第25話 やがてこの街は祝言の鐘の音を聞く

もし希望というものが目に見える存在なのであれば、きっとそれは優しい色をしているんだと思った。


 それほどまでにこの夜空を覆うその光は暖かく優しくて、そしてどこまでも強い色をしていた。


「アヤト君……これが君の……」


 自らに起きたことにヘカテーさんは戸惑いの表情を浮かべている。が、その体の奥底から湧き出るのであろうそれを受け入れるように小さく胸の前で拳を握ると、目の前でわなわなと肩を震わせているスコルディオへと対峙する。


「聞いてません……っ。聞いてませんよこんなものっ!」


 驚きか怒りかそれとも戸惑いか。奴の顔を包むように発生していた暗闇が、その動揺に比例するように大きく開いていくのが分かった。


「少年……只者ではないと思っていましたが、まさかキミにそんな力があるとはっ……!」

「まぁ、これしかできない雑魚であることには違いないんだけどな」


 こればっかりはしょうがない。俺に敵を倒すような隠された力なんてものは存在しない。あるものをあるように使うことしかできないのだ。


「運命性に介入する神性……そんなとんでもなものが譲渡できる権能なんて一つしか心当たりがありませんよっ!」

「あぁ……俺もこれほどの力だとは思ってもみなかった」

「くっ……ここで私に立ちはだかるというのですかっ!運命神トゥルフォナぁあ!!」


 その叫びに呼応するように奴の周囲から触手のようなどす黒い鞭がこちらに迫りくる。思わず後ろへと飛び退こうとするがそのあまりの速さに体は対応しきれていない。


 せめて致命傷だけは。そう思い体を捻ってみたものの、直後俺が感じたのは貫かれた痛みではなくただ地面に体を打ち付けただけの衝撃だった。


「……なっ」

「怒りに任せて私を忘れるのはよろしくないな、亜神とやら」


 ヘカテーさんの手のひらから展開された淡い防御壁が、その触手の侵攻をシャットアウトするかのように俺たちとスコルディオの間を二分している。


「ヘカテーさん……」

「心配するな。私が君を守る」


 そうこちらに語りかける横顔は、俺が見慣れた彼女の姿に戻っていた。何もできないと悲観していたヘカテーさんではない。その顔はこの街を何人の魔の手から守りゆくという豊穣の神の決意の表情。


「ふん、余裕をかましていられるのも今のうちですよ女神様っ!いくら運命神の神性を得たとしてもアナタの力は完全ではないっ!」


 直後、スコルディオの手から特大の魔力が展開される。


「ワタシの名前は亜神スコルディオ。その権能は……暗闇を操る力っ!ははっ!」


 自らを巻き込んで展開されたそれは大教会の屋上をすっぽりと覆う暗闇と化した。一切の光が通じない闇。その術式のせいか近くにいるヘカテーさんの姿すら視認できない。


「どうですかぁ!?一方的に視界を奪われる絶望とやらはっ!さぞ怯えた表情をしていますねぇ」


 暗闇の向こう側から奴の声だけが聞こえてくる。しかしその口調から推察するにスコルディオにだけはこちらの姿が視認できているのだろう。


「焦るなアヤト君。焦ると完全に奴のペースだっ」


 近くから聞こえてくるヘカテーさんの声色にも、僅かに動揺の色が見て取れる。いざ神性が多少補充されたからと言って相手の能力を無効化なんて便利なことが出来る訳がない。六柱神様たちであればそれも可能なのかもしれないが、お生憎とヘカテーさんはそうじゃない。


 なら今この場で俺がやるべきことは、彼女の戦闘の足をできるだけ引っ張らないようにすることだ。


「考えがあります」


 そう言いながら俺はヘカテーさんの方へと足を向ける。幸いにも暗闇が展開される直前の彼女の位置は把握している。暗闇の向こうから攻撃が来た様子もない。最後に見た位置と彼女の場所は変わっていないだろう。


「どうするつもりなんだい?」


 声が近くなった。と同時に暗闇の向こうからすいと目の前に手が現れたのが分かった。その細くてきれいな指先からそれがヘカテーさんのものだということが直ぐにわかる。あまり舐めないでもらいたい。俺は指先にエロティシズムを感じるタチでもあるのだ。


「俺はちょっと前に似たような場面に遭遇しています。ユフィの時です」


 そう、この『美少女が一生に一度のお願いを何でも聞いてくれる力』。使用するのは今回が二度目だ。一度目は亜神が召喚した神造種とユフィが戦闘を行ったとき。その時のことを思い返せば、ヘカテー先生にも同じことが可能なはずだ。


 暗闇から伸びてきたヘカテーさんの手に俺は自分の指先を重ねる。すると握った手を通じて彼女の体がピクリと動くのが分かった。もしかして男性と手を繋ぐのは初めてだったりするのだろうか。600年生きてきた女神さまがまさかそんなこと……。いや、今それを考えるのは止そう。


「ユフィはその時明らかにこの世の理とは外れた魔法で敵を倒しました。いや、正確には敵を消しました」

「消した……?」

「ええ、よくわかんない言葉の後にドバンと。文字通り敵の一部が消えたんですよ」


 あの光景は今でも俺の脳裏に異常な出来事だと記憶されている。炎を出すとか光線で攻撃するとかそういうのとは明らかに違うあの魔法。あれは確実にこの世界の何らかの出来事に介入しているとしか思えない。


