第43話 神が造りしシステム

 歩くのもやっとなフィオナに腕を貸しながら、俺たちはぬかるむ山を下っていく。


 あの攻撃の最中に俺が斜面を転がるだけで済んだのは、魔法が地面を激しく抉る直前にフィオナが俺を庇ってくれたからだった。そのせいで彼女はここまでボロボロになってしまっている。


「やっぱり欲しいよな……」


 そんな彼女を見ていると改めて思う。俺だって誰かを、なんて欲張りなことは言わない。せめて自分自身のことだけでも守れる力が欲しい。


 いつまでも彼女達の力を頼るままだと、俺がいるだけでその戦場が不利になるという状況に繋がってしまう。


「……どうしたんですの?」


 キョトンとした顔を浮かべるフィオナに、俺は「何でもないよ」と答えた。


 本当にそれで納得したのか、それとも何か思うところがあったが口をつぐんでくれたのか。フィオナはそのまま何も言わずに俺の腕を抱く力をちょっとだけ強めたのだった。


「それにしても……」


 洞窟でのフィオナの話。何か引っかかることがあったのはどうしてだろうか。ウェンズデイがフィオナの母親であったこと、その力がフィオナ自身に受け継がれていること。そしていつかフィオナ自身の意識はウェンズデイに乗っ取られてしまうこと。それを知っていた先代のウェンズデイはそうなる前に自らの娘たちの前から姿を消したこと。


 何かが引っ掛かる。今回の依頼だってそうだ。ウェンズデイの聖具を手に入れるためにやってきたところをアクアマリーと名乗る神に襲撃された。おまけにフィオナの妹とでかい神造種を伴なって、という最悪のおまけつきだ。


 フィオナの妹、確か名前はアイリスフィールと言ったか。彼女がなぜ向こう側に付いているのかも不明だ。あの時の様子から見てフィオナに聞いても分からないだろう。


 何かがおかしい。


 状況から見たら簡単だ。この街を守っていた海運の女神ウェンズディ。その力を求めて水産の女神アクアマリーがこの街を襲撃した。目的はウェンズデイの聖具を手に入れること。


 水産の女神……もしかしてビーチの襲撃も彼女の手はずなんだろうか。


「アヤト様……?」

「ん、どうかしたか?歩くペース速かったかな?」


 見ればフィオナがどこか不安そうな表情でこちらを見つめていた。俺はその顔から不安を取り除かんといたって気丈に話しかける。


 が、相変わらずその顔色は優れない。


「そういえば聖具について何か知らないか?」


 こうなったら女の子を笑顔にすることよりも状況を整理することを優先するべきだろう。その果てにフィオナが笑っていてくれるのならそちらの方が大切だ。


「聖具についてですか……?」


 ウェンズデイの力が保管されている聖具。俺はプリズムウェルで似たものに出会っている。豊穣の女神ヘカーティアの聖具だ。確かあれはランタンのような形をしていたが……。ヘルグレンジャー氏の話では今回の聖具はロケットらしい。


 きっと聖具に形は関係ないのだろう。神自身に思い入れのある形をしているのか、それとも機能上それに適した形をしているのか。


 なぜフィオナの母親はロケットを聖具に選んだのだろうか……。彼女自身の力を込めるのにそれが一番相応しかったのだろうか?


 娘にウェンズデイの力を託した後、彼女はその聖具をどうするつもりだったのだろうか。


「……待てよ、ウェンズデイの力?」

「何か気がかりなことでも?」

「気がかりというか、ウェンズデイの力はフィオナ自身に受け継がれるはずなんだよな?」

「そう聞いておりますが」


 ヘカテーさんが自らの力を聖具に保管していたのは、神性の保管とプリズムウェルへ加護を行き届ける意味合いが大きかったはずだ。それは彼女自身の力が衰えていたが故の苦肉の策だったのだろう。


 しかしウェンズデイはどうだ。彼女自身に力の衰えは無かったはずだ。ウェンズディポートの人々は今だ彼女を海運の神として崇め、この街の大きな産業である貿易業の行く末を彼女に祈っている。


 力の衰えなんてものはあり得ない。なら何をその聖具に込めたんだ……?


