第44話 高貴さはドレスを選ばない


「なんつーか、変わらないな」


 あれから一時間。なんとか山を駆け下りた俺たちの前に広がっていたのは、今朝と変わらぬウェンズディポートの街並みだった。


 どんよりとした曇り空は隙間から太陽の光が差し込むほどには明るくなっており、雨上がりの街道にはそれなりの通行人の姿も見て取れる。


「山で何があったのかこの様子なら誰も知らぬ存ぜぬのようですわね」


 きっと土砂降りの雨によってかなり視界が悪くなっていたに違いない。それならばフィオナの言う通り街から山の状況を確認することは難しかっただろう。


 問題はあのでかい二頭の竜が何故見つからなかったのかという点だが、沖合から山を回り込むようにして飛べば街からの視界を遮ることが出来る。きっと奴らもその方法をとったに違いない。

 

 あの状況だと悪戯に街を混乱に巻き込んだところで何のメリットも見当たらないからだ。それに、あの地はアイオンホークの住処とも言われている。

 

 それを知らない彼女達じゃないだろう。きっと奴らもそれを警戒して事を荒立てることは避けたかったはずだ。


「そろそろ詰め所ですわね」

「そっか、なんか見覚えがあると思ったら」


 先ほどまで俺に寄り掛かるように歩いていたフィオナも時間経過によって大分気力の方が戻ったみたいだった。いつの間にか俺を先導するように前を歩いており、すっかりと先ほどの萎れた様子もどこへ行ったのやらという雰囲気だ。


 彼女にがっしりとホールドされていた手が身軽になり歩きやすくなったのはあるが、密着した時に腕越しに感じられた彼女の柔らかな感触が無くなってしまって残念でたまらない、というのはここだけの話。


「とりあえず下山の報告だけでもいたしましょうか」

「そうだな」


 俺たちは山に入る前に入山許可証を治安維持隊の詰め所で貰っていた。気のいいあの男の隊員はまだいるのだろうか。


 出発前に心配して声をかけてくれたし、戻ってきたのであれば挨拶ぐらいはしておくのが筋だろう。


「失礼します」

「失礼いたしますわ」


 詰め所へとたどり着いた俺たちは開口一番入山許可証を返却しにとカウンターに歩み寄る。


「あ、あの……」


 するとどうだ。建物奥から出てきた事務員らしき女性がやたらと驚いた表情でこちらを見つめているのが分かった。


「どうかしましたか……?」


 そんな問いかけをする俺とは違い、フィオナはすぐに現状を把握したようだ。


「その、シャワーをお借りすることはできますでしょうか?」


 その言葉で俺も直ぐにそれに気づいた。


「……あっ」

 

 ぬかるむ地面を転がり落ち、おまけに土砂降りの雨に打たれた俺たちが今どんな状況に置かれているのか。それがすっかりと直前まで頭から抜け落ちていたのだった。



―――


 

 泥だらけの俺たちが治安維持隊の詰め所を訪れてから30分ほどが経っていた。先にシャワーを浴び終えた俺は先ほどの事務員らしき隊員の女性に案内されたソファでぼんやりと時間を潰していた。


「ふぅ……。さっぱりいたしましたわ」

 

 近くのテーブルへと乱雑に置かれていた本に目を通していると、ふと俺の後ろから女性の声が聞こえてくる。振り向けばそこには頭を乱雑にタオルで拭うフィオナが立っていた。


「お、長かった……な……」


 こうしてみるとなんというか、改めてフィオナは美少女だということを思い知る。肩まで伸びた金髪はしっとりと濡れていていつものふわふわとした雰囲気はない。が、それがまた妙な色っぽさを醸し出している。


 おまけに身に着けている服はきっとその辺の女性職員に借りたのだろう。僅かに大きめのTシャツに随分とぶかぶかのカーキ色のスウェットと来たもんだ。今の彼女を見てフィオナがヘルグレンジャーのご令嬢だと見抜ける人間は何人いるだろうか。それぐらいなんというか今の彼女は庶民然としている。


 が、それでもやはりちょっとした仕草から滲み出る高貴さのようなものは消し去ることは出来ないようで、そのギャップがより一層彼女のぱっと見の美しさを惹きたてているように感じられた。


