第28話 ああ愛しの大怪盗様

 中継都市アルペンザ。


 大陸中を行き来する様々なキャラバンの物資の補充や休息、その他中継地点としての機能を兼ね備えているこの街は夜間の遅い時間帯でもかなりの店が店じまいをせずに営業を続けている。


 そこらじゅうの店先から零れる騒がしい声が通りには溢れ、まるで街全体が一つの大きな飲み屋のように盛り上がりを見せている。


 そんな街の一角で俺はぼんやりとそんな街並みを眺めていた。


 正直言うと眠れなかった。思えばプリズムウェルを離れて随分と遠くまで来てしまったと思う。それ以前に俺は自分の居た世界から離れてこのアトランディアという場所でただひたすらに毎日を生きている。それがどうにも実感できなくて体の中の僅かな高揚感を抑えきれずにいたのだ。


 だからと言う訳でもないが、現在俺はその高ぶりをなんとか慰めるべくこうして街の広場にぽつりと置かれている木製ベンチに腰を掛けている訳なのである。


 別にこんな夜が初めてだったわけじゃない。今までだって安宿の固いベッドの上、森の中で地面に敷いた寝袋の中。いろんなところでこんな夜はあった。


 だけどこのアルペンザの街の夜も収まらぬ熱気がそんな俺の高揚感を搔き立てるように増長させていく。


「多分、国境を超えるってのもあるんだろうな……」


 アルペンザの街は俺たちがいた王国と呼ばれる国と、これから向かう目的地である通商連合との国境に位置する街でもある。ユフィの話ではここから更に5キロほど南下すると国境線に位置するらしい。


「海かぁ……最後に見たのっていつだったっけな」


 なんて言葉も独り言になり果ててしまう。いつもならこんなくだらない話題提供に付き合ってくれるユフィも今は宿のベッドでぐっすりなのだろう。


「に、しても賑やかな街だなぁ……」


 相変わらずこの街は夜というものを知らないのか、街並みの至る所から騒がしいぐらいの笑い声が響き渡っていた。


「ええ、でもそれが心地よいと感じるほどにわたくしはこの街を好ましく思っておりますわ」


 その声は俺が腰掛ける木製ベンチのすぐ隣から聞こえてきた。


「えっ……」


 距離にして拳4つ分ほど。その少女は静かに俺と同じようにベンチに腰かけながら、ぼんやりと通りに立ち並ぶ飲み屋の店先を眺めていた。


「こ、こんばんは……?」

「ごきげんよう。素敵な夜ですわね」

「あ、あぁ……」


 間違いない。特徴的なふわふわの金髪、この距離だと改めてわかるキリっとした意志のある目元、そして何気なく太ももの上に乗せられた細い指先。


 先ほどユフィと夕食を共にしたときに見かけた少女だった。


「……どうかしましたの?」


 ふと彼女が俺の視線に気づいたのかこちらを向いた。その姿に魅入ってしまっていた俺はその反応に一瞬たじろぐ。

 君があまりにも魅力的に見えたからさ。なんてこの場合口にしたらどうなるのだろうか。危うく変質者として警察のご厄介か……?

 ここは誤魔化すのが正解なのか?その場合なんて答えるのがいいんだ。今度は偽証罪で捕まったりするんだろうか。というかそもそもこの世界に警察なんて組織がまず存在するのか……?

 いや、そうなったら俺が取るべき選択肢は――


「先ほどからころころと表情を変えて、随分と面白いお方なのですね」


 どうこうする前に先手を打たれてしまった。

 というか、そもそも彼女はいつの間に俺の隣に座ったんだ……?


「君は……」


 色々尋ねたいことがあった。それをどう口にしていいか逡巡しているそんな時だった。


「お嬢っ!」


 そんな掛け声とともに黒いスーツのような衣服を着た男たちが通りの向こうから姿を現した。それと同時に俺の手に柔らかな感触が伝わる。


「……っ」


 見れば先ほどの少女が何か言いたげな目でこちらを見つめていた。まるで映画のワンシーンじゃないか。美少女が俺に熱い視線を送っている。ならこの状況、やることは一つしかないだろう。


「行こうっ!」

「はいっ!」


 彼女の手を取って俺はその場を駆け出していく。決してその手を離さないように、時折後ろを走る彼女に気を遣いながら俺は初めて訪れる街の夜を駆け抜けていく。俺の何気ない意図を察したのか彼女も何も言わず俺に追走してくれる。


「あっちだっ!あのドレスっ!」

「西側のエリアに人を回せっ!なんとしても無事に確保するぞっ!」


 どうやらかなりの人数が彼女を追いかけているらしい。目的は分からないが俺はただ彼女の手のひらから伝わるぬくもりだけを勇気に必死に足を動かした。


 次第に俺たちを取り囲む包囲網が小さくなっていくのが分かる。捕まってしまうのも時間の問題だろうか……。そんな時だった。進行方向に細い裏路地があるのが見て取れた。

 

「ここに一旦隠れようっ!」


 彼女を半ば無理やりに引っ張り込むようにそちらに誘う。途中バランスを崩しそうになった彼女を俺は咄嗟に自分のもとに抱き寄せるとそのまま近くの建物の脇に積まれている木製コンテナの裏に身を寄せた。


