第32話 フィオレンフィーナは笑えない

  乱雑に道を塞ぐ瓦礫群を乗り越えて、入り組んだ港湾部をなんとか駆け抜けた先に彼女はぽつりと立ち竦んでいた。


「フィオナ」


 俺の掛け声に僅かに肩をびくつかせたかと思うと、視線の先の女の子はおずおずとこちらを振り向いた。


「……アヤト様?」

「様なんて止してくれよ。友人だろ?」


 その声掛けに彼女は何とも言えない表情を浮かべると再び視線を海上へと戻す。


 そこには未だに激戦を繰り広げる二対の神造種が特撮映画さながらの動きを繰り広げながら互いを滅さんと動き回っていた。


「どうしたんだよ、そんな顔で。何かあったか?」


 追いかけてはみたもののどうしていいのか分からない。彼女の表情からその心境を察することが出来なかった俺はしばしその様子に逡巡すると迷った挙句近くのボラードへと腰を下ろした。


 ちなみにボラードってのは船を括り付けておくための港によく置かれている突起のようなものだ。いい男が足をかけるためのあれと言ったら分かりやすいだろうか。さすがに俺は自分がいい男じゃない自覚があるので足をかける機会なんて来ないだろうが。


「……いえ、別に大したことじゃありませんわ」


 そう言ってのけるフィオナだったが大したことがない奴が必死の形相で街なかを全力疾走するとは思えない。おまけに彼女の恰好は動きにくい白地のドレスだ。


 足元もローファーらしきものを履いている。そんな恰好で瓦礫散らばるあの道路を息も絶え絶えになりながら走るにはそれ相当の理由が必要なはずだ。


「……言えないことか?」

「ごめんなさい」


 その言葉を、俺は最初の問いかけへの肯定と受け取った。俺たちは何かあったけどそんなに気軽に話せるような間柄じゃまだない。そんなところだろう。


 どうにもユフィやヘカテーさんとの一件で女の子との距離感の詰め方がバグってるような気がする。元居た世界の時だってただでさえこんな美少女とお近づきになる機会なんてなかったというのに、それがこうも頻発するとこちらとしても逸っていることに自分自身で後から気づくことが増える。


 今だって俺は決して彼女にとって必要な存在ではないのかもしれない。それがたまたま面識があったからって追いかけたこと自体がおこがましいことなのだろうか。


「そうか、なんか邪魔したようで悪かったな」

「……そんなことはありませんわ。追いかけてきてくださって嬉しかったですわ」


 社交辞令だろうが、彼女はぽつりとそう呟いた。俺が腰掛けている位置からはフィオナの表情が上手く見えない。その視線は未だにウェンズデイポート沖合へと注がれている。


「あの、さ」


 そんな社交辞令に俺が洒落た返答が出来る訳もなく。それだけ口にして妙に気まずい空間が俺たちの間を流れていく。


 時折海から吹きすさぶ激しい風にドレスの裾をたなびかせながら、それでもフィオナは岸壁の縁ぎりぎりに立ち海を眺めていた。


「もし、自分に大切なものを守れる力あったなら……」


 ふと、おもむろにフィオナが口を開いた。


「もし自らにそのような力がありましたら、アヤト様ならどうなさいますか……?」


 彼女の口から出てきたのは、そんな漠然とした問いかけだった。


「俺に、大切なものを守れる力があったなら……か?」

「はい」


 それはきっと、今の俺にとっては喉から手が出るほど欲しい力なのかもしれない。プリズムウェルでは結局最後に戦っていたのはユフィとヘカテーさんだった。その間の街の防衛だって実際に前線で剣を振るっていたのは街の衛兵たちだ。


 コラガンさんに鍛えてもらったからと言ってそれは本格的な戦闘訓練でも何でもない。


 俺のこのよくわからん力だって、いざというときどういう使い方をしていいのかいまだに不明だ。


 俺は、俺自身の意志で誰かを守る力を振るうことが出来ない。このひと月の間いろんな場面でそれを痛感させられ続けていた。


 もし、フィオナが尋ねるそんな力が自分自身に備わっていたのなら、きっと俺は迷わずそれを使うんだろう。守られるだけというのは、無力だということはこの世界じゃあまりにも辛いことだ。


