第38話 そうだ、お屋敷に行こう

立派なバトン車に揺られ数十分。辿り着いたのはそれはそれは立派なお屋敷だった。


 ちなみにバトンというのはアトランディアに生息する馬のような生き物である。体躯がいい割りにおとなしく、それでいて耐久性もあるためキャラバンやこういった車を引っ張る生き物としてよく使われているらしい。


 俺たちを迎えに来たのも、立派な黒いバトンに引かれた一台の車だった。この世界には俺が想像するようなガソリンや電気を使った車は存在しない。つまり、この世界では車と言えばこのバトン車を指すことになる。


「すげぇ……」

「こりゃまた随分とご立派な」


 その建物の外観に圧倒されたのはなにも俺だけじゃなかったようだ。俺に続いて車から降りてくるユフィもきっと今の俺と似たような表情を浮かべているんだろう。


「旦那様がお待ちです」


 立派なスーツ姿の男性が俺たちを屋敷の中へと案内する。


 これまた外観に違わぬ立派な玄関を抜け、現れたのは映画にでも出てくるかのような広々としたエントランス。両脇には二階に続くなだらかな階段があり、大きく吹き抜けになった向こう側には二階の廊下が見て取れた。


 そして俺たちが立っているエントランスの脇には複数の扉があり、その一個一個に事細かな装飾が施されている。


「こちらに……」


 導かれるように俺たちはその扉の中でも一番手前の扉に案内される。部屋に入る際、ちらと立派なその装飾が目に入った。鷹のような鷲のような、荒々しくも誇り高そうな一羽の大きな鳥の姿がそこには施されていた。


「ようこそ。わざわざ足を運んでいただいてすまないね」


 扉の中では、部屋に置かれた丸テーブルの向こう側で一人の男性がこちらに笑みを浮かべていた。


「いえ、こちらこそご招待いただきありがとうございます、その……ヘルグレンジャー氏」


 ヴェルドルト・ヘルグレンジャー。海運都市ウェンズデイポートの実質の統治者であるヘルグレンジャー家の現当主その人である。


 そして――


「いきなり呼び出したりして済まないね、アヤト君にユフィ君、で合ってるかな?」


 俺たちをこの場に呼び出した張本人である。


「お初お目にかかります、ユフィと申します」


 彼の言に合わせるようにユフィが丁寧にヘルグレンジャー氏へと頭を下げる。それに倣い俺も同じように自らの名前を名乗った。


「ナナサキ・アヤトです。この度はご招待いただきありがとうございます」


 目的も何も分からない。なぜ自分たちがこの場に呼ばれたのか皆目見当もつかないのだ。もしかしてフィオナの慎ましやかな胸元を隙あらば眺めていたことがバレてしまったりしたのだろうか。


「ユフィ君はファミリーネームはないのかい?」

「あぁ、すみません。私は契約神の意向でファミリーネームを捨てておりますので」


 そう言ってユフィは申し訳なさそうに目を伏せた。


 っつかそんな事初耳なんだが。思えばどうして今までそのことを俺は気にも留めなかったんだろうか。いや、必要なかったといえばそれまでなんだが……。


 それにしても契約神の意向ねぇ。こっちもこっちでまた訳あり臭い。


「さて、君たちを呼び出したのはほかでもない。先のシャンベルビーチの件で随分と助力してもらったという話を聞いてね」


 なるほど、俺たちがここに呼び出されたのはその件についてか。それにしても随分と耳が早いことで。昼前にシャンベルビーチで襲撃を受け、その後俺が寝込んでいたのは三時間ほど。現在時刻は体感で17時ちょっと前といったところだろう。


 それまでにヘルグレンジャー氏に俺たちの情報が入り、そして泊っている宿まで突き止めたということか。


「治安維持隊が随分と楽をさせてもらったみたいじゃないか。あれはうちの直轄部隊でね、隊長が随分と君たちのことを買っていたよ」


 そうか、ヘルグレンジャー家はこの街の実質的なトップだ。街の防衛部隊である治安維持隊が彼の直轄の部隊であるということも言われてみれば当然のことだ。


 そこから上に情報が上がって、俺たちの事がすぐに公になったという流れな訳だ。


「いえ、たまたまその場に居合わせただけだったので。お力になれて光栄です」

「君たちがいなかったら今頃あの海洋獣どもに街に押し入られていたかもしれない。そう考えると頭が上がらないさ」


 そう言ってヘルグレンジャー氏は近くの椅子にゆっくりと腰を下ろすように座り込んだ。


「立ち話もなんだ、君たちも腰を掛けるといい」

「お言葉に甘えて失礼します」

「お、同じく……」


 それにしても、先ほどから随分とユフィはこういう会話がこなれている。実質、さっきまでのヘルグレンジャー氏との会話は全てユフィが執り行っていた。


 俺なんて自分の名前を名乗って以降適当に相槌しか打てていないというのに。


「それで、私たちが今回ご招待いただいた件については……」

「なに、身構えることじゃないさ。ただその礼をと思ってね」


 そう言ってヘルグレンジャー氏は先ほどから部屋の隅で直立不動で待機している黒服の男に視線をやった。


「こちらを」


 そんな彼の意図を汲んでか、黒服によって俺たちの前になにやらじゃらじゃらと音のする麻袋が差し出される。


「これは……?」

「街を救ってもらった報酬だ。遠慮せず受け取って欲しい」


 不躾に中を見ると、そこには大量の金貨が輝いているのが目に入った。ヘカテーさんから旅の支度金として受け取った額の軽く五倍。これなら一切の依頼を受けずに俺とユフィなら三か月は過ごせることになる。


