第41話 雨宿りは非計画的に
「ぅ……ぁあ……っ……ぁ」
目覚めると辺りは土砂降りの森の中だった。痛む体に何とか鞭を打ちつつ周囲を見回す。すると大きく抉れた土の向こうに見覚えのあるドレスの裾がちらついているのが見えた。
「ふぃ、ふぃお……なっ……っ!」
激痛を上げる右足を引きずるようにして彼女の元まで辿りつく。俺に気づいたのかフィオナは苦しそうにこちらへと手を伸ばしてきた。
水も滴るいい女なんてのはどこの誰が言ったのやら。しっとりと濡れた髪が綺麗な顔に張り付き普段の色気とは違う魅力を惹きたてている。が、それ以上に頬にいくつも入った擦過傷に憤りを感じてしまった。
それ以外にも手足には打撲痕のようなものも見て取れる。街に行けば治癒魔法が使える魔法使いがいるのだろうが生憎と今は山の中。しかもどこまで飛ばされたのか分からないというおまけつき。跡が残ってしまったらそれこそ大変だ。
こんな時に頼りになりそうなユフィの姿も今はどこにも見当たらない。先ほどの攻撃で完全に分断されてしまったようだ。こんなことでくたばるような女じゃないということは分かっているがそれでも心配な事に違いない。
だがまずは自分たちの身の安全を確保するのが最優先だろう。
「……立てるか?」
「……ぁやと……様」
何とか両足で立ち上がろうとするフィオナだが、直後に力が抜けたのか右ひざから大きく地面に崩れかけた。
「背負うよ」
咄嗟に彼女の体を支えた俺はそのままフィオナを背中に背負う。いつ奴らがこちらに来るか分からない。おまけにこの雨だ。ダメージを負った体にはこの冷たさは毒に近い。
背中に背負った温もりを確かに感じながら俺は少しずつ前へと進んでいく。まずは雨宿りが出来るような場所を探さなければ。
「アヤト様……申し訳ありませんわ……」
「気にするな。手も足も出なかった俺が一番悪いんだ」
「……ごめんなさいっ……っ」
「大丈夫だって。だから今はゆっくりしてな」
肩から首元へと回された彼女の手が少しだけ力強くなるのが分かった。しばらくして彼女の声が聞こえなくなる。恐らく目でも閉じたのだろう。
「……また女の子に謝らせてしまったな」
思い出すのはプリズムウェルでの一幕。街を襲った神造種と対峙した時のユフィのセリフだった。あの時も俺は女の子からの謝罪を受けていた。
対峙した四足の神造種をもう一歩のところまで追い込んだユフィが、しかし力尽きようとしたときに俺に言ったセリフだ。
「……何がごめんだ……っ。俺が一番何も出来ていないじゃないか……。それなのにどうして……」
無力な俺に何も言わない彼女たちに対してふつふつと湧き上がる罪悪感。せめて罵声の一つぐらい浴びせてくれた方がまだましだ。
「……ん、あれは?」
どうしようもない憤りを抱きながらしばらく歩くと、目の前にぽっかりと空いた洞窟のようなものが目に入った。
俺の身長よりも僅かに高い天井は覗くと奥にちょっとばかりのスペースが空いていた。岩盤が崩れたか、長年風雨に晒されてできたのだろう自然の洞窟だ。覗いてみれば中に野生動物の姿はない。ここならなんとか一時しのぎはできそうだ。
「フィオナ、ちょっとごめんな」
俺は彼女を横穴の一番奥の壁へと立てかけるようにして下ろす。彼女の綺麗なドレスが雨と土で汚れきっているのが目に入った。
俺は背負った荷物から医薬品をいくつかと念のために持ち込んでいた大きめの布、そして火打ちの石を取りだした。
出かけるときは何に使うか分かったもんじゃなかったがユフィはもしかしたらこんな事態も想定していたのかもしれない。さすがに旅に慣れている彼女だ。こういう時は本当に頭が上がらない。
土砂降りと言っても大木の下にはまだまだ乾いた場所が残っている。俺は簡単にそこから幾つか大きめの石と乾いた折れ枝や枯草を集めるとそれを持って再び洞窟へと戻る。
火をおこすのは思ったよりも苦戦した。こういう時に火を扱える神性があると便利なんだろうな、とも思ったが無いもののことを今考えてもしょうがない。
フィオナはいつの間にか目覚めていたのか、俺の作業と土砂降りの外を交互にぼんやりと眺めていた。
「気分はどうだ?」
「……最悪ですわ」
そりゃそうだ。急にヤバい奴に襲われたと思ったらそのままよくわからん攻撃で吹き飛ばされる。おまけに目覚めたら雨でびしょ濡れときたもんだ。
「服、脱ぐか?」
「ななななな!?」
