第29話 その空に巨鳥は舞う
通商連合北東の重要港。東西に細長く伸びる通商連合領地の一番東側、その北に僅かに突き出た半島の入り口にこの街は存在する。
半島と周囲を囲う山々のおかげで大きな天然の入り江のような地形を有するそこは、通商連合のみならず王国、または大陸の反対に位置する共和国にまで伸びる強固なシーレーンを誇っているそうだ。
山の斜面に並ぶ家々、そしてそれを纏うようにきらきらと輝く港はまるで元居た世界で見たギリシャの街並みを彷彿とさせた。
多くの輸入出品で溢れる市場、ひっきりなしに港を出入りする交易船、そして遠くの方では青々と澄んだ海がどこまでも広がっている。
そんな大自然と人々の営みが交わるこの街はウェンズデイポートと呼ばれている。
「なぁに子どもみたいに目をキラキラさせてんのよ」
「い、いいじゃねぇかよ。こんな景色を直で見るのは初めてなんだからさ」
荷車から乗り出すようにして眼下に広がる街並みを見下ろす俺を、ユフィはつまらなさそうに見つめていた。
さっきまで自分もガキみたいに騒いでいたくせに、どうやらそれ以上に騒ぎ立てる俺をみて冷静になったらしい。自分のことを棚に上げといてどんな言い様だよって話な。
「ようこそウェンズデイポートへ。アヤト様にユフィさん」
「……どうしてアヤトだけ様づけなんですか……?」
「だって……アヤト様は私の一夜のラブロマンスのお相手ですからっ!」
現在、俺たちはヘルグレンジャー家の商隊に混ざってウェンズデイポートからほど近い山道を下っていた。
なぜこんなことになっているのかというと話は国境線の関所まで遡る。
関所で立ち往生しているところに声をかけてきた少女はフィオレンフィーナ・ヘルグレンジャー。
近くにいた行商人の話では、彼女はこのウェンズデイポートを統治するヘルグレンジャー家の長女だそうだ。
夜分に一夜のドラマチックな逃亡劇を繰り広げた俺はなぜかそんな彼女に気に入られてしまいあれよあれよと言う間にヘルグレンジャー家の王国ルート貿易隊とともにウェンズデイポートを目指すことになった、というのが事の顛末だ。
「あの、フィオレンフィーナ様、その……ラブロマンスって言うのは誤解を招くというかなんというか……」
映画のような出来事ではありはしたものの、思い返せば別に俺と彼女の間に男女のあれこれがあった訳ではない。ただ何かから逃げるようにして走る彼女を俺は必死に連れ回しただけだ。
「そんな……あんなに激しく私を抱いたというのにっ……っ。ヒドいお人っ!」
「言い方なっ!激しく腕を引いたのも、身を隠すために抱き寄せたのもまぁ間違っていないですけどっ!」
「ふふっ……っ」
俺の言葉を肯定するように満足そうにひとつ彼女は頷くと、なぜかユフィの方へと勝ち誇ったような視線を向けている。
それに何か言いたげだったユフィだったがどうやら相手が相手なだけになんとか口から出かかった言葉を飲み込んだようだ。
「それに、アヤト様もユフィさんもそんなにかしこまらなくて結構ですわ。フィオナと気軽にお呼びくださいな」
そう言ってフィオレンフィーナ様、もといフィオナ様は僅かに寂しげな表情を浮かべたのだった。
「あーっと、でもその、立場ってものがありましてね……」
きっと彼女は俺たちとそんなに歳も変わらないはず。むしろ俺と同い年ってことだってあるだろう。しかし相手は権力者のご令嬢だ。領主の娘とどこぞの旅人では正直格が違いすぎる。例えそれが同い年だったとしてもだ。
現30人ほどの規模を誇るヘルグレンジャー家直轄王国ルート貿易隊は全て彼女の指示の元進軍を続けている。
「そんなの寂しいじゃありませんかっ!」
「そうは言われても……」
「ふぃーおーなー!」
「いやいや、そうごねられても……」
「ふぃーおーなーとーおー呼ーびーくださいましー!」
「わ、分かりました分かりましたっ!フィオナ様っ!」
見れば商隊の面々が何事かとちらちらこちらを見つめているのが分かる。これじゃあ女の子の我が儘に聞く耳を持たない俺が完全に悪者だ。
「様も嫌です。それとその敬語も」
「……我が儘も極まるとめんどくさいな」
