第45話 真実の背中を追え

「まず初めにどうしても必要な情報があるわ」


 ベッドの上でぼよんと一つ跳ねてみせたユフィは、俺たちを見回しながらそう呟いた。現在の場所はウェンズディポートで俺たちが滞在している宿の自室。固いベッドの上で相も変わらずユフィは険しい表情を浮かべている。


 さて、なぜ固いベッドでユフィがぼよんと跳ねることが出来たのか。否、跳ねたのはユフィ自身ではない。ユフィの胸にぶら下がっているその豊かな二つの大きな丘だ。それがベッドに腰を下ろした衝撃でこれまたたまらないほどに大きくその姿を主張したのだった。


 もちろん本人は気づいていない。しかしながらお生憎と思春期真っただ中な男の子である俺と、そして持たざる者の苦悩ゆえかフィオナもしっかりとその奇跡を凄い形相で目の当たりにしていたのだった。


「……ちょっと、二人ともなんて顔でこっちを見るのよ」

「気にしないでくださいまし」

「……ありがとうございますっ!ユフィさんっ!」

「フィオナはどうしてそんな鬼のような形相でこっちを見てるのか分からないしアヤトにはなんでお礼を言われたのかしら!?」


 それはきっと分からないだろう。だがそれが大きく跳ねることでこの世界には幸福と不幸が同時に生み出されることだけはユフィにもいずれ気づいてもらいたいところだ。


「そ、それで話は戻すんだけど……、あんたたちの話を元にするとウェンズデイの聖具自体が存在が怪しいのよね?」


 ここに戻ってくるまでの道中で、俺は既に下山中に推察したことについてユフィにも話していた。まぁ、推察というよりも妄想に近い類のものなのかもしれないが、ここまで状況があやふやだとその可能性を切り捨てることは出来ないだろう。


「アクアマリーが持ち去ったのはウェンズデイの聖具ではなく、彼女自身の力が収められた聖具」

「そういうことになるな。そして、フィオナの親父さんはそれをなぜか俺たちに隠していた」


 俺とユフィのやり取りをフィオナはどこか気まずそうな顔で聞いていた。確かに後ろめたく思うところもあるだろう。自分の実の父親のおかげで俺たちはまさに九死に一生を得なければ行けないような場面に遭遇させられたのだ。


 だが、裏を返せばあの依頼が無ければ俺たちはこの街を取り巻く状況を打開する糸口を一生手に入れることが出来ずにいたかもしれない。


 そう考えると怪我の功名という奴なのだろうか。状況は明らかにいい方向に転がっているはずだ。


「なら次に気になるのはヘルグレンジャー氏が何故それを隠していたのかということになるわね」

「それに関しては単純に知らなかっただけかもしれない。誰かからあそこにあるのはウェンズデイの聖具だと聞かされていただけということかも」

「……確かめる必要があるわね」

「もう一度会うしかないな、ヘルグレンジャー氏に」



―――



 フィオナの案内でヘルグレンジャー邸へとたどり着いた時、なぜか妙に屋敷内が物静かなのが感じられた。


「……何かあったんですの?」


 フィオナが近くの使用人を捕まえて状況を聞く。使用人の話ではどうやら家出をしていた妹が久しぶりに顔を出したのだという。しかしどうしてそれがこの静けさに繋がるんだろうか。


「……何の目的で」


 使用人は大層喜ばしいことだと顔を綻ばせていたが俺たちは真逆の感想を抱かざるを得なかった。


「アクアマリーの指示だろうか」


 フィオナの妹であるアイリスフィール・ヘルグレンジャーは、現在ウェンズディポートを狙っている水産の神アクアマリーと行動を共にしている。目的は不明だが二人のやり取りは一方的に支配しているというよりはある程度の主従関係があったように見えた。


 恐らくアイリスフィールは自らの意思でアクアマリーに従っている。姿を消していた彼女が今更どうして自らの実家であるこの邸宅に姿を見せたのだろうか。


「それで、アイリスはどうしたのです……?」

「それが……」


 言い淀む使用人。いや、恐らくそれ以上の情報を使用人は知らないのだろう。


「お父様はいらっしゃいます?」

「ええ、旦那様でしたら書斎にいらっしゃるかと……」


 挨拶もそこそこにフィオナの後に続いて屋敷内へと足を踏み入れる。


「使用人の数が少ないですわね……」

「そうなのか?」

「ええ」


 時折メイド服のような姿の女性が見て取れるが、先日訪れた時に比べてその人数は随分と少ないように感じられた。恐らくフィオナの言う通り姿が見えないのだろう。静けさの正体はこの人の少なさだ。


