第42話 君が君である為の空

 ここに逃げ込んでどれぐらいの時間が経っただろうか。


 土砂降りの雨は相変わらず地面を穿つように降り注いでおり、洞窟出口のすぐ傍の地面には斜面を伝うように細い川のようなものが出来上がっていた。


 雨が上がる様子は一向になく、どんよりなんて表現じゃ表せないほどの空を覆う真っ黒く濁った雲はまるで今の俺たちの置かれている状況のようだった。


「アヤト様は海運の女神ウェンズディについてどこまでご存じですか?」


 相も変わらず俺に寄り添いながらぼんやりと正面の土壁をフィオナは見つめていた。


「……あまり知らないな。ウェンズディポートを作ったこととアイオンホークの生みの親ってことぐらいかな」


 思えばこれだけ名前を耳にする機会に出会っているというのに件の女神さまのことをよく知らない。神というからにはきっと何かの信仰の対象だったはずだ。それが彼女が冠する”海運”に関する事柄なのだろうということは推測できるが、それによって一体彼女がどんな力を手に入れたのかまでは不明だ。


「古くからこの街は豊富な海洋資源によって一定の賑わいを見せていたそうです。しかし入り組んだ地形のこの街では、その海洋資源を輸出する方法が無かった。先にビーチを襲撃したギライアドラフィンをはじめとして多くの獰猛な大型海洋獣が遠洋を跋扈しているせいです」


 歴史。フィオナの口から語られようとしているのはウェンズディポートの歩みだった。


「そこで人々は願いました。ああ神様、どうか私たちにこの海を平和に渡らせてはくれないだろうか。海洋資源を輸出することが、この街の人々は自らの生活がより豊かにすることに繋がると知っていたのでしょう」


 確かに、聞けばこの街はアトランディアの多くの国々と貿易を行っている。街の資源を輸出し、そして他国の貿易品を通商連合内に運び入れる。そのルーチンがこの街をここまでの一大貿易港として育て上げた。そこに海運の女神ウェンズディの神性が介入してる。


「その望みの果てに生まれたのがウェンズデイだと?」

「ええ、そうですわ。アヤト様はご存じでしょう?このアトランディアの神々がどうやって生み出されるのか」

「人々の信仰……」

「ええ、ウェンズデイはこの街の人々が幸せを求めた一つのゆく果てなのです」


 その言い回しが妙に引っかかってしまったのはどうしてだろうか。まるでそれが不幸に続く道筋かのようなフィオナの口調がどうしても気になってしまう。


 ウェンズデイはこの街に幸せをもたらす神ではないのか?


「何か言いたげな顔をしてらっしゃいます?」

「……バレた?」


 女の子は鋭い。それを俺はこの短時間で身に染みるほど痛感させられている。全くそんな素振りなんてしたつもりもないのに、今俺の横で小さくクスリと笑みをこぼす少女にはお見通しだったらしい。


「ウェンズデイは望まれて生まれた存在じゃないのか……?」


 その問いかけにフィオナが僅かに強ばるのが触れた肩越しに伝わってくる。


「アヤト様も大概鋭いんじゃありませんの?」

「俺なんかがそんな訳ないだろ?俺はただのどこにでもいる一般人だよ」

「一般人は神様についてそんな他人事のようには話しませんわ。あなたにも信仰を持つ神がいらっしゃるはずでしょう?」


 はて、どうしたものか。トゥルフォナ様に関しては信仰しているというよりはどちらかというと厄介事を押し付けてきた奴という感覚の方が正しい。


 漫画や小説だと大概こういう存在が黒幕だったりするのだが、今のところ俺にはどうもそうは思えない。まぁ、それもこれも未だに一度もお目にかかっていないからこそそう思えるのかもしれないが。


 そうなるとどちらかというと俺が信仰に近い感情を抱いているのはヘカテーさんの方が適切だろう。まぁ、尊敬を信仰と言い換えることが出来るのかはまた別問題だが。


「どうだろう……。俺には心から崇拝している神様はいないって言えるけど、それでもお世話になった神様はいる。その神様がいい人だったからそう考えがちなのかも。俺にとっては神様は信仰というよりも尊敬なんだよ」


 そう、ヘカテーさんは本当にいい加護神だった。誰よりもプリズムウェルを愛し、そして誰よりもその街に住む人々を愛した。だから俺は彼女のそんな生き方を尊敬してる。


 待てよ、もしかしてウェンズデイはそうじゃないのか……?


「ウェンズデイはこの街にどうあって欲しいんだ……?」

「どうでしょう。今となっては分かりませんわ。それとも、もしかしたらもうちょっと時間が経ったら分かるのかもしれませんわね」


 随分と含みを持たせた言い回しをするもんだ。彼女にとっては母親の事だろうに。いや、待てよ。もうちょっと時間が経ったら分かる……?