先ほどまでぽつりぽつりと口を開いていたフィオナの顔が急に真っ赤に染まりあがるのが分かった。
「ここここんなところで大胆ですわっ!?」
「あ、いや、ちが…………。うん、違うと思う」
「なんの間ですのっ!?」
ぴったりと雨で張り付いてしまっているせいでフィオナのボディラインがこれでもかというほど浮き上がっていることに、俺は最初に目覚めた時から気づいていた。
気づいてはいたが状況が状況なだけに見ないようにしていた。が、改めてこうして一つ落ち追いてみるとどうしてもそちらに視線が行ってしまうのが男の性というもので……。きっとあれが下着のラインなんだろうなとか思ったよりも安産型なんだなとかそういう邪念が先ほどから渦巻いてやまない。
言ったら即ぶん殴られるか距離を取られるかだと思うが。
「そのな、でも濡れたままだと気持ち悪いだろ?俺は上着だけ脱ぎゃいいけどフィオナはそうはいかないし……。警戒したくなる気持ちは分かるがせめて火の近くにだけは寄ってくれ」
「分かりましたわ……」
女性というのは思ったよりも男の視線に敏感らしい。きっとフィオナだって俺がどこを見ていたのかなんとなく察していたのだろう。恐らく自前の小さな布で簡単に体を拭うとそのまま先ほど俺が手渡した大きめの布を羽織ってこちらへと近づいてきた。
「ふぅ……」
女の子って言うのは俺が思っているよりも強い。俺の邪な視線に対してもいっそ開き直ることにしたのだろう。それに実際襲われたなんてことがあったとしてもきっとフィオナなら大概の相手だったら返り討ちにできるはずだ。
その数少ない例外が今回の相手だったと言う訳だ。
「……妹でしたの」
どう声をかけたものかと逡巡していた俺に気づいたのだろう。彼女はぽつりとそう口にした。
「アイリスフィール・ヘルグレンジャー。三か月前から行方不明になっていたわたくしの唯一の妹。それがなぜかあの場所に二頭竜を伴って現れた。そんな状況に遭遇したわたくしの心情を察してくださいます?」
俺の右腕に暖かいものが押し付けられた。
俺に体を預けるようにフィオナが寄り掛かってきたのだ。突然のことにドギマギする俺だが、それがバレないようにと何とか平静を保っているように見える努力だけはして見せる。
それに、そんなことを二の次にできてしまうぐらいには先ほどの状況には聞きたいことだらけだった。
「……尋ねたいことはいっぱいある。もしかしてフィオナはあの場所に君の妹が現れることをなんとなく予感していたんじゃないのか?」
「……予感。どうでしょうか。初めてあの二頭が現れ、街の上空でアイオンホークと戦っていた時、妹はその近くに居ましたわ」
そう言えばあの日、俺はフィオナと港で出会っていた。あれは妹が心配なお姉ちゃんがその姿を追いかけて来ていたのだろう。
その時からフィオナはもう知っていたのだろう。唯一の妹がなぜかこの港湾都市を襲撃した側に付いているということに。
「どうして彼女はあちら側に……?」
あちら側。上手い表現だとは思えないがどうしても今のフィオナに直接的な表現はしたくなかった。彼女は戸惑っている。ずっと探していた妹が帰ってきたと思えば、敵として明確な意思を持ってこちらを攻撃してきたのだから。
しかも恐らくあのアクアマリーと名乗る女神は、ウェンズデイの力を狙っている。
いや、状況からしてもう奪われてしまったといっても過言ではないだろう。
「なぁ、教えてくれフィオナ。ウェンズデイの力って言うのは一体何なんだ?君の契約神じゃないのか……?」
気にはなっていた。女神ウェンズディは数年前に姿を消した、とはユフィの言だ。それにヘルグレンジャー邸での父娘のやり取り。まるでウェンズデイの正体は――。
「アヤト様は薄々感づいていらっしゃるのではないですか?海運の女神ウェンズディは個として存在していない。それは代々受け継がれていく力なんですの」
……やはりそういうことか。ユフィがあそこまでフィオナの力を気にかけていたのも納得がいく。彼女の力は神様から神性を借用して放たれる力に収まらない。それはまさに神の力そのもの。
「今姿を消している女神ウェンズディは、数年前に行方をくらましたわたくしのお母さまのことですの」
そしてフィオナは、そんな神様の血を引いているということだ。
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