「フィオナお嬢様。それにお客様も」


 フィオナに続いて屋敷内を歩いている時だった。ふと使用人らしき女性が俺達へと声をかけた。


「メイスリー」

「少々よろしいでしょうか……?」


 その女性は声を細めるようにしてフィオナへとそう声をかける。どう対応したものかと躊躇ったのだろう。フィオナが俺へとアイコンタクトを送ってくるのが分かった。


 状況が状況だ。一刻も早くヘルグレンジャー氏へと事の詳細を尋ねなければならない状況で他のことに気を取られてしまってもいいのか。


 そうフィオナの視線が告げている。だが、このタイミングで現れた屋敷の使用人。恐らくアイリスフィールにも遭遇している可能性が高い。彼女からアイリスフィールの話が聞けるかもしれない。そう思うと彼女を無視してヘルグレンジャー氏の元に向かうのが最適であるとは思えなかった。


「分かりました、聞きましょう」


 気づけば俺はそう口にしていた。




―――



「改めまして、ヘルグレンジャー家の使用人を務めておりますメイスリーと申します」


 場所を移して俺たちは今屋敷の応接室にいる。ご丁寧に目の前のメイスリーさんが人払いをしてくれたようでこの部屋に近づく人間は誰もいないらしい。


「それで、状況はどうなっていますの?」


 不安そうに尋ねるフィオナに向けてメイスリーさんは淡々とヘルグレンジャー家の現状を告げていく。


「今日のお昼ごろでしょうか。突然妹様が屋敷に戻られまして……」


 妹様。恐らくアイリスフィールのことだろう。


「旦那様としばらく二人でお話をされてまた姿を消されたようです。使用人たちはまた妹様がお戻りになられると喜んでおりましたがどうやらそうではないようで……」

「使用人が屋敷に少ないのと関係がありますの?」

「妹様が居なくなられるのと旦那様が突然使用人に暇を言いつけられまして。幸いにも私はメイド長としての仕事がありましたので屋敷は最後に去ることになったのですが」

「そんな話は聞いてませんわっ!?」


 メイスリーさんの言葉にフィオナが驚きの声を上げる。そりゃそうだ。ヘルグレンジャー氏がそれを告げた時、俺たちは絶賛山登り中だったのだから。


 ということはアクアマリーがこの屋敷を訪れたのは俺たちに山で会う直前ということになるのか。なぜ彼女はこの場に現れたのか……。


「それでお父様はなんと!?」

「それが、理由まではお答えいただけなかったもので。屋敷にいた使用人たちには相応の手当が支払われることになっております。それを言われてしまうと雇われている手前わたくしどもからそれ以上のことは旦那様には……」


 それでこの屋敷がどこか閑散として見えるのか。もう時刻は夕方も遅い時間。屋敷を去ってしまっている使用人も大勢いるのかもしれない。 


「もしかしたら旦那様は、何かを為そうとしているのではないでしょうか……」


 ぽつりとメイスリーさんがそんなことを呟いた。


「何かを為そうとしている……?」

「ええ、私にはそうとしか思えません。まるで自分自身が居なくなってしまうかのように。今回の使用人の暇も、その最初の段階としか私には思えません」


 メイスリーさんの言葉にフィオナが考え込むような仕草を見せる。俺たちはさっきが初対面だが、この屋敷の人間ということはフィオナは彼女と付き合いが長いはずだ。そんな彼女がメイスリーさんの言葉を真に受けているということは、きっとその言葉には信頼できる何かがあるのだろう。


「ウェンズデイ絡みの事でしょうか……?」

「ちょ、フィオナっ!?」

「大丈夫ですわ。メイスリーさんはわたくしの事情を知っております」


 咄嗟に声を荒げるユフィを、フィオナは片手で制した。そうか、フィオナとメイスリーさんの繋がりは俺たちが思っている以上に深いのだろう。


「申し訳ございませんフィオナお嬢様。わたくしの口からはこれ以上のことは……」

「いえ、助かりましたわメイスリー」


 そういうとフィオナはメイスリーさんに向かって思い切り抱き着いた。


「きっとお父様にはこのことは口止めされていたのでしょう。それを話してくれて感謝しますわ」

「とんでもございません。私はいつまでも、お嬢様の使用人です」

「……ありがとう」


 絆の結び方は人それぞれ。それはきっとこうした主従関係の中にも確かに存在しているのだろう。


「絆……か」

「どうしたの?」


 どうやら口に出てしまっていたらしい。キョトンとした顔でユフィがこちらを見つめていた。


「いや、何でもない。でもようやくこれで……」


 四者四様の視線が交差する。その目に秘めたのはきっとこの異変に立ち向かう勇気と覚悟。


「メイスリー、お父様のところに案内していただけますか」


 俺たちは確実に真実に近づけているはずだ。

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