 フィオナは知っているのか?自分の母親の居場所を。……違うな。なぜ彼女が女神ウェンズディの力をそこまで使えるのか。彼女は口にしたじゃないか。ウェンズデイの力は受け継がれていくものだと。


「教えてくれ、フィオナ。君は……、いや、違うな。ヘルグレンジャー家の血筋は、代々ウェンズデイに選ばれるのか?」


 フィオナの体がびくりと震える。ビンゴ。なぜ彼女があそこまでの神性を操れるのか。それはつまり”彼女自身が次代の女神候補”だったからだ。力を受け継がれる先は、ウェンズデイの候補と血を分かつ存在であるいうことだ。


「なるんだな、君は女神に」

「…………全く、鋭すぎる男の人はそれはそれで問題ですわね」

「悪いな。それ以外のことはてんで鈍感なんだが」

「鈍感な人は自分でそれを口にしませんわ」


 呆れ声をあげながらフィオナは近くの枯れ木をすっかり小さくなってしまった焚火の中に投げいれた。


「この港にウェンズデイポートという名前が付いた時、街の統治者になったのはとある漁師の夫婦だったそうですわ」

「漁師の夫婦……?」


 なぜそんな人物が街の統治者に?元々権力があったのか、それとも何か特別な出来事があったのか……?


「女神ウェンズディは、その夫婦と契約を行いました」

「契約?」

「ええ、代々その家に生まれる娘にウェンズデイの力を託すこと」


 それがつまり、今のヘルグレンジャー家。フィオナのご先祖様に当たるということか。


「ウェンズデイはどうしてそんなことを?」

「恐れていたのでしょう。自らの力が信仰の減少によって消えてしまうことを」


 信仰の減少による神としての権能の低下。豊穣の女神ヘカーティアがその力を発揮できずに居たのを俺は身をもって体験している。その結果プリズムウェルには未曾有の危機が訪れようとしていた。


 ウェンズデイはそれを事前に防ごうと計画をしていたのだろう。


「だから権能の保存先としてその血を継ぐ者たちを選んだということか……?」

「そういうことですの」

「君の母親が消えた理由というのはそれじゃあ」

「ヘルグレンジャー家の女性は、ある一定の時期を過ぎるとウェンズデイに意識を取り込まれてしまうのです。そして自らの役目を果たすためにその身をこの街に捧げる」


 つまりフィオナの母親、先代のウェンズデイはその力が目覚めてしまったがゆえに家族を残して消えてしまった、ということか。


「それじゃあ今のご当主は婿養子ってことか?」

「はい、お父様は通商連合の西の商家の生まれですの」


 なんとも複雑な家庭事情だ。やはりお屋敷でその辺のことに触れないでいた俺の勘は正しかったようだ。たかだが18のガキに他人の家族の事なんておいそれと口にできるようなもんじゃない。


「でもどうしてフィオナの母親は姿を消したんだ?」

「……分かりませんわ。と言いたいところですが、今なら何となくお母さまの心情も分かります」


 小さく息を一つ吐くと、フィオナは誰かを想うように薄暗い洞窟の天井を仰いだ。その視線の先に誰がいるのかなんて言わなくたって分かるだろう。


「ウェンズデイの力が目覚めると、その依り代が抱いていた記憶は失われてしまう。お母さまは無くしたくなかったのでしょう。家族との記憶を」


 そして、彼女達との記憶が消えてしまった姿を大切な娘に見せたくなかった。だから先代ウェンズデイは姿を消した。自分自身が傷つかないために。そして娘たちを傷つけないために。


 それが正しい行為なのかどうか俺には分からなかった。だがフィオナはその事実を受け入れつつも心のどこかではいなくなった母親に対して思うところがあるのだろう。


 そして、それが次は自分の番であることを恐れている。


「……怖いんですの。わたくしがわたくしで無くなってしまうことが。お父様の事、アイリスの事、そしてこうして出会ったアヤト様とユフィさんの事。それが全部なくなってしまうことが、わたくしはたまらなく怖いっ……っ!」


 その思いの丈を吐き出すようにフィオナが俺に抱き着いてくる。そんな話を聞かされた手前その行為に邪な感情が起こる訳もない。


 俺は小さく腕の中で震えるフィオナの体に手を回す。


「……アヤト様はわたくしがわたくしじゃなくなってしまっても、わたくしのことを忘れないでいてくれますか?」


 神様は確かにこの世界の根幹をなすシステムだ。それが誰かの幸せを作り、誰かの平和を守り続けている。だが、もしそのシステムが誰かに割を食わせるのなら、そんなものにそこに生きる人間が振り回されて良い訳がない。


 もし神様というシステムがフィオナをただ苦しめるだけなのならば、俺がそんな運命を捻じ曲げてやる。俺は世界なんてもんよりも、腕の中で震える美少女を守れるような男でありたい。


「それはできない相談だ」

「どうしてですの……?」


 縋るような眼でこちらを見つめるフィオナ。そんな彼女の両肩に手を回すと俺は力強く告げるのだった。


「だってこれからもずっと、フィオナはフィオナのままで居続けるからだ。君をウェンズデイなんかにさせない。俺がフィオナに、そんな魔法をかけてやる」


 雲の隙間から差し込む光が洞窟内へと差し込んできた。見れば雨脚は弱まり、空を覆っていた分厚い雲も少しずつどこかへ姿を消そうとしている。


「そろそろ雨が止む。行こうフィオナ。この街と、そして君の未来のために」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る