第48話 役者は集い決戦の幕は開く
アクアマリーが姿を消したヘルグレンジャー邸。攻撃により瓦礫まみれになったこの屋敷の当主の書斎で、俺たちはただの一言も言葉を発することが出来なかった。
明かされた事実、そしてこれから始まるであろうアクアマリーの計画。
きっと、見て見ぬふりをして今すぐにでもこの街を去ってしまうという選択肢もあるのだろう。俺は別にこの街に並々ならぬこだわりがある訳じゃない。
神様なんかと事を構えず穏便にこの世界を生きていくことを選ぶことだって出来るだろう。戦う力なんてなにも持ち合わせていない俺が、神様の神性なんかに逆らおうなんてことがそもそもおこがましいのだ。
ユフィやフィオナとは違う。そんな俺がこの場で一体何をできるというのだろうか。
「……アヤト様」
不意にフィオナが俺の名前を呼んだ。彼女は部屋の隅で小さく震えている。アクアマリーの目的は彼女の殺害。それをもって初めてアクアマリーの計画は遂行されたとみなされる。
自分が神様に殺意を向けられているという不安感は俺なんかじゃ想像できないほどに恐ろしいものだろう。
「……わたくしは、参ります」
だけど、そんな何重にも塗りたくられた恐怖感を背負ってでも、彼女はその弱弱しい体で立ち上がろうとしている。
「止めても無駄なんだろう?」
「もちろんですわ」
そう口にする彼女の心は折れてなどいない。
「だから……見守ってくださいます?」
消え入りそうでもなお、決められたルールを踏み越えようとするその乙女の覚悟を誰が見捨てることが出来ようか。街のためだとか妹のためだとか家族のためだとか。様々な想いが今のフィオナを支えているのなら、出来れば俺もそんな少女の支えになりたい。
「……分かった。見届けるよ、フィオナの背中」
俺の言葉を聞き届けたのか、彼女は小さく口元を緩めると自分の父親へと向き合った。
「お父様」
「……行くのかい?」
「ええ、参ります。だからお父様には先に謝っておこうかと思いまして」
それだけ言うとフィオナはヘルグレンジャー氏の体にその細い腕を回した。
「あの人は、わたくしのおばさまに当たる方なのですよね……」
「本来は、な」
ヘルグレンジャー氏の言葉を信じるなら、アクアマリーの今の宿主はヘルグレンジャー氏の妹に当たる女性だ。もしそんな相手とフィオナが戦うというのなら、それは自分の父の家族に刃を向けるということだ。
「わたくしは、わたくしの都合であの女神を倒すつもりです。都合というよりも、個人的な恨みの方が強いのですが」
そう言ってフィオナは自嘲気味に笑って見せる。育ちのいい彼女のことだ。そんな自分勝手な意見がはしたないことぐらい自覚しているのだろう。そのうえで彼女はその決意を口にする。
「私は……どうしたらいいんだろうな」
妹と娘の命をかけた戦い。それを一体どんな風に眺めていろというのだろうか。渦中の彼の心情を推し量ることなんてできない。それを勝手に推測しようということ自体がおこがましい行為なのだということは明白だ。
人は誰かになることは出来ない。それと同時に、誰かの気持ちに寄り添うということはそれ相応の覚悟が必要な事でもある。
「お父様はただ見守っててくださればいいのですわ。その結末がどういう結果になろうとも、わたくしはただお父様の前で全力を尽くすのみ。ただ……」
そう言って顔を伏せるフィオナの胸中には、とある人物の顔が浮かんでいることだろう。
「あの子だけはなんとしても、救って見せます」
アクアマリーの片腕として動いている彼女の妹。なぜアクアマリーは彼女を気に入り、そしてアイリス自身もそれに付き従っているのかはいまだに分からぬままだ。
フィオナがアイリスに相対した時、その時彼女はその弓を彼女に向かって引くことが出来るのだろうか。もし、そんな場面が起こりえるというのなら……。
「私も行くわ」
その汚名は、俺とユフィで着るべきなんだろう。
「……呼ばれたみたいよ、女神様」
港の方で爆発音が一つ響く。と同時に空を裂くかのような咆哮が一つ。
「わたくしはまだウェンズデイではなくってよ、ユフィさん」
戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。
―――
「アクアマリーっ!」
港に辿り着いた時、既にそこは瓦礫の山と化していた。綺麗に区画整備がされている路面は見るも無残に大きく抉れ、ところどころに逃げまどう人々の姿が見て取れる。
治安維持隊も出動をしているようだが、女神であるアクアマリーの前に為すすべもなくあしらわれている様だった。