「……多すぎないか?」


 そっとユフィに耳打ちすると、彼女も思うところがあったのかヘルグレンジャー氏にジャブを打つように言葉を投げる。


「こんなに多くは受け取れません。私たちはしがない旅人ですので」

「そう遠慮しないでくれ。街を救った功労者をないがしろにしたとあらばヘルグレンジャーの家名に傷が付いてしまう。それに、娘の件もある……」


 先ほどの朗らかな態度が一変。ヘルグレンジャー氏は寂しそうに彼女の名前を口にした。


「フィオレンフィーナと共にアルペンザから戻ってきたのは君たちなのだろう?侍女から聞いた」

「えぇ、そうですがそれは別に下心があった訳じゃなく……」

「分かってる、分かってるんだ……」

「それならより一層このお金は受け取れませんっ」

「でも、私にはそれぐらいしかできないんだ。私は、父親失格の男だからな」


 この街一の為政者の背中がどんどん小さくなっていくのを、どういう気持ちで俺は見ればいいのか分からなかった。


「それは……」

「あぁいや、すまない、みっともないところを見せてしまったな。それと一つ、君たちの力を見込んだ上で依頼をお願いしたいのだが……」

「依頼、ですか?」


 一体どんな内容なのか、それを尋ねようと俺が口を開きかけたそんな時だった。


 ものすごい音と共に部屋の扉が勢いよく開かれる。


「お父様っ!」


 そこには息も絶え絶えに険しい表情をした少女が立っていた。


「し、失礼しましたわ。お客様がいらっしゃっていたとは存じませんでした」「

「ふぃ、フィオナっ!?」

「ってアヤト様にユフィさんじゃありませんか!」

 

 状況を飲み込めていないのかフィオナは自身の父親に鬼のような形相で迫っていく。


「いったいどういうことですのお父様!」

「ま、待てフィオレンフィーナ。私が彼らを招待したのだ、ビーチでの件で礼を言いたくてな」

「っ、……そういうことですのね。申し訳ございません、わたくしの早とちりでしたわ」

「あぁ、フィオレンフィーナも傷一つ無く戻ってきてよかった。さすがは海運の神託を受けた子だ」


 壊れものに触れるかのようにフィオナを撫でるヘルグレンジャー氏の態度が、どうもよそよそしく映ってしまい気になってしまう。先ほど彼が口にした、父親失格の男という発言と何か繋がりがあるのだろうか。


 権力者の父と娘。互いに色々と相いれない事情というのがあったりするのかしないのか。まぁ、あまりよそ様の家庭の事情を詮索するのは良いことじゃないだろう。


「それで急に飛び込んできたりしてどうしたのよ」


 そんな状況に切り込んだのはユフィだった。確かに、あのおしとやかなご令嬢があんな顔色で飛び込んでくるなんてよほどのことだろう。


「そ、それは……っ」


 言い淀むフィオナをよそにヘルグレンジャー氏が口を開いた。


「フィオレンフィーナにも後から伝えるつもりだったのだ。だがその様子だと侍女あたりが話したのだろう。この際だ、二人と一緒にフィオナも同席なさい」


 何か言いたげだったがそれを何とか飲み込んだのだろう。苦々しい顔を浮かべながらフィオナも近くの椅子へと腰を下ろす。


「さて、依頼の話に戻ろう。その依頼というのはとあるものを持ち帰ることだ」

「とあるもの?」


 ヘルグレンジャー氏は静かに続ける。


「この度ようやく見つけることが出来たのでね。我が妻ながら厄介なことをしてくれたよ」

「っ!」

「家族を置いていなくなってしまうなんて、まったく情のない母親だ」


 直後だった。先ほどまで何やら静かに話を聞いていたフィオナが怒りに任せヘルグレンジャー氏へと弓を向けた。


「お母様を侮辱することは許しませんわっ!」

 

 ビーチで見た光の矢。それが今ヘルグレンジャー氏を射貫かんとキリキリと音を立ててうねりを上げていた。


「よせ、フィオナっ!事情は分からんがいったん落ち着けっ!」

「アヤト様に何が分かるというのですかっ!」


 そりゃ分かる訳がない。が、実の父親に弓を向ける行為が正しいことだとも俺には思えない。


「落ち着け、頼むから弓を下ろしてくれ」


 席を立った俺はそのまま流れるようにヘルグレンジャー氏を狙うフィオナの射線へと立ちふさがる。


「頼む、な、落ち着いてくれ」

「……っ、わたくしのことなんて、誰も想ってくれませんのねっ!」


 そしてフィオナはそれだけを言い残すと部屋の扉を突き飛ばす勢いで姿を消したのだった。


「……ヘルグレンジャーさん」

「皆まで言わないでくれ。悪いのは全部私なんだ」


 そう口にしたヘルグレンジャー氏は、まるでこの世の全ての罪を背負うかのようなどこか悟ったような顔をしていた。


「依頼の内容に戻ろう。それがきっとこの街の、そしてフィオレンフィーナの心を癒してくれるはずなんだ」


 誰にだって人に言えない事情というのが存在する。本来はずけずけと踏み込んでいっていいものじゃない。ましてや家族の間の事情なんて猶更だ。


「依頼の内容を聞きましょう。それで、俺たちは何を持ち帰ればいいので?」


 だったら俺たちに今できることは、今手の届く範囲のものに少しずつ真摯に向き合い続けること。


「ロケットだよ。無骨だが想いの籠った、小さなロケットだ」

「……誰のです」

「聞かなくてもわかっているだろうに。君たちはなかなかに意地が悪い」

「お生憎と、今目の前で友人が傷つきましたので」

「娘は本当にいい人たちに出会えたようだ」


 ヘルグレンジャー氏は小さく笑みをこぼすと、意を決してその持ち主の名前を口にした。


「君たちに運んで欲しいのは海運の女神ウェンズディ。その力を保管した聖具だ」

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