呆れて一つため息をつくと、なぜかフィオナ様改めフィオナは嬉しそうに小さく笑みを浮かべていた。
「友達が欲しかったのか?」
権力者のご令嬢と言えばもしかしたらその立場上こうして同年代と一緒に騒ぐことが少なかったのかもしれない。
そんな時にたまたま出会ったのが俺達だったのならこうして相手をしてやるのも別にやぶさかではないのだが。
「……お友達は……持てませんの」
しかしその言葉とは裏腹に、俺の問いかけに彼女はそうぽつりと呟いた。
―――
「それじゃあ私たちはここで」
「ええ、何かございましたらウェンズデイウェストにありますヘルグレンジャーの家をお訪ねください。わたくしの名前を出せば大概のことは力になって差し上げられると思いますわっ!」
街についた俺たちは商隊と別れてすぐに街中の散策を始めた。
「そういえばどれぐらいここにいるとか決めてるの?」
「そーだなぁ。魅力的な街だとは思うけど、特にここでやりたいことがある訳じゃないしなぁ」
綺麗に舗装された路地を歩きながらしばし観光としゃれこむことにした俺とユフィは、気づけば荷物の積み込み場近くの市場まで足を運んでいた。
「凄いわね、このフルーツって共和国で採れるやつよ」
ユフィが手にしていたのは黄色と黒の模様が不規則に表面いっぱいに刻まれた謎の球体だった。
「それ、フルーツなのか……」
「うん。昔食べたことがあるけど案外美味しかったわよ。ちょっと酸味が強いけど、粒粒の実が食管良くて最高なのよねぇ」
「へぇ……でも長い船旅だとそういうの痛んじゃうんじゃないか?」
「そんなときの氷魔法よ。ほら、あそこの店主さん」
ユフィが指さした先にはどこかくたびれた様子の男性が、乱雑に張られている露店のテントの下で新鮮な魚を買い物客へと手渡していた。
「あの人がどうしたんだよ」
「右手の腕輪」
ユフィに指摘され彼の右手を注視すると、何やら青い結晶が埋め込まれた腕輪が煌めいている。
「なんだあれ」
「魔法使いはよく自らの契約神を周囲に示すためにああやって何かしらの物を身に着けていることが多いわ」
「普通の装飾品と見分けられないんじゃないのか?」
「普通の人間だったら、ね」
なるほど、この世界の魔法はいわば資格のようなものだということは先日のやり取りでなんとなく分かってはいたが……。あれはいわば名刺の一種みたいなものなのだろう。
恐らく彼が身に着けているものが自らの契約神を示すアイテム。そしてそれを身に着けることで知識ある人間にどんな神と契約をしているのかを示すことが出来る訳だ。
「へぇ、世の中にはいろんなものがあるんだな。ちなみにユフィはそういうものは持ってるのか?」
「私は……」
俺の問いかけにユフィは僅かに気まずそうな表情を見せた。何か聞いちゃいけないことだったんだろうか。
「あー、いや、言いづらいことだったらいいんだ」
もしかしたらその辺、ヘカテーさんと色々あったのかもしれないしな。女の子には秘密が付きものなんだろう。
「……私には不必要なのよ。ただの旅人だしね」
思えば彼女は自称旅する見習い魔法使いだ。就職活動を必要としない彼女にとって自らの素性を明かすようなものは身につける必要がないのかもしれない。
「さて、そろそろご飯でも食べに行きましょ!」
話題を逸らすかのようにユフィが強引に俺の腕をとった。確かにせっかく来た港街。この街の料理を堪能せずして街を去る訳には行かないだろう。
周囲を見渡しながら目ぼしい店の物色を始める俺とユフィ。そんな時だった。
急に街の空が何かに覆われるのが分かった。
「アヤトっ、隠れてっ!」
その叫びに咄嗟に俺は近くの建物の脇に身を寄せる。それと同時に周囲の人々の空気も異様な雰囲気を発するのが感じられる。
「あ、あれは……」
何かを察したようにユフィの顔が強ばるのが分かる。
「あの生き物は……アイオンホーク。海運の女神ウェンズディの造った神造種よ」
ウェンズデイポートを覆うほどの巨大な影。その正体は海からやってきた一羽の大きな怪鳥だった。
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