第35話 シャンベルビーチ防衛

「……来る」


 激しく波打つ海面を見つめながら俺は腰のブロードソードを引き抜いた。お世辞にも決して格好が付くような抜刀ではなかったが、今俺の身を守ってくれる唯一の力だ。


 馴染むように調整の利いたグリップを改めて握り直すと、俺は小さく隣のユフィに視線を動かす。


「いい、アヤト。私たちの目的は時間稼ぎよ。あいつらの殲滅じゃないわ」


 遠くの方では敵襲を知らせるサイレンがけたたましく鳴り響いている。しかしユフィの声はそんな騒音をものともせずに俺の耳へと届くのだった。


 その声を聞き逃さないようにと無意識のうちに神経を張り巡らせていたのだろう。それが戦いに生かされればいいのだけれど。


「さっきの監視ボートもあの異変にはすぐに気づいているはず。むしろ最初に見つけたのはさっきの警備艇かもしれないわね」


 なるほど、先ほど俺たちの前を跳ねるように飛んでいった治安維持隊の哨戒が恐らくあれをいち早く見つけたのだろう。


 ということは、既に街の部隊には目の前のあれは既に報告されているとみていい。


「じゃあ援軍が来るまでが俺たちの仕事って訳か」

「そゆこと」


 直後、先頭を泳いできた一頭が海面から体を出した。


「……っ!?でかいな……っ」

「飲まれちゃだめよ。私たちが引いたら街が被害を受けるんだから」

「わ、分かってる……っ」


 思わず右足が一歩引いてしまいそうになるのを何とかこらえる。遠くからでもそのサイズ感は確認できていたのだがいざ至近距離で目の当たりにするとより一層そのスケールの違いが感じられる。


 プリズムウェルで遭遇した四足の神造種に匹敵しようかという大きさ。それが数十匹単位で襲ってくるのだから俺の恐怖も察していただけるだろうか。


「びびんなっ!男の子っ!」


 隣のユフィから檄が飛ぶ。直後、ユフィが手をかざした先で見慣れた爆発が一つ上がった。先頭を泳いでいたウミヘビの体の一部が弾け飛ぶ。ギライアドラフィンとユフィが呼んだその海洋獣は一つ大きく苦しそうな叫びをあげるが怯むことなく再び海岸線へと侵攻を続ける。


「外したっ!?」


 見ればユフィにも焦りの色が浮かんでいる。いつもの彼女だったら的確に頭部を狙えていたはずだ。それが出来ないのは、奴らのそのスケール感と数の多さに逡巡したからなのだろう。


 しかしさすがは場数を踏んでいるだけはある。一発目を外した直後、すぐさま彼女は距離を修正して二発目を放っていた。


「まずは一匹っ!」


 先ほどよりも規模の大きな爆発が先頭のギライアドラフィンの頭部を文字通り弾けさせた。


 大きく崩れるギライアドラフィン。頭部を失ったことで先ほどのようにはもう悲鳴も上げられない。なぜならそれを発するはずの口元が既に肉片となって海中に飛び散ろうとしているからだ。


「アヤト、なんとか後続の気を引いてっ!」

「んな無茶言うなよっ!?」


 なんて言いながらも既に俺の足は前に駆け出している。さっきのユフィのカッコよさを見て竦んでいた足がためらいもなく動き出したのだ。


 大丈夫、背中は彼女に任せりゃ問題ない。だから俺はあいつが動きやすいように状況をかき乱せばいいだけだ。


「はぁあああああああああ!!!」


 後続の一体が波打ち際に既に足をかけている。ユフィの言葉通りあいつらにはやはり足ともひれともいえない部位が存在していた。


 自重を支えるにはやや不安に見えるが、それでも上陸されて動き回ることが可能なのなら十分以上にこの街の脅威になる。


 そのひれの付け根にめがけて俺は思い切り剣を振り下ろす。切っ先から鈍い感触が伝わるとともにすぐにそれが軽くなるのが分かった。


 大きな悲鳴が一つ上がる。俺の攻撃に驚いたギライアドラフィンがすぐさま後ずさるように海面へと戻っていく。直後に胴体部から爆発が上がった。


「やるじゃない」

「おかげさまでな」


 互いに視線を合わせぬまま、俺は再び砂浜に取られそうになる足を何とか前へと突き動かす。先ほどの個体はその痛みから後続に道を譲るように後退したが致命傷には至っていない。


 深海の水圧に耐えるために進化を遂げたがゆえか、どうやら奴らの表皮はかなり頑丈に仕上がっているらしい。


「これでも喰らってろっ!」


 再び上陸を試みる一体へ次はその脇腹に剣を突き立てるように抉りこませる。が、直前に俺に抵抗されたことに警戒してかそいつは俺の動きに明確に反応してみせていた。剣が刺さる直前に大きく身を捩ったせいで俺の刺突はその切っ先20センチほどが肉を掠めるだけの結果に終わった。