「俺ならきっと使うよ。もしそれで、誰かを守れるのなら……それはきっと良いことなんだと思う」

「……そう、ですわよね」


 その肯定の言葉は、まるでフィオナが自分自身に何かを言い聞かせるかのようだった。


「ならもし、わたくしが危ない場面に陥ったとき……、アヤト様はわたくしを助けに来てくれますか?その、大切なものを守れる力で」


 不意に彼女がこちらを向いた。最初に出会った時に感じた意志の強いその視線が、今はどこか力なくうなだれているようにも見えた。


「当然。俺は可愛い女の子はみんな守っていくたちなんだぜ?」


 そんな力もないくせに、俺はただ美少女にカッコつけたがってそう答えた。


「……ふふっ、冗談ですわ。それに、きっとアヤト様よりわたくしのほうが強いですわよ?」


 俺の返答に僅かに驚いたように目を見開くと、次の瞬間その綺麗な顔をくしゃくしゃにしながらフィオナは笑った。


「いや、まぁ……そりゃそうなんだろうけどさ」


 初めて出会ったあの夜、彼女はまるで空を飛ぶかのように建物の屋根に登って見せた。きっとあれが彼女の魔法の一部。応用が効きそうないい魔法だと思う。それに、彼女のその立ち振る舞いからはいくつもの修羅場を抜けてきたからこそ出せる余裕のようなものも感じられる。


 きっとフィオナもユフィと同じように、俺の何倍も高みにいるんだろう。


 あれ……じゃあなぜ、どうして彼女はそんなに何かに怯えるかのような言動や問いかけを見せたんだろう。


「なぁフィオナ……」


 その真意を問いただすために口を開いたそんな時だった。


「な、なんですのっ!?」


 突如ウェンズデイポートの沖合から耳をつんざくような爆発音が聞こえてきた。これまでも戦闘の余波はこれでもかというほど伝わってきていたのだが、その音はそれを軽く凌駕するほどの威力だった。


 爆発の衝撃と振動で地面に打ち付けられる俺。見ればフィオナも咄嗟に体勢を落とし両足から展開させた魔法で地面に踏ん張りを聞かせている。


 あの魔法、ああいう使い方出来るんだな。……って感心している場合ではない。見れば沖合ではアイオンホークが大きく体勢を崩していた。


「アイオンホークが……!」


 悲痛なフィオナの叫びが響く。ウェンズデイポートの現在の守り神。そんな奴が堕とされるなんて事態が起きたらこの街は一体どうなってしまうのか。


 しかしその後二頭竜の方の異変も直ぐに目に入った。


「首が取れてやがる……」


 二頭竜の左半身側の首、細く伸びたその先にくっついているはずの頭部がどこにもない。見れば体勢を崩すアイオンホークの口元に、それが力なくだらりと咥えられているのが目に入った。


「やったのか!?」

「いえ……」


 思わず小さくガッツポーズを浮かべる俺にフィオナがぴしゃりと俺の言葉を否定する。


「あの程度で死ぬような神造種ではないでしょう。それにアイオンホークも死に体ですわ。仕留めきれるとはとても……」


 最後の力を振り絞るように残された右側の頭の口元に神性を集める二頭竜。直後、放たれたそれは追撃態勢に入ろうとしていたアイオンホークの左翼をこれでもかというほど的確にぶち抜いた。


「これは……」

「まずいですわね……っ」


 互いに痛み分け。逃げるように積乱雲の中に逃げ込む二頭竜をアイオンホークは追うことはしない。被弾した左翼を労わるように大きくウェンズデイポート上空で旋回したアイオンホークはそのまま二頭竜とは真逆の山岳地帯へと姿を消したのだった。


 こうしてウェンズデイポート上空で行われた神造種による激戦は一端の終わりを告げた。


 しかし最後まで二頭竜の目的とそれをけしかけた奴の正体は分からない。


「それではアヤト様。わたくしはこの辺で失礼いたしますわ」


 アイオンホークの姿が消えるのを見届けると、フィオナは寂し気にそう呟いた。


「帰るのか……?」


 そんな問いかけに彼女は曖昧に笑って見せる。彼女はこの街の権力者のご令嬢。家に帰っても色々と苦労することはあるのだろう。俺はその時の笑顔をそんな風に受け取った。


「また再び……いえ、違いますわね。運命神のお導きのもとに。ごきげんよう」


 足元に神性を圧縮するとそれを勢いよく放出させる。その反動を利用してそのままフィオナはどこかへと姿を消した。そういえば、あんな移動方法があったのならどうして街なかを走って移動なんてしてたんだろう。


「まぁ、いいか。俺もユフィと合流するか」


 踵を返して俺も元の場所へと戻る。道中、俺の脳裏を駆け巡っていたのはフィオナが去り際にぽつりと独り言のように呟いた言葉だった。


「アイリス……私があなたを……守って見せますわ」


 大切なものを守れる力その力の裏で、彼女はどんな意思を秘めているのだろうか。

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