「……違う」


 違う違う違う。そもそもの前提が間違っていたんだ。他の神の力を手に入れてより強大な神となる。そんな前提がそもそも間違っていたんだ。


 そうなるとあの人もグルだ。いや、知らなかったのか……?これは無事に街に戻れたら本人に問い詰めるしかない。


「アヤト様、どうしたんですの……?ちょっと先ほどから雰囲気が少し……」


 いつの間にか考え事にふけっていたようだ。ただでさえ険しい獣道を俺はさらに逸れようとしていたらしい。ぐいとフィオナに引き寄せられるようにして戻った足取りにようやく俺は思考の迷路から抜け出せた様だった。


「いや、さすがに考えすぎかなって思うんだけどさ……」

「何がですの?」


 こちらを見つめるフィオナに向けて、俺はどうしても気がかりだったことを告げることにした。もしこれが事実なのなら、まず俺たちの考えの前提が覆ることになるのだから。


 アクアマリーは知っていた。だから直接自らあの場所に足を運んだのだ。配下のアイリスフィールに手に入れさせるのではなく、自分自身の手でそれを入手するために。


「フィオナ、あの場所に保管されているのは本当にウェンズデイの聖具なのか……?」

「……は、……えっ?」


 フィオナは戸惑いの声を上げた。そりゃそうだ。父親から告げられた言葉が嘘だなんて誰が思うだろうか。あそこにウェンズデイの聖具が保管されているのだ、と聞かされればそう思ってしまうのが必然だろう。


 だがそれを直接目にしたことのある人間はあの場にはいなかった。いや、辛うじてヘルグレンジャー氏は知っていたのかもしれないが、それも本人に聞いてみない事には分からない。


「な、何故そう思われるのです!?」

「……おかしいと思わないか。女神ウェンズディは当時自らの力の保管方法として娘に代々力を継承させていく方法を選んだ。即ち次代のウェンズデイというのは女神候補であると同時にある種の聖具の役割を果たすはずなんだ」

「それはつまり……」

「そう、今のウェンズデイの聖具とは、君だよフィオナ」

「そんな……」


 海運の女神ウェンズディ。彼女が生み出した神のシステムは物体としての聖具を必要としない。自らが女神であり聖具の役割を果たすのだ。


 即ちあの場所にあった女神ウェンズディの聖具というのは本来であれば不必要な代物。それをなぜアクアマリーは手に入れようとしているのか。ウェンズデイという神のシステムを知らなかったならあり得よう。


 だが彼女には右腕としてアイリスフィールが存在している。彼女もれっきとしたヘルグレンジャー家の娘だ。ウェンズデイのシステムを彼女が知らないはずがない。


 つまりアクアマリーはアイリスフィールからそのシステムを聞かされていてもなんら可笑しくはないのだ。


 なのにアクアマリーはあの場所に現れた。


「……あそこに保管されていたのは、ウェンズデイの聖具ではなくて、アクアマリーの聖具だったんじゃないのか?」

「なっ、そんなことが……っ!?」

「奴は自らの神性を入手することでウェンズデイを倒し、その力を手に入れることによってこの街の加護者へとなり替わろうとしている。そう考えることが出来ないか?」


 それともこの前の亜神様のように俗物的な理由があるのかもしれないが、きっとこの状況じゃ理由なんて何だっていいのだろう。


 問題は、”アクアマリーが完全なる力を手に入れた可能性がある”という一点に限る。


「じゃあアイリスはなぜウェンズデイに逆らうようなことを……?」


 フィオナは妹がなぜ向こうに付いているのか分からないといった様子だ。それについては俺も同じ。しかし一つだけこれも推測が出来る。


「アイリスには無かったんじゃないか?ウェンズデイの力の継承が」


 俺の言葉にフィオナが口をつぐんだ。ビンゴだ。きっとアクアマリーはそこを付いた。アイリスを唆し自らの力の一部を与えたのだろう。これは俺だから言えることだ。きっとアイリスも求めたのだろう。力を。誰かを守れるその力を。その誰かまでは、俺が答えを出せるような問題じゃない。


 アクアマリーの力にはきっと生物を操る力が含まれている。シャンベルビーチにギライアドラフィンをけしかけたのもその力を使用したのだろう。そしてその権能の一部をアイリスにも貸与しているはずだ。


 でなければ神造種を操れるアイリスの力に説明が付かない。自らの意思かどうかは分からない。だが一つだけ言えることがある。


「どうすれば妹を救えるのでしょうか」


 もし妹とウェンズデイ。そのどちらもを守りたいと願うのならば――


「俺たちは、今から神殺しをしなきゃならなくなるな」

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