「……しばらくは大丈夫だと思う」


 先ほどまで駆け抜けてきた通路を数人の黒服が通り過ぎるのが見えた。どうやらこちらまでは入ってこないらしい。


「……ふふっ」


 そんな時だった。胸元に抱き寄せた彼女が小さく笑ったのが分かった。


「ど、どうかしたか?」

「い、いえ……っ。……ふふっ……ふっ……。ご、ごめんなさいっ……っ」


 しかしその謝罪の言葉とは裏腹に彼女は再度胸の中で笑い声をあげる。


「あー、俺、なんか君におかしなことでもしたか?ってかさすがに抱き寄せるのはやりすぎたよな、ごめん」

「何を言ってますの……?お礼を言うのはこちらの方ですわ。それに……」


 とんとひとつ俺の胸を両手で押し返すと彼女は腕の中からするりと抜け出していく。


「楽しい時間でしたわっ!まさかこの歳になってそんな小説のような出来事に自分が遭遇するなんて……」


 まるでダンスでも踊るかのようにその場でひらりとスカートを翻してみせる彼女。そして意気揚々と先ほど逃げてきた通りの方へと再び足を向けた。


「逃げてるんじゃないのか!?」

「まぁ、それはそうですけど……。でも、わたくしこの程度で捕まるようなそんな安い女じゃありませんのっ」


 直後、僅かに腰を落とした彼女の体がふわりと宙に浮きあがった。随分と滞空時間の長いジャンプだ。小さく足元が光ったのが見えるにそれが彼女の魔法なのだろう。


「素敵な夜をありがとうございますわ、それでは……」


 彼女が着地したのは二階建ての建物の屋根上。四メートル近い高さから俺を見下ろしながら彼女はこちらに優雅に一つお辞儀を寄こした。


「ま、待ってくれっ!」


 ユフィは食堂でああいったが俺にはどうしても彼女が気になってならない。世界はあまりにも広すぎる。ここでチャンスを逃したらなぜ俺が彼女にそこまで引っ掛かりを覚えるのか二度と分からなくなってしまうかもしれない。


「な、名前を教えてくれっ!」


 だから、その綺麗な姿をなんて呼べばいいのかだけはぜひ聞いておきたかった。


「……ふふっ、また会えますわ」

「会えるって……」

「運命神のお導きのもとに。ごきげんよう、愛しの盗人さんっ」


 その言葉を最後に彼女はその場を後にした。


 遠くの方には屋根上を俊敏に駆け抜けていく彼女の姿が小さく見える。


「何だったんだろう……」


 唖然とする俺の声が、アルペンザの夜の街に小さく消えていった。



―――



「ってことがあってさ」


 翌日、国境を目指して再び旅を始めた俺たちは相も変わらずくだらない話を繰り返しながらもくもくとその足を国境沿いの関所へと向けていた。


「私がぐっすり眠ってる間にどこぞのお嬢様と愛の逃避行ですか。随分といいご身分だことでございますねっ!」

「ちげぇって!なんつーか俺の場合巻き込まれ事故だろ!」


 そんなこんななことを言いながら気づけば目の前には大きめの建物と厳重に警備されている門が一つ。そして恐らくあそこが国境なのだろう。そこそこの高さを誇る壁がずらりと地平線の向こうまで続いていた。


「あれが関所とやらか……?」

「ええ。にしても様子が変ね……」


 ユフィの言葉通り、門の前には幾つかのキャラバンが立往生を食らっているのが目に入った。


「何かあったんですか?」


 俺はその中で手持ち無沙汰にあくびをしている行商人を一人捕まえると端的に事情を尋ねた。


「ん~いや、どうにも通商連合が国境線の出入りを強化しているらしくてね……。検問に時間を要してるんだ」


 視線を再び門の方へと向けるとそこでは別のキャラバンの荷車に数人の衛兵たちが集まっているのが見える。


「いつもこうなんです……?」

「いや、ここまで厳しいって話は聞いたことねぇな」


 そんな時だった。一人の衛兵がこちらに近づいてくる。


「お前たちも通商連合に行くのか?」

「はい」


 すかさずユフィがそう答える。


「そうか……旅人用の検問は時間がかかるが大丈夫か?」


 そう言って衛兵は申し訳なさそうにこちらに顔を向けた。


「具体的にどれくらいです……?」


 この様子から二時間ほどは取られるだろうか。いや、荷車の見分の進み具合からしてもっと待たされる可能性もある。


「1日待つかもしれないなぁ」

「「い、一日っ!?」」


 その声に俺とユフィは同時に声を上げる。別に急いでいる旅ではないが、さすがにこの場所に一日缶詰って言うのはさすがにこたえる。


「どうにか出来ないでしょうか……?」

「そう言われても順番待ちがなぁ」

「で、ですよねぇ……」


 どうしたものかとユフィと視線を合わせたその時だった。


「そこのお二人はわたくしの連れでしてよっ!」


 一人の少女の声が関所の一角に響き渡った。


「あ、貴女は……!?」


 声の主の方を見た衛兵が僅かに声を震わせている。周囲にはただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、いつの間にか野次馬と応援の衛兵たちがぞろぞろと集まりだしていた。


「ねぇ、あれって昨日の……」


 ぼそりとユフィが耳打ちする。間違いない。そこにいたのはまぎれもなく昨日の夜、アルペンザの街で逃亡劇を繰り広げた彼女その人だったのだから。


「その、彼女は有名人かなんかなんですか?」


 咄嗟に先ほど様子を教えてくれた行商人に彼女の素性を尋ねる。


「お前さんたち知らないのか?彼女はフィオレンフィーナ・ヘルグレンジャー。この先のウェンズデイポートを牛耳るヘルグレンジャー家のご息女様だよ」


 あっけに取られて呆然としていると、彼女の視線がこちらを向くのが分かった。


「やっぱりまた会えましたわねっ!愛しの盗人さん!」


 太陽のような輝く笑顔を向けながら彼女がこちらに駆け寄ってくる。


「どうしてそんなに親の仇のように俺のつま先を踏みつけるんですかねユフィさん」

「……なんでもないわよ、この女たらし」


 誰かそろそろ俺の身に何が起きているのか教えてくれてもいいんじゃないだろうか。

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