第47話 そして最後の計画が始まる
乾いた銃声が辺りに響いた。いつの間にかヘルグレンジャー氏はその手に小さなフリントロック式の細長いピストルを握りしめている。
剣と魔法のアトランディアだが、銃火器の類が一切存在しない訳ではない。魔法の使えない人間は時折護身用としてこういった銃火器を身に着けることがあるのだとか。
ヘルグレンジャー氏がアクアマリーに向けたピストルも、そんな少なからずこの世界に流通しているピストルの一つ。銃口から鉛玉を発射し、直撃した相手を殺傷するという至ってシンプルなものだった。
「酷いじゃない。妹を撃つなんて」
だがそんな鉛玉をものともせず、件のアクアマリーは涼しい顔でそうのたまった。
「……私を騙したのか」
元々そんなもので女神が倒せるなんて思ってもいなかったのだろう。ヘルグレンジャー氏はただその場の怒りに身を任せて引き金を引いた。だが直ぐに冷静さを取り戻したのか、淡々とした口調でアクアマリーへと鋭い視線を飛ばしている。
「騙したぁ?この女神である私がぁ?」
「……あぁ、本来君の話では、アクアマリーが真の力を覚醒させればウェンズデイの力を切り離せるはずだったのだろうっ!?」
冷静に語ってはいるが、彼の握りこぶしが固く握られ小さく震えているのを俺は横目で捉えていた。
「そんなことあり得る訳がないじゃない~?」
「だが君はこういったはずだっ!君が真の力を取り戻したとき、ヘルグレンジャー家はウェンズデイの悪しき呪いから解放されると!」
その会話でようやく彼に何が起きたのか俺たちも僅かに理解できた。
ヘルグレンジャー氏の妹を依り代としたアクアマリーは彼にとある取引を持ち掛けた。その内容はおそらく自分が真の力を取り戻したとき、ヘルグレンジャー家が代々引継ぎ続けてきた女神の力の保存先としての役目から解放されるといった内容だろう。
自分が新たな依り代となることで、その力はヘルグレンジャー家から失われてしまう。だが、ヘルグレンジャー氏にとってはそれこそが望みだった。
だがアクアマリーはその一番の前提を口にしなかった。
「……っ、アイオンホークがこの街に現れた時からすでに、君の計画は始まっていたんだなっっ!」
「ええ、アイオンホークはウェンズディポートの守護者。あの鳥が力を失えば、ウェンズデイは嫌でもその力を解放せざるを得ないはずよ。そして私は女神ウェンズディの目覚めたばかりの力を、まんまと手に入れてしまえばこれで完成と言う訳。簡単でしょう?」
そう、彼女が口にしなかったその前提とは――
「その計画やらに妹と娘の命が勘定に入っていなかったじゃないかっ……!」
きっとヘルグレンジャー氏はただフィオナからウェンズデイの力が無くなってしまうだけだと思ったのだろう。
しかしアクアマリーの計画は違った。覚醒したウェンズデイをその宿主ごと殺すことで神性だけを肉体から切り離す。そして新たな依り代として自分自身を捧げることで、アクアマリーはウェンズデイの神性を手に入れることが出来るのだ。
「そ、それじゃあお父様はっ!」
フィオナはそんな話を聞かされて黙っているような女じゃなかった。アクアマリーとヘルグレンジャー氏の間を遮るように駆け込むと、今だ中空にふわりと漂うその女に向けて鋭い敵意を向けたのだった。
「ふぅん。その様子だとまだ覚醒はしていないようね。山でちょっかいかけてあげたけど足りなかったかしら?」
直後、フィオナが立っていた床が突然に弾け飛んだ。
「フィオナっ!?」
慌てて彼女の元へと駆け寄るが、咄嗟のことに体を庇えなかったのだろう。床に転がる瓦礫に打ち付けた頭部からジワリと血が滲み出ている。
「早く目覚めないと覚醒する前に消えちゃうわよぉ?ウェンズデイ……っ!」
アクアマリーの手に青白い光が集まりだす。恐らくあれが先ほどフィオナの足元を襲った正体なのだろう。
咄嗟に彼女を庇う仕草をして見せるが俺の柔な肉体一つで守れるような攻撃じゃないことは一目瞭然だ。
