第51話 誰でもないたった一人の自分のために
僅かに力を入れるたびに全身が激痛という名の悲鳴を上げる。
それと同時に心の奥から湧き上がってくる感情は痛みによる恐怖なんかじゃなく、心を深く海底に引きずり込むかのような絶望だった。
「フィオナぁああああああああ!!!!」
どこからともなく聞こえてくる自分の名前を呼ぶ声に寸でのところで意識がこちら側へと繋ぎ止められるのを感じ、フィオレンフィーナ・ヘルグレンジャーはゆっくりと声の方へと首を動かした。
「わ……な……なに、が……?」
ぼやける視界の向こう側で誰かがこちらに駆け寄ってくるのが目に入る。
「大丈夫かっ!?立てるか!?意識はあるか!?喋れるか!?」
僅かな衝撃と共に視界が少し上へと動く。と、同時に上半身が温もりを帯びるのが分かった。もやのかかった視界の向こう側で誰かが必死にこちらへと呼びかけるのが聞こえてくる。言葉の意味は分かるのに、それが一体誰の声なのかまでは分からない。
だけどようやくそこでフィオナは自分が今誰かに抱きしめられているということが分かるのだった。
「アヤトっ!無茶するんじゃないわよっ!」
ユフィの声が辺りに響くが地面にたたきつけられたフィオナの元へと一心不乱に駆けだしたアヤトにはそんな声を聞きとどめている余裕なんて無い。
僅かに何かに手を伸ばそうとするフィオナの手を取ると彼女の意識を引き上げようと必死に声を張り上げる。
「フィオナっ!聞こえるかっ!?痛むかっ!?頼む、返事をしてくれっ!」
「あ……や……とっ、さ……」
背中から思い切り地面に叩きつけられたせいで肺の空気が上手く音となって出てくれない。だが抱きしめられたおかげで伝わってくる温もりが少しずつ彼女に冷静さを取り戻させていった。
腕は何とか動く。肋骨は折れてはいない。足は不安だがきっと立ち上がるだけならできるはず。
少しずつ分析が進む体の不調にフィオナの頭はクリアになっていく。先ほどまで浅くただ繰り返されるだけだった呼吸も落ち着いてしまえば大きく一つ吐き出せる。吸い込むたびに肺の奥がズキリと痛むがそんなことを気にしている状況じゃないということも思い出した。
「だ、いじょう……ぶっ、ですわ!」
先ほどまでぼやけていた視界も徐々に鮮明さを取り戻す。最後に一つ目を閉じて大きく深呼吸を一つすると、そこにはこちらを心配そうに見つめる少年の顔が浮かんでいた。
「……フィオナっ!」
「アヤト様……」
目の前の少年の姿を認識した瞬間、彼女達を猛烈なまでの神性が襲った。痛む首を何とか動かしそちらの方へと視線をやると、そこにはあり得ないほどに神性を高ぶらせたままのアクアマリーの姿があった。
「……まだこの世界に縋ろうというのっ、ウェンズデイ!!!!」
怒りのままに腕を突き出すと、アクアマリーは魔法にも至っていない純粋な神性を乱雑に纏め上げこちらへと射出する。
魔法にも至らぬ拙い攻撃。だが目の前の少年にそれを防ぐ術がないことはフィオナ自身ももう既に分かっていた事だ。このボロボロの体を何とか動かし抗ってみようにも頭とは勝手が違い体はすぐには動いてくれない。
「逃げて、アヤト様っ!」
突き放すように右手を動かすも力の入らぬその腕はぺたりと彼の左胸を触るのみだった。
「……大丈夫だフィオナ。俺のヒロインはこういう時には一番頼りになるはずだ」
瞬間、こちらに向かってきた神性の塊が突如起こった爆発に完全に封殺される。何もない空間で急に発生したそれに思わずフィオナの体に力が入ったのが分かった。と、同時に爆発の瞬間に重ねられたアヤトの手がそっとフィオナの右手を握る。
「な、言ったろ……?」
にっかりと笑うその顔を見ていると先ほど自分が死を覚悟したことがちょっとだけ馬鹿らしくなってしまう。彼に合わせるように頬を緩めると不思議とフィオナの心にも余裕というものが湧き上がってきた。
あったかい。右の手から伝わるぬくもりもしっかりと感じることが出来るようになった。
思えば彼と初めて出会った時も、こうして手を握られたことをふと思い出した。あの時もそうだった。どこか弱弱しくて、なのにそれでも自らを危険にさらすことは厭わなくて、おまけにカッコつけで仰々しい。フィオナの目に映り続けてきたナナサキ・アヤトという少年の姿はいつだってそんなふうに自分の前で気取って見えたのを思い出した。
それがきっと彼なりの強がりで、それでいて誰かを強がらせるための詭弁だということも聡明なフィオナには分かってしまう。だけどそれがフィオレンフィーナ・ヘルグレンジャーという少女にはどこまでも眩しく映ってしまうのだ。
「アヤト様は、カッコいいですわね……」
ふと思わず口に出てしまった言葉にフィオナは頬を赤らめた。命のかかった戦場でいったい自分は何をのたまっているのだろう。だけどそんな言葉にアヤトは小さく笑って見せる。
「俺がカッコいいんじゃないよ。俺が関わってきた人たちがみんなカッコいいから、そんな風に俺も見えてしまうだけだ」
「アヤト、こっちはたいして持たないわっ!」
直後、フィオナの耳に少女の声が飛び込んでくる。アヤトがこれまで一番関わってきて、それでいてこれまでずっと頼りにしてきた少女の声だった。
「ユフィさんもそうなんですの?」
「あいつがいちばんカッコいいよ」
その言葉にちょっとだけフィオナの胸がチクリと痛む。一緒に旅をしてきているのは分かっている。この感情が自分だけの身勝手な想いだということも自覚している。
