第50話 揺蕩う君に約束の詩を
「アイリスっ!」
「もちろんです、アクアマリー様!」
フィオナの変化を感じ取ったのか二人は互いに小さくアイコンタクトを交わし事態を次の段階へと進める。
アイリスが何やら詠唱を行ったかと思えば、直後沖合から無数のギライアドラフィンが姿を現した。
水産の女神アクアマリー。彼女の権能はその神性でもって海洋獣の意思に介入することだろうと推測できる。つまり彼女と契約を行っているアイリスもそれに近しい魔法を行使することが出来るのだろう。
「時間を稼ぎなさいっ!」
「お任せを!」
二頭竜にしがみついたままアイリスは視線を空へと動かした。そこでは巨鳥がその大翼を羽ばたかせながら静かに主の指示を待っている。
「マズいですわ……さすがにわたくしもあの数の海洋獣を相手にしながらでは……」
そんな時だった。小さく歯噛みをするフィオナの方をユフィが叩いた。
「どれぐらいの時間が必要?女神様」
そう言いながら視線は俺を見つめている。どこか誘うようなその目は完全に俺に「アンタも手伝え」ということを訴えていた。
「フィオナ、俺たちがなんとか時間を稼ぐ。どれぐらいでアクアマリーを倒せるか?」
先日のビーチでの一件もある。一人で受け持つ数はあの時とは比べ物にならないくらい多いがそれでもなんとかしないことにはこの街に平和は訪れない。
「20……いえ、15分ください」
「……上等」
「だな」
俺たちの返事を受け取ったフィオナは「お願いしますわ」という言葉と共に空を仰いだ。
「アイオンホーク、あれの相手をお願いできます?」
あれ、とフィオナが指さした先では二頭竜が主の指示を今かと待ち構えていた。
俺たちが海洋獣の群れを足止めし、アイオンホークが敵の神造種を相手どる。その間にウェンズデイの力をものにしたフィオナがアクアマリーを倒すという算段だ。
「自信はあるのか……?」
とはいえ相手も女神だ。いくらその身に女神の力を宿したといっても覚醒したばかりのフィオナじゃ荷が重いことには違いない。
「わたくしを誰だと思っていますの?」
しかしそんな心配も杞憂だったようだ。フィオナは自信たっぷりにそう言い放つと見覚えのある魔法で宙へと浮かんだ。
神性を練り上げ足場を作ることで、疑似的に空を移動することが可能なフィオナの魔法だ。
思えば初めて出会った夜もあの魔法で彼女は建物の屋根へと飛んで見せた。
長い付き合いのような気がするが、フィオナとこうして付き合っているのもまだ二週間にも満たない。彼女が何年も悩み続けてその背に負いながら生きてきたその運命を、たかだが十日とちょっとばかり前に出会った俺が変えてしまった。
「……やっぱりこの力は」
俺が貰ったこの力は、この世界においてもあまりにも異質でありすぎている。
「アヤト様のおかげですわ」
ふと、俺の背中にフィオナの声が飛んできた。
「どうしてそんなに暗い顔をしていらっしゃいますの?もっと誇ってくださいまし。貴方がくれた力が、この街を救うんですのよ?」
彼女の自信に満ちた顔を見ていると、俺自身の力に恐怖していることがどこか馬鹿らしく思えてしまった。
やっぱりこの力は異質だ。だけどそれを後悔したところで目の前の事実を変えることは出来ない。それは俺があの場で選んだ俺自身の運命だからだ。
「派手にぶっ飛ばしてくれよ」
「もちろんですわっ!」
去り際、俺は相変わらずの顔を浮かべ続ける彼女にそう告げたのだった。
―――
「お待たせいたしましたわね」
アヤトの背を見送ると、フィオナは自らが相対すべき相手へと視線を向けた。
「今際の挨拶があれでよかったのかしらぁ?」
水産の女神アクアマリーはどこかすっきりとした顔でこちらを見つめる少女へと吐き捨てるようにそう呟く。
彼女にとってはこれからが本番。覚醒したウェンズデイを宿主ごと打ち倒すことによってその神性を吸収する。一つ予想外だったことは、その宿主が自らの意思を持ち続けたままウェンズデイの力を取り込んだことだった。
これはアクアマリーにとって完全なイレギュラー。本来ならば宿主がそのまま自らの意思で死ぬか、それとも覚醒によりその意識は完全にウェンズデイに塗り替えられてしまうはずだった。
これから彼女が相手をするのは女神ウェンズディだけではない。フィオレンフィーナ・ヘルグレンジャーという一人の少女とも相対することになる。
「……歯がゆいわねっ……っ」