「人間に守ってもらうなんて、女神が聞いて呆れるわね。守るべきものも守れぬまま、そのままおとなしく死んでいくがいいわっ!」
まるで断頭台の刃が落ち来るかのようにアクアマリーの手が鋭くこちらに振り下ろされる。が、そこから放たれるはずの攻撃はついぞ俺とフィオナを貫くことはなかった。
「さっきから聞いてれば……っ、随分と好き勝手に言うじゃない」
俺たちを狙う攻撃の射線を遮るように、ユフィの見慣れた魔法が炸裂したのだ。
「どいつもこいつも身勝手すぎるのよ……。大切なことはちゃんと話せばわかるのに、それを怠って突っ走るからこんなことになるのっ……!振り回される方の身にもなれってのよ……結局みんな自分の望むことばっかでっ!」
そう口にするユフィが今一体どんな顔を浮かべているのか。俺たちの位置からはその表情を読み取ることは出来なかった。
だがその背中だけは明確に何かに対する憤りをしっかりとこちらに伝えてきていた。
「……空間神域魔法、起動っ!」
ユフィが大きく腕を振りかざす。直後、突如空間に見えない何かが現れた。
「これは……」
目視できない謎の力が、瓦礫や本棚、散らばった家具を現れたその一点に向かって猛烈な力で引き寄せていく。それは俺たち自身も例外じゃなかった。必死に近くのものに捕まりながら踏ん張る俺の耳に、ユフィの凛とした声が飛び込んでくる。
「『
声と同時に、まるで突然周囲の時が止まってしまったかのような錯覚を覚える。次の瞬間、轟音を伴って世界に音が引き戻されていく。
何かに引き寄せられて中空に漂っていた瓦礫が無力に転がり落ち、固定されガタガタと震えていた家具が突如その音を止めた。
俺も必死に近くの重たい机にしがみついていた手を放しても、もう既に何かに引っ張られるかのような感覚を感じることはなくなっている。
その魔法に俺は覚えがあった。プリズムウェルで四足の神造種を跡形もなく消し去ったときにユフィが使った魔法だった。
「へぇ……面白いわね」
しかし魔法のターゲットとなった件のアクアマリーは、涼しい顔で先ほどと少しずれた位置で漂っていた。
「……相殺されたっ!?」
そんな彼女に向け驚いているのはユフィだった。確かに規模はプリズムウェルで俺が目の当たりにしたものとは数段も劣っている。きっと俺たちを巻き込まない為の最大限のユフィの配慮だろう。
しかしそれを抜きにしてもユフィは先ほどの魔法がアクアマリーに軽くあしらわれてしまったことに衝撃を受けたのだろう。
「お友達を巻き込まないために出力を抑えたのでしょうけど、その程度じゃ神は殺せないわよぁ~」
「……ふざけないでっ」
その言葉と同時に既にユフィは二発目の発射体制に移行している。が、その顔には疲労の色が見て取れた。そうそう連発できる規模の魔法ではないはずだ。
ユフィも焦っている。ここで奴が引いてくれないと持たないのはこちらのはず。
「ふざけてなんかいないわよぉ。今回はこうしてお話に来てあげただけだけど次は私も本気で行くわよ。そこの子を殺して、ウェンズデイの力を頂いていくわ」
「……させない」
「出来るわぁ、だって私は神だもの。だから早く目覚めなさい。家族のことを覚えたまま死ぬのは寂しいことだもの」
どこか余裕の表情を浮かべていたアクアマリーだったが、最後の言葉だけはなぜか寂しげに口にするのが見て取れた。
それは彼女の宿主の言葉か、それとも神である彼女自身の記憶がゆえか。それを知る機会はきっと俺たちにはないのだろう。
「あら、もう準備が整ったようね。それじゃあ長居する必要はないわ」
「何が整ったんだ」
「ふふっ……直ぐにわかるわぁ~。それじゃあね、無力な人間諸君~」
相も変わらず余裕そうな表情を浮かべたまま、アクアマリーはどこかへと姿を消した。
「力も、この街も、そして家族も。すべて失って消えなさいウェンズデイ」
姿を消す直前、そう言い残したアクアマリーの言葉だけが俺たちの脳裏にいつまでも残り続けるのだった。
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