「あら、ようやくお出ましね。悠長にしているせいで綺麗な港が台無しになっちゃったわよ」
コの字型に抉れている港湾区画、そのちょうど入り口にあたる海面でアクアマリーはその深海のような深い青のドレスを翻していた。
「あなたが余裕をかましているおかげで怪我人も大勢よ~?」
「どの口がそれを言いますのっ!?」
勘定に身を任せフィオナが背中に背負ったコンパウンドボウを構える。一閃。瞬く間に構築された魔法の矢はつがえられたコンパウンドボウから目にもとまらぬ速度で飛翔しアクアマリーの頭部へ向かう。
「……人の身でわたくしに勝てるというのかしらぁ?」
しかしそれもアクアマリーが左手を振り回した瞬間に最初からそこになかったかのように消え去っていく。
「ウェンズデイの力も、本来の神性を取り戻さないとこの程度ね。面白くないわぁ。だから――」
直後、海面から二匹の巨大なウミヘビが顔を出した。
「私、ペットはたくさん飼いたいタイプなの」
ビーチで戦闘を行ったギライアドラフィンとは比べ物にならないその生き物は、先の二頭竜の首ほどの長さの体躯を誇っている。
足は見て取れないが、あんなデカさの生物が陸上でのたうち回るだけでそれ相応の被害が想定されるだろう。
「くっ……邪魔が入るとは思っても見ませんでしたわっ!」
実質三対一の状況を強いられるフィオナが吐き捨てるようにそう呟くと右手で大きく空を仰ぐ一体のウミヘビに向かってつがえた矢を再び放つ。
「おねんねしてなさいなっ!」
先ほどよりもさらに速度を増したそれはウミヘビの目を的確に貫いていく。が、片目がつぶれた程度で怯むような相手ではなかったようで、持ち上げた首をすぐさまフィオナの方へと動かすとその大きな口元を青白く光らせ始める。
「まずいっ、避けろフィオナっ!」
その攻撃は俺の位置からの方がよく見えた。すぐさまフィオナに指示を出すが無理な体勢で魔法を放ったせいかその出足が僅かに遅れる。
「ユフィっ!」
「もちのろんっ!」
俺の隣の頼れる魔法使いはすぐさま前方へと駆け出すとウミヘビの首元へと右手を向けた。
「デカい蛇ごときがイキってんじゃないわよっ!」
瞬間、デカい頭部の根元が大きく爆ぜると直前まで口元に集まっていた光は空に向かって大きく暴投をかました。
「助かりましたわっ、ユフィさんっ!」
「もっと感謝してくれてもいいのよ」
「なら借りはわたくしが死んだ後にでも返しますわね」
「一生帰ってこない奴じゃないそれ!」
そんな軽口を叩きながらも互いに警戒は怠らない。相変わらず頼りになる二人だと同時に、いつも通りに邪魔にならないところで身を隠している俺が情けなくなる。
「ふぅ~ん。相変わらず興味深い力だけれど、私の欲しい力じゃないわねぇ」
アクアマリーは苦しそうに呻くウミヘビへと寄り添うように動くとその頭部へとそっと手を添えた。
「お生憎様、私の力は誰かにあげるような力じゃないもんでねっ!」
相変わらず余裕そうな水産の女神に臆することなく、ユフィは続けざまにもう一匹のウミヘビの動きをけん制するように攻撃を放った。
「そんなにいじめないであげてくれるかしら?」
「あんたが存在ごとこの場から消えてくれたら、それも考えてやってもいいかもしれないわね」
「……目障りね」
直後、見えない何かがユフィの体を勢いよく弾き飛ばした。
「ユフィっ!」
「だ、大丈夫っ!」
直撃の直前になんとか防御姿勢が間に合ったようでその攻撃は致命傷には至っていない。が、勢いよく地面を滑ったときに切ったのかその柔肌にはいくつもの鮮血が流れているのが見て取れた。
「……強いっ」
「だぁって女神ですものっ!」
ムカつくほどの笑顔を浮かべながらアクアマリーは大声をあげる。
「さぁて、第二ラウンドと参りましょうか」
その声と同時に先ほどのウミヘビたちがさらに殺気立つ。見ればフィオナとユフィの攻撃でつけられた傷も若干ながら癒えているようだ。さすがにそれはチートが過ぎるだろ……。
「いくら立ち上がってこようが捩じ切ってあげるわ」
「右に同じく、ですわ」
しかしどうやらうちのお姫様たちの心は折れていないようだ。
「そんな余裕が果たしてどこまで続くかしらぁ?」
直後のことだった。轟音と共に眩い閃光が沖合に着弾する。
「な、なにがっ――っ!?」
水柱の向こうにそのシルエットは静かに佇んでいた。二頭の大きな首とその頭部に立つ一人の少女。その姿を見間違うはずもなかった。
「ようやくおでましね、私の可愛いアイリス」
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