誰にも聞こえないボリュームでアクアマリーは悔し気に漏らす。頼りのアイリスもアイオンホークにかかり切り。様子見で連れてきていたはずの海洋獣もどこぞの少女に次々と薙ぎ払われていた。
「いけますわね」
そんな心の機微をフィオナは決して見逃さない。自らにどれほどの力が宿っているのかは定かではないが、こうして友人たちの手を借り一対一の状況を作れたことはまさに好機と言えた。
「それでは、参りますわっ!」
左手に掴んでいたコンポジットボウを勢いよくアクアマリーへと向けると、射出部へと光の矢をつがえた。
「まずはご挨拶ですわっ!」
フィオナが放った光の矢は空気を裂きながらアクアマリーの頭部へと吸い込まれるように向かう。
「私を舐めるなぁっ!」
しかしその矢はアクアマリーの振り払った手によって瞬時にその場から姿を消した。
「その程度で私を殺せると思うなよっ、ウェンズデイ」
「なら、貴女が死ぬまでこの手でその矢を撃ち続けるのみですわっ!詠唱っ!」
瞬間、フィオナの体を中心に中空に青白い魔方陣が展開する。幾重もの複雑な文様が浮かび上がると、それは複雑に練り上げられた神性をフィオナの中へと注ぎ込んだ。
「我が声に応え夢幻の輪廻をその身で貫けっ!神域魔法っ『
フィオナ自身の宿す神性と覚醒したウェンズデイの力が混ざり合い、その力はフィオナの右手に雷の矢を作り出す。
焼けつくような熱さと一瞬にして視力を奪ってしまいかねない眩さにも決して臆さず、フィオナはその矢を迷うことなく自らの武器へとつがえる。
見えない弦がその矢を弾いたその瞬間、矢は轟音を伴ってアクアマリーの左胸へと飛翔した。
「ぬるいわぁ、水明神域っ、『
アクアマリーの力により生み出されたのは分厚く冷たい、それでいてどこまでも堅固な水の柱だった。
中空で突如生成されたそれはフィオナとアクアマリーを遮るように現れると、フィオナが放った雷鳴の矢へと真っ向から対峙して見せる。
「その程度で、我が力を打ち破れるものかぁああああ!」
無意識のうちに突き出されたアクアマリーの両手から莫大な神性が水柱へと注がれる。その様もまた、自らの定められたシステムに抗うもう一人の女神の姿だった。
「私はウェンズデイの力を手に入れ、彼女を超えるっ!それが例え茨よりも鋭い棘に敷き詰められた道だろうが、それを私は裸足で歩ききって見せるのっ!」
アクアマリーの声が、まるで穏やかな水面に一滴水を落としたかのようにジワリと周囲の空気を震わせた。
「貴女に恨みはないのよ。でも私の障害になるのならば、私はそういう子に遠慮をしない主義なの」
瞬間、拮抗していたはずの二つの力はそのバランスを一気に崩し、弾かれた矢は虚しく中空へと霧散する。
「そ、そんな……っ!?」
その光景はあまりにも強烈にフィオナへと絶望を植え付ける。
「神の力を使ってきた時間だけは、何倍もあなたより長いのよ、私」
先ほどまでアクアマリーの盾であり続けた水柱がまるで生き物のように動き回る。
「水明神域魔法『
アクアマリーの詠唱と共に、彼女の管理下でグネグネと不規則に動き回っていた海水がぴたりと動きを止めた。かと思えば細く糸のように拡散したそれはフィオナの周囲へと降り注ぎ彼女の周囲から一切の逃げ場を奪っていく。
「くっ、退路がっ!?」
その様はまるで籠に閉じ込められた鳥のよう。フィオナは逃げ場の無い鳥籠へとその身を堕とすこととなる。
「永遠の牢獄に囚われ、私の前で生きたまま死に続けなさい、ウェンズデイ」
直後、アクアマリーの呟きに合わせるかのようにフィオナを囲った水柱が一瞬にして中心部へと収束する。
「がっ……はっ……っ!」
水圧に押しつぶされそのまま中空へと投げ出されたフィオナは勢いよく背中から地面へと叩きつけられた。彼女が地面を打ち付ける音は戦闘の最中にも関わらず大きく響き、その音は近場でギライアドラフィン相手に苦戦を強いられていたユフィたちの耳にも届く。
創造主のピンチを悟ったアイオンホークが大きく咆哮を上げた。
「フィオナぁああああああああ!!!!」
アヤトの悲痛な叫びを気に留めることもなく、アクアマリーは言葉を続ける。
「終わりにしましょう、ウェンズデイ」
無残に打ち捨てられたフィオナをちらと見ながら、アクアマリーはその手に神性を圧縮させた水球を作り上げる。
「それじゃあね、お姉様」
ぽつりどこか寂し気な声と共に放たれたそれは、その柔な体を貫かんと主の手を離れ勢いよくフィオナの元へと飛翔した。
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