第49話 その日少女は運命の先を行く

「こんにちは、お姉ちゃん」


 二頭竜の頭部に佇む彼女は、その顔色を一切変えぬままそうこちらに呟いた。


 アイリスフィール・ヘルグレンジャー。ヘルグレンジャー家の次女でありフィオナの妹に当たる人物。僅かに幼さが残る容姿だが姉に似てこれまた将来が随分と期待できそうな美人さんだ。


 そんな彼女が何故アクアマリーの側に付いているのか。その謎は未だに分からずじまいとなっている。ヘルグレンジャー氏の話では随分とアクアマリーが彼女のことを気に入っているらしいのだが、それがなぜなのかも不明である。


 洗脳の類を受けているのかもしれないと思っていたが数度見かけた彼女とアクアマリーのやり取りではその様子も見受けられなかった。


 つまり、アイリスは彼女の意思でアクアマリーに付き従っている。


 姉であるフィオナの力を狙う女神にどうして彼女が組しているのか分からない。が、しかしこうして間違いなく俺たちの前に敵として立ちはだかっているということだけは決して捻じ曲がることが無い事実だった。


「……どうしてわたくしたちの敵になるようなことをしているのですかっ!アイリスっ!」


 フィオナの悲痛な叫びが港湾区画に響き渡る。そりゃそうだ。彼女の言動から、フィオナが普段からアイリスのことをとても大切に思っていたことはこれまでも伺えた。


 それがどうしてこんな殺し合いの場で相対するようなことになろうものか。


 ただでさえ実の父の妹を倒すという覚悟をしたフィオナに、それはあまりにも残酷すぎることではないだろうか。


「黙ってなさいフィオナ」


 戦意を喪失しかかっているフィオナを押しのけ、ユフィが前へと足を向ける。


「私はあんたのお姉ちゃんほど甘くはないわよ」

「分かってますよ。だからお姉ちゃんが嫌いなんです」


 吐き捨てるようにそう言い放ったアイリスに、フィオナは僅かに目を見開いた。


「そ、そんな……わたくしは……っ!」


 しかしそんなフィオナに目もくれず、件のアイリスはユフィへとずっと視線を向け続けている。


「知っていますか?ウェンズデイの力は、その血を継ぐ一人にしか受け継がれないんです。私はただの無力なただの人間。それが私はずっと悔しかったんです」


 珍しくアイリスがその表情を歪めて見せた。思えば、どこか達観したように退屈そうに言葉を紡ぐ彼女にとって、俺が初めて目撃する感情を露わにした顔だった。


「それがどうしたんですの!?」

「分からないの……?私のお姉ちゃんの癖に」


 そう指摘されてフィオナはまた言葉を詰まらせる。


「分からないでしょうね。ママから貰ったその力を持っているお姉ちゃんには。私には何もないのに。ただでさえママの記憶もおぼろげなのに、ママが残した数少ないウェンズデイの力だってお姉ちゃんが全部持って行ってしまった……っ。私には、ママと私を繋ぐ物は何も残っていないのにっ!!」


 直後、彼女が乗る頭部とは別の頭部が咆哮を上げた。まるでアイリスが露わにした怒りに呼応するかのような絶叫に俺もユフィも、そしてフィオナもその場でたじろいでしまう。


「だから私はアクアマリー様に協力するの。お姉ちゃんからその力が無くなってしまえば、お姉ちゃんと私はママにとって同等。その結果お姉ちゃんが死んじゃったとしても、それはそれで仕方がないんだもんねっ!」


 言葉を切ると同時にアイリスがその手を大きく空へと突き上げる。


「終わらせちゃえっ!そして私はさらなる高みに上るんだからっ!」


 二頭竜の口元に莫大な神性が収束していくのが分かる。その威力は今までで目にしてきた魔法のどれよりも明らかにヤバいというのが一目で分かる。


「ユフィっ!」

「無理っ!あれはどうしようもないっ!」


 ついぞ頼りにしていたユフィにも俺の救援要請は一蹴されてしまう。しかし逃げ場なんてものはこの場のどこにもありはしない。


 ここでついに終わってしまうのか。


「ははははっ!!!!!お姉ちゃんも散々だねぇ!!!!たまたまママに選ばれちゃったせいで、お友達と共に消し炭になっちゃうんだからぁああ!!!!」


 莫大な神性の向こうでアイリスの叫び声だけがこれでもかというほど響き渡る。


「わたくしは、こんな場所で諦める訳には行きませんのよっ!」

「ふっ、そうやっていつまでも強がっていればいいのっ!そしたら嫌でもお姉ちゃんはお姉ちゃんじゃなくならないと死んじゃうんだからさぁあ!」


 ウェンズデイの力を覚醒させないと恐らくその攻撃は防げない。きっとアクアマリーもアイリスもそういう状況にフィオナを陥れることこそが狙いだったのだ。


 そのために港湾部を攻撃し彼女を引きずり出すような真似をしてきたのだ。思えばアイオンホークを手負いにしたのも、ウェンズデイのロケットを取りに行くように仕向けたのも、そして今回の襲撃だってこの状況を作り出すための布石に過ぎなかったのだろう。


