を失っていたフィオナが目を覚ましたのだとか。そういう経緯もあって俺たちは朝っぱらからヘルグレンジャー家の屋敷を訪れているのである。


 フィオナの部屋の前に辿り着くと、なぜかユフィは俺の背中を押すだけ押すとメイスリーさんとどこかへ去ってしまった。どうしたものかと逡巡したがだだっぴろい廊下に他人である俺がいつまでも立っている訳にもいかず数度部屋の扉を叩くと中へと足を踏み入れた。


 部屋に入った俺の目に飛び込んできたのはぼんやりと窓際から街並みを見下ろすフィオナの姿だった。


「どうしたんだ、こんなところで」

「……アヤト様」

「何か見えるのか?」


 この屋敷はウェンズディポートの港湾部が一望できる小さな高台の上に築かれている。そのためヘルグレンジャー氏の書斎からも、そしてこの部屋からもそんな瓦礫まみれの港湾区画を見下ろすことが出来るのだった。


「何か、と言われると港なのですが……」


 俺の姿に気づいたフィオナはその問いかけに曖昧そうにそう答えた。今だ彼女は本調子ではないのかいつもの快活そうな姿はそこにはなく、寝間着に身を包んだ儚げな美少女がそこには佇んでいるのみだった。


「妹の事か……?」


 その声にぴくりとフィオナの肩が上がるのが分かった。


「……図星か?」

「そう、ですわね」


 お手上げと言わんばかりに彼女はその手で顔にかかった前髪をかきあげて見せる。その下から現れた綺麗な両眼には今だ悲しみの色が浮かんでいた。


 あの日、俺たちがアクアマリーを打倒したあの日、アクアマリーの神性をその身に取り込んだヘルグレンジャー家次女アイリスフィール・ヘルグレンジャーは姿を消した。姉であるフィオナへ向けてまるでどこかへと出かけるときのような気軽さの別れの言葉を残してだ。


 それがずっと気をはり続けていたフィオナの最後の支えを崩した。だから彼女はこうして身も心もボロボロのまま数日間も眠り続けていたのだった。


「ごめん、さすがに口にすることじゃなかった」

「謝ることではありませんわ。アイリスがいなくなったことは事実なのですから」


 そういうと彼女は窓際から離れベッドへと腰を下ろす。思えば女の子の部屋に入るというのは初めてのことだった。フィオナがベッドへと沈み込んだ衝撃でシーツに染み込んだ女の子特有の甘い香りが部屋の中に舞い上がる。


 それが妙に俺の心をソワソワとさせて仕方がない。


「どうかしましたの……?落ち着かないようですが」


 心配そうにこちらを見つめるフィオナは寝起きのためか首元にジワリと汗が伝っているのが見て取れた。それを吸い込んだ髪の毛がしっとりとうなじに張り付いてなんというか、めちゃくちゃエロい。


「あ、いや、アイリスの目的って結局何だったのかなって」


 思わず全身の血の巡りが良くなってしまったのを感じた俺は必死にそこから逃げるように話題を逸らした。


「アイリスの目的ですか……」


 そう、俺たちはずっと彼女はアクアマリーとの間に何らかの協力関係があったものだと思い続けていた。だがアイリスの真の目的は最初からその向こう側にあり続けたのだろう。


 彼女は言った。これが私の本当の計画だから、と。アクアマリーが彼女のことを気に入って計画に引き入れたのではない。最初からアイリスはアクアマリーの計画に加担することが目的だったのではないだろうか。


「アイリスはこうも言っていましたわ。私こそが本当の神様になれるんだ、と」

「アイリスは神になるのが目的だったのか……?」

「いえ……」


 そういうとフィオナは小さく息を吐いた。吸い込まれて吐き出されたことにより寝間着の下で上下する胸へと俺の視線が釘付けになってしまう。が、そんな俺の視線に気づいているのかいないのか、フィオナは俺の視線から逃れるように身を捩ると再び窓へと、いや、窓の向こうの景色へと視線を移した。