「下がってっ!」


 上手く体勢を崩すことが出来なかったことに焦った俺の耳にユフィの声が飛び込んでくる。状況もわからぬままその声に導かれるように咄嗟に俺はその場から後ろに転がるように後退する。背中を思い切り砂浜へと打ち付けるが、柔らかい地面が幸いしたのかそこまで痛みも感じない。


 戦闘中に負傷しなかったことにほっと胸を撫で下ろすが、それよりも俺が安堵したことがもう一つ。


 先ほど俺が立っていたはずの地面が大きく抉れていた。


「わりぃ、何が起きたっ!?」

「あーもう、そんなこと昔書いてた本に書いてなかったっ!」


 悲鳴にも似た悲痛な声が背中越しに聞こえてくる。大きく抉れた地面は僅かにぬめりを帯びており、どこか焦げ臭さにも似た不快な臭いが周囲に漂っている。


「魔法よ魔法っ!海洋獣が魔法使えるなんて私ファンタジーだと思ってたっ!」


 俺から言わせたら魔法そのものがファンタジーなのだけれどそんなこと言うとまたややこしそうなことになるから黙っておいた方が良さそうだ。


「とにかく、あいつらばんっばん魔法使ってくるから全力で避けろっ!」


 いやいや、そんな無茶をおっしゃらないでくださいなユフィさんや。こちとらただの一般人ですよ。その辺分かってて言ってらっしゃるんでしょうか。


「被弾したら死ぬからねっ!」


 前言撤回。どうやら無理で道理を蹴っ飛ばさないといけない場面に遭遇したようです。全く、本当にこっちにきてからロクなことがない。まぁ、美少女に囲まれたりなんだりと報われないことが無かった訳ではないけれど。……それでチャラになると思うなよ、運命神様よぉ。


「とにかく走るっ!俺はお前しか頼りにできないからなっ!」


 それだけ言い残し再び足を前に向ける。ところどころ穴が開いているところを見るにどうやら他の個体も攻撃を開始したようだ。しかしそれをなんとかユフィがいなしている、と言ったところだろうか。


 見れば海岸奥の方でも戦闘が開始されていた。


 どうやら治安維持隊の先遣部隊が現場に辿り着いたようだ。これで俺たちが相手をするのは実質目の前のこいつだけってことだ。


 一発。たった一発だけ、ただそれだけユフィの魔法があいつの頭部を捉えればいい。それまでの時間を全力で稼げばいいだけだ。全く、シンプルで分かりやすいな。


「さぁ、かかってきなっ!」


 煽るように手の甲を目の前の化け物に向けるとそれを小さく手前に数度倒す。俺の挑発なんて意にも介さないだろうが知ったこっちゃねぇ。これは俺の決意表明だ。


 咆哮一つ、水弾一つ。


 鋭い視線で俺を睨みつけると、直後ギライアドラフィンは明確な殺意を持って俺に魔法を放ってくる。事前に着弾地点に当りをつけるとすぐさまその範囲から逃れるように足を動かす。


 それを数度。その一発一発が致命傷ってんだからこの世界ってのはなんとも生きにくい世界だ。


「捉えたっ!」


 何度も表面に攻撃をはじかれ続けていたユフィがついに渾身の一声を上げた。


「爆ぜろぉおおおおおお!!!!」


 叫び声一つ、爆発一回。


 先ほどの乱射された水球とは違い、今度は文字通りその爆発は一度で敵を仕留めた。


「完璧だユフィっ!」

「まぁ、私に任せりゃこんなもんよ」


 ユフィに向けて小さく親指を立てて見せた、その時だった。


「アヤト、避けてっ!!!」


 視線の先のユフィが悲鳴にも似た声を上げる。


「えっ……」


 完全に安心しきっていた。だから気が付かなかったのだ。崩れ行くギライアドラフィンが死に際に空中に放ったその魔法に。


 視線の先には高速でこちらに飛来する水の槍が見て取れた。数瞬の後、あれはきっと俺の体を貫くのだろう。


「ま、っずっ……っ」


 どう動いても間に合わない。完全に死を悟った俺はそれでも抵抗を試みようと体を動かす。が、それもきっと無意味なのだろう。


「諦めるような時間ではありませんわよ」


 覚えのある声がどこからともなく聞こえてくる。直後、俺を貫くはずだったその槍が突如空中で砕け散った。まるで何かに射貫かれたかのように。


「全く。アヤト様はわたくしを助けてくれるはずではなくて?これじゃあ逆ですわね」


 そこにいたのは一人の少女。肩まで伸びた柔らかな金髪、どこかつんと鋭い目元、真っ赤なドレスから伸びた白い手足。


「ふぃ、フィオナ……?」

「ええ、あなたのフィオナですわ。なんちゃって」

 

 とびっきりの美少女が、そこには小さく微笑んでいた。

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