「……それが、私にも再現できるのではと?」

「方法は違うかもしれませんけどね。ユフィの魔法の先生であるヘカテーさんには、不可能ではないと考えます」


 繋いだ指先に僅かに力が入るのが分かった。指先から伝わる力はか細くても、確かに固い意志を感じる力だ。


「分かった。その間君はどうするんだ?」

「隙を見て後ろに後退します。資材置き場がありましたよね?その後ろでブルブル震えてることにしましょう」

「相変わらず君は情けない奴だな」

「お生憎と、俺には大した力はないので」

「よく言う。ということはこれが使える訳だな」


 直後、ヘカテーさんの手のひらが淡い緑の光に包まれていく。恐らく暗闇の向こうの彼女の体も似たような光に包まれているのだろう。


「破浄神域魔法、起動」


 その淡い光が濃さを増し、僅かにヘカテーさんと手を繋ぐ俺の体温が暖かくなるのが分かった。


「極地神域破浄魔法『浄化する祖原コーリング・ベリーベン』っ!」


 ヘカテーさんの力強い声と共に、光はより一層の色味を増し暗闇の中を確かな意志を持って拡散した。暗闇の中でも見失うことのないその光は、まるでこの道の先を照らしていく力強い希望の光。


「……やってくれますねぇ。さすがは女神様といったところですか」


 暗闇が晴れた。その向こうではスコルディオが不気味に小さく肩を揺らしている。


「今だ、行け」


 そんなスコルディオに無数のツタで牽制しながらヘカテーさんはそう俺に呼び掛けた。というか先生、さすが豊穣の女神なだけあって植物を召喚して戦うなんてこともできるんですね。


「ふむ、足手まといを逃がしましたか」

「おかげで私は思う存分ここで君をいたぶれるわけだ」

「おお、怖い怖い。それじゃあ真っ当に私もやらせていただきましょうかねっ!」


 スコルディオの手元に蠢いていた暗闇が何やら規則的に集まりだす。


「ふむ。なかなかいいカタチだと思いませんか?」


 完成したのは一振りの剣。片手で扱うに適した刀身は漆黒に染まりそれが闇から生み出たものだということが一目で分かるほどの邪悪を放っている。


「近接戦はいかがですか、女神様っ!」


 瞬間、スコルディオが地面を蹴り上げ高速でヘカテーさんへと肉薄する。

 完全にタイミングを逸らされたせいかヘカテーさんの防御魔法もそのスピードに対応できていない。


「ヘカテーさんっ!」

「っ!?」


 切っ先がヘカテーさんの頬を掠めるのが見て取れた。


「だ、大丈夫だ!」


 しかしながらその声とは裏腹にヘカテーさんの頬には小さく血が流れているのが見て取れる。


「……やってくれたな。アヤト君が素敵だと褒めてくれた私の横顔に傷をつけるとは」


 ヘカテーさん。そこは怒りどころではないと思います。スコルディオから距離をとるように移動する彼女を見て俺はそんな感想を抱く。


 それにしてもその姿には随分と余裕があるように見えた。ヘカテーさんはお世辞にも肉弾戦が得意とは言えないだろう。なのにどうしてそんな顔で笑っていられるんだ。


「アヤト君、見ておくといい。神の力というのが一体どんなものなのか」


 ふと、物陰から戦況を見守っていた俺のもとにヘカテーさんの視線が飛ぶ。


「何かを信じること。その果てに生み出された存在が神であるというのなら、それはきっとこの世界に生きとし生けるものすべてに宿る本来の力だ」


 ヘカテーさんが空を仰ぐように両手を空に突き上げる。その先端が先ほど見た緑の光に包稀て行くのが見える。が、先ほどと大きく違う点が一つ。それはその光が遥か上空まで上り詰め、そこから街を包み込むようにプリズムウェルの至る所に拡散していることだ。


 ああそうか。肉弾戦なんて関係なく、彼女は一撃でこの街を覆う彼の闇を振り払うつもりでいるのだ。


「ヘカテーさん……」


 俺の声に応えるように、彼女は小さくその口元を緩めた。


「……ま、まさかっ!」


 スコルディオが何かに怯えるように咄嗟にヘカテーさんへと迫った。しかし時既に遅し。プリズムウェルに拡散した光が今度は収束するようにヘカテーさんの手元に再び集まりだす。


「や、やめろぉおおおお!!!!」


 響き渡る亜神の悲痛な叫び。しかしそれを切り捨てるようにヘカテーさんの声がプリズムウェルの空に木霊する。


「大地と生命の怒りに震えろぉおっ!! 極限神域浄化術式『天原穿つ祝言の理アンセストラル・セレブレーション』っ!」


 それはまるで天高くそびえる光の柱。大教会よりも遥か彼方からそのプリズムウェルを見下ろすその光が、この街の生きとし生けるもの全ての祈りを乗せて亜神へと降り注いだ。


 プリズムウェルの空に、鐘の音が鳴り響く。そびえたつ光の柱のてっぺんで、小さくその鐘が揺れていた。


「どうだい、なかなか洒落た魔法だろう?」


 その光の柱の根元で、確かにその美少女は俺に微笑んでいたのだった。

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