「きっと……彼女の目的はそんなところにない。なんとなくそういう気がしますの」

「それは神様としての勘?」

「姉ゆえの勘という奴ですわ。アイリスを操っている黒幕が、この世界のどこかに必ずいるはずです」


 そう口にされてしまったのならばそれ以上俺から何か言えることはなかった。


「ねぇ、アヤト様」


 ふとフィオナが俺の名前を呼んだ。


「アヤト様はユフィさんとこれまでずっと旅をされてきたのでしょう……?」

「これまでって言ってもここに来るまでの一か月弱ぐらいだったけどね」

「それまではプリズムウェルにいらしたのですよね?」


 そういった身の上話は既にフィオナも知っていることだ。ならなぜ今更になって彼女はこんな話をし出すのだろう。


「あの、その……」


 そう言ってこちらを見ながら何かを言い淀む彼女の目が俺の視線をぴたりととらえた。


「…………ふぅ、んっ」


 五秒ほどただ互いに見つめあうだけの時間が生まれる。その最後に彼女は意を決したように立ち上がると俺の元へと歩み寄ってきた。

 その足取りは既にもう先ほどまでベッドで眠りこけていた少女の足取りでは決してない。何かを選んで、そこに向かおうと覚悟を決めた者の足取りだ。


「アヤト様、わたくしを一緒に連れて行ってはくれませんか……?」


 なんとなくそう言われるのではないかと予感はしていた。だが彼女はこの街の為政者の娘。将来的にはその血と力をもってこの一大貿易港を治めていくに値する器を持つ少女だ。

 そんな彼女を俺の訳の分からない旅に連れまわす訳には――


「……おねがい、しますわっ」


 不意に俺の体が暖かい何かに包まれた。と、同時にいつか近くで薫った香りが鼻を通り抜けていく。


「……ふぃ、フィオナっ!?」


 フィオナのその華奢な体が俺をめいいっぱいに抱きしめていた。


「お願いします……アヤト様が言いたいことは分かります。でも、わたくしはこの身の奥から湧きだす衝動を治めきれないのです。知りたいのですっ、なぜアイリスが家族を置いて消えてしまったのか。なぜこんなことに加担しているのか……っ、アイリスの裏にいるのが誰なのか、私は知りたいのですっ!」


 至近距離で俺を見上げるフィオナの目には玉粒ほどの雫がこれほどかというほど溢れていた。その目には最愛の妹を連れ戻せなかった悔しさ、そして自らの無力さを悔いる涙が浮かんでいる。


 フィオナは俺の力でもって選び取った運命の、そのさらに先を求めようとあがいている。ならば俺に出来ることはそんな彼女から選択肢を奪うことじゃなく、その背中をさらに押してあげることに違いない。


 戦う力も身を守る知識もないそんなちっぽけな俺に残された唯一の力。なればこそ、その力で掴んできたものを安易に手放すという行為だけは俺の薄っぺらい矜持が許さなかった。


 フィオナの頬にそっと手を添える。僅かに紅潮したその肌からは彼女の決意がこれでもかというほど伝わってくる。俺はそっと親指でその目に溢れる涙を拭うと、俺を抱き寄せるフィオナの体にそっと手を回した。


「……分かった、だから泣かないでくれ。可愛い女の子が泣いているのは俺の趣味じゃないんだ」

「……アヤト様っ!」


 俺の返答の意味が分かったのか不安げに顔をしかめていたフィオナの表情がぱぁっと明るく開いた。


「行こう、俺たちと一緒に。何が待っているのか分かんない旅だけどさ、その先にフィオナが辿り着きたい答えがあるかもしれないのなら、俺は喜んでそれに協力するよ」

「アヤト様っ!」


 さっきから俺の名前しか呼ばないフィオナ。だがその表情が彼女の感情をこれでもかというほど物語っていた。


「だからその……」


 これから彼女は同じ道を行く仲間となる。だからこそ一つだけ、どうしてもお願いしておきたいことがあった。


「どうかしたのですか?」

「その、様っていうの辞めてもらえるかな?」


 そう言うとフィオナは僅かに驚いた表情を一度浮かべると、それをすぐに普段通りの見慣れた笑顔へと切り替える。

 これは彼女とこれからも対等でありたいという俺なりのけじめだった。


 俺の意図を知ってか知らずか、フィオナが小さく息を吸う。 


「分かりましたわ、アヤトさん」


 そう言って俺に微笑む彼女の顔は、今まで見てきたフィオナの笑顔の中でも一番素敵な笑顔に違いなかったのだった。

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