それでもフィオナはこの少年に自分もそう思って貰いたい、そういう想いを抱いてしまった。彼の前だけでもカッコよくありたい。自分の背中を押してくれた彼の前だけでも、一人の神様として、そして一人の少女としてカッコよくありたい。そう、願った。
「アヤト様……お手を放してくださいまし」
だから少女は立ち上がる。誰の為でもない。ただ自分の矜持のために。街のためとだか妹のためとだかましてや女神ウェンズデイのためだとか、そんな物のためではない。ただ自分のために少女は立ち上がるのだ。
「でもフィオナっ、今君は――」
「わたくしを誰だと思っていまして?」
だから少女は立ち上がる。ただ、己が運命の先に向かうためだけに。
「ぐぁっ!……はっ!」
視界の先でユフィの体が宙に浮くのが分かった。幾重も降り注いでくる水柱を何とかしのぎ続けてきた彼女だがついにその身にも限界が来た。
迎撃できなかった一柱がユフィの脇腹を襲いそのまま彼女を中空へと勢いよく吹き飛ばしたのだ。
「てこずらせてくれるっ……だがこれでっ!」
アクアマリーが標的を移す。不可思議な力を使う少女は打ちのめした。残るは力を持たぬ無力な少年と、そしてもう戦意をへし折った無力な神の器のみ。
だが、その視線の先に女神は人と神の先を見る。運命を捻じ曲げた先にある、少女の見果てぬ夢の続きをがその両目に映った。
「……お待たせ、いたしましわ!」
「なぜ……なぜまだ立ち上がるのっ、女神ウェンズディ!!」
しかしその問いかけをフィオナは鼻で笑って見せる。水産の神が大きな勘違いをしていることがてんで可笑しかったからだ。なぜまだ目の前に立っているのがただの神だと思っているのか。
「何をおっしゃっているのか分かりかねますわね。今あなたの前に立っているのは誰でもないわたくし、フィオレンフィーナ・ヘルグレンジャーなのですわっ!」
莫大な神性が自らの周囲を渦巻いているのが分かった。体からウェンズデイの神性が泉のように湧き出ている。これが神の力か。フィオレンフィーナはそのあまりにも規格外なその力に笑ってしまいそうになる口元を必死に抑えた。
これは自分の力じゃない。この場所の未来を想う全ての人々の力。そしてこれまでこの力に振り回されてきた先人たちの想いの集約。そんなたくさんの願いをこの身に宿し私はこの先も生きていくのだ。そんな想いがフィオナにウェンズデイの力を制御させる。
「お慕いしている殿方に言われてしまいましたの。君は君の願いのために、その運命を乗り越えて見せろ、だそうですわ」
フィオナの周囲にこれまでとは比べ物にならない大きさの魔方陣が展開する。と、同時にその両足に生成された魔法が彼女をしっかりとその場に繋ぎ止めた。
「一生に一度のお願いだそうですわ」
そう言ってフィオナは小さく笑った。
「そこまで言われて応えられないようじゃ女が廃るというものです。だから――」
フィオナの右手に急速に神性が集まりだす。それは一つの大きな矢の形を形成し、それを満足そうに眺めたフィオナはコンポジットボウへとそれをつがえた。
「これでもって応えて見せます。攻波神域魔法、起動――」
瞬間、莫大な神性の嵐がフィオナを中心に展開される。アヤトもフィオナも、そしてアクアマリーでさえもその光景から目を離すことが出来ないでいた。
「極至神域攻波魔法っ、『
限界まで引き抜かれ放たれたその弓はこの街の、この街を見守り続けてきた女神の、そしてそんな女神を宿して生きていくと決意した少女の想いを乗せて飛翔する。
「やめろぉおおおおおお!!!!」
光の矢がアクアマリーの体を貫く。直後、まるでその姿が浄化されるかのように小さな無数の結晶となって中空へと溶けていく。
「これで……終わり……?」
そんな光景をフィオナはただ茫然と見つめていた。
「あぁ、フィオナの勝ちだ。君が守ったんだ。この街を、そして君自身を」
いつの間にかアヤトがすぐ横に立っていた。
「これで本当に……」
「ええ、本当にありがとう、お姉ちゃん」
その声が聞こえてきたのは、結晶となったアクアマリーの神性の行方をぼんやりと見つめていたそんな時だった。
「え……っ」
「おかげで当初の目的が達成できたよ。これで私は……私こそが本当の神様になれるんだ」
突如霧散していたアクアマリーの神性が声の主の元へと集まりだす。
「どうしてっ!?……なぜですのっ!?」
事態が呑み込めぬまま、フィオナはただその神性の行方を未だ眺め続けている。アヤトも、そしてユフィですらその光景をただただ見つめ続ける事しかできなかった。
「これが私の本当の計画だから、かな」
集め終わったアクアマリーの神性の結晶を愛おしそうに飲み込むと、その少女、アイリスフィール・ヘルグレンジャーは不敵に笑った。
「それじゃあね、おねーちゃんっ」
二頭竜はボロボロだった。アイオンホークと激闘を続けていたせいかその頭部は片方が欠落し、左の翼には大きな傷が見て取れる。それでもそれは主人であるアイリスを大切そうにその背に乗せると西の空へと飛び立ってゆく。
「何が……一体何が起きているというのです!?」
ウェンズディポートはその脅威から守られた。女神を打倒した少女によってこの街はまた平穏を取り戻したのだ。しかし街を守ったはずのその少女の戸惑いの声に、その場の誰もが答えることが出来ずにいたのだった。
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