「フィオナっ!」


 彼女は今究極の二択を強いられている。人としてそのまま守るべきものを守れぬまま死んでいくか、それとも自らを文字通り殺してまでも神として彼女らの前に立ちはだかるのか。


 運命の前に彼女は今その選択を強いられている。


 だが、そんな決められたレールの上でその選択を迫られることが本当に彼女の歩むべき道なのか。そんなものを選択とは言わない。無限の可能性の中からようやく掴み取ったことこそが運命の選択。


 もし目の前で彼女がどちらかの選択をしたとして、果たして俺はそれが良かったと言えるだろうか。まぁ、前者はもう死んでるし、後者はもう一生フィオナと喋ることが出来ないのだけれど。


「……そんなのは、嫌だな」


 死ぬのも嫌だし、知り合いの美少女がいなくなってしまうのも嫌だ。


 「見守っててくださいます?」そう彼女は俺に告げた。だけどその約束はどうやら守れそうにない。俺は俺のためにフィオナの運命を捻じ曲げる。

 俺がそうあって欲しいが為に、一人の美少女の運命を変えて見せる。見守るなんてごめんだ。だからっ――!


「フィオナ、聞けっ!」


 きっとこれぐらいの我が儘ぐらいは運命神様も許してくれるだろう。じゃないとこんな場面じゃないと役に立たない能力といつまでも付き合ってやる訳にもいかなくなる。


 変えて見せろ、運命を。捻じ曲げてみせろ、決められたルールを。それが例え神様が定めたシステムだろうが、そんなもの俺が取り払って見せる。それが俺の、運命の選び方っ!


「『一生に一度のお願いだ、フィオナっ!君は君の願いのために、その運命を乗り越えて見せろぉおおおっ!!』」


 その声は彼女に届いただろうか。


「……ありがとうございます、アヤト様」


 俺たちの前で二頭竜とアイリスに立ちはだかっていたフィオナは、その声に小さく笑って見せると一つ小さく深呼吸をして見せた。


「無駄無駄無駄っ!どれだけイキがったって何も変わらないんだからっ!やっちゃえっ!マグナぁああスッ!」


 アイリスの声を聞き届けると同時に二頭竜が口元の神性を射出する。港湾区画だけじゃなく下手すりゃこの辺の地形すら変えてしまいそうな攻撃に、それでもフィオナは一歩もその場を動くことはない。


「我が声に応えよっ!アイオンホーク――っ!!!」


 刹那、その声に呼応するように中空から光の柱が落ちてくる。


「っ……!?」


 強烈な炸裂音と共に俺たちの目の前に迫っていた攻撃が霧散する。直後、中空から猛烈な風圧と共に見慣れた巨体が姿を現した。


「よくぞ応えてくれましたわねっ!」

「アイオンホークぅうううっ!!!!」


 巨鳥が大きく咆哮した様を、アクアマリーとアイリスは憎々しげな顔で見つめている。


「い、一体何が……」


 突如現れた巨鳥の出現に俺は状況が理解できずにいる。が、目の前の二人はそうではないようだ。


「お姉さまぁああ!」

「……待たせましたわね、アイリスにアクアマリー」


 フィオナはただ静かにその場に佇んでいる。しかしその体は青い光に包まれ、ふわりと揺れる金の髪はさらにその色を眩いほどに輝かせていた。


「……フィオナっ!?」


 その少女は小さくこちらを振り返り、その綺麗な顔で俺に向けて笑って見せた。


「ちゃんと聞こえましたわ、アヤト様」


 その微笑みが全てを俺に告げていた。彼女が選んだその運命の先を。自らの手で捻じ曲げた選択の先を。


「どうして……乗っ取られるはずなのでは!?」


 アクアマリーもその姿に驚いた顔を浮かべた。それもそうだろう。自らが突きつけ続けていた二択が目の前で崩れ去ったのだ。


「ならば……ならばそのまま、その力を葬ってやるわぁああああ!!!」


 激昂した女神の攻撃は天を滾らせ雷鳴を轟かせる。収束した彼女の力は水柱となって無数に俺たちを貫かんと降り注いだ。


 だがそれも力に目覚めた彼女の前では無力に等しい。


「その程度でわたくしの大切なものたちを失わせることが出来まして?」


 その水柱は美少女の手によってそのすべてが撃ち落とされる。フィオナは告げる。今自分の身に宿した彼女の名前を。母から受け継がれて、そして自らが受け入れた力の名前を。


「海運の女神ウェンズディの名において、あなたを倒しますわ、アクアマリー!」


 その日少女は、彼女の中に眠り続けていた力と完全に一つになった。

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