「……どうしたんですの?」


 ふと、そんな彼女に魅入っているとタオルの下から出てきた二つの眼が俺を捉えたのが分かった。


「や、あ、いや、怪我の具合はどうかなって……」


 ついつい視線が釘付けになってしまっていたことを誤魔化すように声を上げる。


「ちょっとだけ擦り傷と打撲痕が残ってしまいましたわ……」


 しかしその視線についぞ彼女は気づくことなく、フィオナは残念そうにそう呟いた。


「この辺なんですけど……」


 そう言ってTシャツの裾をめくると僅かに鬱血した脇腹をこちらに晒す。Tシャツの下から突如現れた柔肌には薄い擦り傷と若干紫色に滲む患部が見て取れた。


「ちょ、いきなり女の子がそんな場所を見せるんじゃありませんっ!」


 急に裾をめくり上げるもんだから俺はそんな傷よりもその出来事にテンパってしまう。が、やっぱり男の子だもの。拝ませてもらえるものはきっちりと拝ませてもらった。ゆえにその傷跡がくっきりと目に入ってしまったのも必然だ。生々しい傷跡に思わず目を逸らしてしまいそうになる。


「アヤト様はその程度で狼狽えるような男の人でしたの?」


 ジト目のフィオナと思わず目が合う。


「……それはどういう意味でしょうか」

「ユフィさんでてっきり見慣れているものと」


 あれ、もしかしてフィオナにも俺とユフィの関係が勘違いされてる感じでしょうか。


「別にそんなことは……」


 勘違いうんぬんはいったん置いておいて、見慣れているかいないかと言えば、実際のところ見慣れていないとは決して言えないぐらいにはユフィの際どい格好には遭遇している。


 が、多分フィオナが言っているのはそういうことじゃない。俺とユフィの関係だけだったら違うと答えるのは嘘ではない。嘘ではないが……単純にそういう場面に遭遇しているのか否かという問いに関してはノーと答えると嘘をついていることになる。


 俺は誠実な男だ、特に美少女に関しては。そんな俺はこの場合どちらと答えるのが正解なんだ。考えろ、考えれば……。えっと、最初の問いに関してイエスと答えるとあれがこうだから……。


「フィオナ、うちの馬鹿に余計なこと言わないで頂戴」


 考えすぎてこんがらがってしまった頭をなんとかほぐそうと粘っていると、何かがこつんと後頭部を小突くのが分かった。


「……ユフィさんっ!」

「え、はっ!?」


 フィオナの嬉しそうな声に振り向いてみれば、そこには見慣れた顔が苦笑いを浮かべていた。


「ユフィっ!良かった……無事だったか!」


 二頭竜の攻撃以来行方知れずとなっていたユフィがそこには五体満足の状態で立っていた。


「無事で何よりだ」

「……私の心配もせずに可愛い女の子といい感じになってたのはどこの誰なのかなぁ?」


 その言葉に全力でその場を立ち上がると、俺は高速で地面へと由緒正しきポーズで頭をつける。ジャパニーズ土下座という奴である。


「大変に申し訳ございませんでした」

「……まぁ、いいわ。それより二人とも無事でよかったわ」


 どうやら俺の誠意は伝わってくれたようだ。


「ユフィさんこそ。はぐれて行方知れずになってしまっていたので……」

「私ぐらいになるとあれぐらい余裕よ……なんてね」


 そう言いながらユフィは僅かに足を庇うようなしぐさを見せた。そりゃあんな状況だ。完全に無傷というほうが無理があるだろう。


「わたくしはアヤト様と一緒だったのですが、ユフィさんは一人だったのでしょう?」

「アヤトとあの森の中二人っきりだったのっ!?変な事されてない!?」

「してねぇよっ!」

「…………無かったと思いますわ」

「間っ!なんなの今の間っ!」


 そしてなぜかこちらの襟を絞めるユフィ。口を開いたのはフィオナなのにどうして俺が絞められてるんですかねぇ。ってか少しずつ絞まってそろそろげん、か……。


「ちょちょちょユフィさんっ!アヤト様が真っ青ですの!」

「あ、ごめんやりすぎたわ」


 やりすぎて窒息死させられたらたまったもんじゃないんですけど。


「まぁ、とにかくようやく三人集まったわ。ちょっと気になったことがあるから報告しておこうと思うの」

「お、俺たちも、だ……」


 こうしてやっとのことで情報交換が可能になり、ようやく俺たちを襲った敵への対抗策を考えることができるのだった。

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