第24話 その光は明日を照らす希望
食事から戻った俺を待っていたのは、どこか神妙な面持ちで天井を見つめるヘカテー先生だった。
「ただいま戻りました」
「お帰りアヤト君」
この世界で絶賛住所不定無職中の俺は現在ヘカテーさんの家に身を寄せている。そのおかげか俺が依頼に出かけて戻ってくるとヘカテーさんは俺におかえり、と声をかけてくれるのだ。
玄関を開けたら家の奥から美少女が迎えに来てくれる。
なんと夢のようなシチュエーションなのだろうか。そんな夢がいつまでも続いてくれるように、俺たちは今この街で起きている問題に立ち向かわなければならない。
「こんばんは、先生」
ふと、俺の脇から顔を出すようにしてユフィが声をかけた。
「なんだ、ユフィも一緒だったか。二人でデートかい?」
「そうやって街の人にもからかわれたんですけど、私たちそんなにお似合いに見えます?」
「どうだろう。年頃の男女が一緒に食事をしていたら大抵の人にはそう見えてしまうものじゃないかい?」
「なんというか、どこの世界も他人の恋愛は飯のタネなんですね」
「人間だからね、しょうがないさ」
先生は普段通りの笑顔を浮かべながら俺たちをテーブルへと促した。
「さて、すまないが私は少し出かける用事があってね」
キッチンの椅子に掛けられていた薄手のパーカーのような服を羽織ると、先生はそう告げた。夜分に一体どこに行こうというのか。
「どこに行くんですか?」
「それは内緒さ」
先生が思いつめていることはなんとなく分かっている。それは俺も、隣でじっと彼女のことを見つめているユフィだって一緒だ。
この街を自らの手で救えない。そう思い込んでしまっている彼女の心情が、そうヘカテーさんに強く思わせるのだ。
神様の力があって、たくさんの知識があって、そして頭の切れる彼女が――そんな彼女が苦しい思いをした末にたどり着いた結論がそれだというのなら俺はその呪いのような感情を消し飛ばしてやらなければならない。
それがきっと、俺がこの世界で唯一自分にしかできないことだと思うからだ。
「先生」
ふと、ユフィが玄関に向かう彼女の背に呼び掛けた。
「…………また、会えますよね?」
「そう……だな……」
「約束、ですよ?」
「あぁ、約束だ」
そう言ってこちらに微笑むヘカテーさんの顔は罪悪感で染まりきっていた。きっと彼女はその約束を守る気はないのかもしれない。
誠実な彼女だからこそその約束をしてしまうことを心苦しく思っているのだろう。だからあんな表情をユフィに向ける。
だったら、俺がその約束を必ず果たせるように、力を貸してあげなきゃなんだ。それが俺に今できる精一杯なのだから。だから俺は彼女に告げる。今から向かう先がどんなに死地であろうとも、その背中を最後まで押し続けることが俺が出来る確かなことなのだ。
「ヘカテーさん」
「どうしたんだい?」
「……俺も一緒に連れて行ってください」
その言葉を彼女はどう捉えたのだろうか。だが一つ必ず言えることがある。かの亜神とやらはまた絶対再びヘカテーさんのもとに姿を現すはずだ。
その時は俺が彼女のもとに、誰よりも早く駆け付けなければならない。もしそれが出来なければ、ただの人であるヘカテーさんが紛いなりにも神である奴に敵うはずがない。そんな状況で一番頼りになるのは、彼女の力でもユフィの力でもなく、そして俺の力でもないこの運命神様の力だ。
―――
ヘカテーさんの家を出て徒歩20分程。
この街の中央に天を貫くようにそびえるそれは、この街に迫りくる危機を知ってか知らずか漆黒の中にただ静かに佇んでいた。
大教会。
プリズムウェルの守護神たる女神ヘカーティアを祀り、その教えを広めんと建てられたその建物はこの街のいわばシンボルのような存在である。これはあまり知られていない事らしいのだが、教会内でもひときわ目立つ塔の一角には中を抜けるようにエレベーターのようなカラクリが設置されている。そこを抜けて塔の中腹まで出ると教会の屋根上に出ることが出来るのだ。
俺とヘカテーさんはただ無言で静かにその場所からプリズムウェルの街並みを見下ろしていた。俺と彼女の間に道中目立った会話はなかった。ただ世間話程度に最近の依頼の話をして、俺のちょっとした苦労話を面白おかしく口にしただけだった。
「思ったより広いですね」
眼下に広がるプリズムウェルを見て、俺は小さくそう呟いた。それはこの街並みへの感想なのか、それとも学校の屋上ほどあるそのスペースについての感想なのか。
まぁ、俺の学校の屋上は今のご時世に漏れずアニメのようには一般生徒には解放されていないのだが。
「そうだな。屋根上の補修用の作業スペースも兼ねてるからな。それなりに物資も置けるようになってるからね」
そう言って彼女が視線を向けた場所には乱雑に積まれた木材と何やら見慣れない板のようなものが置かれている。あれが恐らく屋根の補修用の資材なのだろう。
「それで、どうしてこんな場所に?」
別にヘカテーさんも唐突にここからの街並みが見たくなったわけではないのだろう。何か理由があってこの場所に足を運んだ。
「それは内緒だ。それに、わざわざついてこなくてもよかったのだぞ?きっと――」
ヘカテーさんの言葉はそれ以上続くことはなかった。
「やあやあ良い夜ですね。女神とそれに、少年」
邪悪が再び、俺たちのもとに現れたからだ。
「スコルディオ……」
ぎりとヘカテーさんが苦々しく口元を噛むのが分かった。
「覚えていただいて光栄ですね。まぁ、そんな記憶ももう少しでアナタと共に消えてなくなってしまう訳なのですが」
相変わらず奴の顔は暗闇で包まれて見えない。きっとそれが奴の力であり権能なのだろう。それをすることにどんな理由があるのかは分からないが。
まぁでも、悪役の顔が見えないってのは確かにちょっとカッコいいのは認めよう。
「それで、どうしてここに現れたんだ?」
俺の問いかけに、その暗闇の下の表情が僅かに綻ぶのが分かった。
「良い質問だ異能の少年。君の面白さに免じていろいろと教えてあげよう。冥土の土産に聞いていくがいい」
そういうと奴は一つ大きくその手を翻し漆黒の空を仰いだ。
「神は自らの信仰が一番良い場所で最大限の力を発揮できるのですよ。女神ヘカーティアにとって、自らを祀るこの場所はまさにその身の神性が最大限に高まる場所だといえるでしょう」
なるほど、この大教会はヘカーティアを信仰する者にとっての聖地。彼女の力が強まるというのも納得だ。だからヘカテーさんはここに足を運んだ。奴をここに最初から誘い込むつもりだったのだ。
「次に君はこう思うだろう。ではなぜそのような自らに不利な場所にワタシが現れたのか」
その言葉に思わず開きかけた口を閉じる。まさに俺はその通りの疑問を抱いたからだ。
「利口な子はワタシも好きだ。そこの先生もキミのことは随分と買っているようだ。が、その答えは単純だよ」
そういうとスコルディオは今までで一番嬉しそうな声色で、高らかにそう告げた。
「だぁってこの場所でキミたちを消すことが一番この街を絶望と恐怖に染め上げることが出来るのだからぁ!」
スコルディオが右手を大きく開き街並みを仰いだ。この場所はプリズムウェルを一望できる高所に位置している。ということは逆に考えると、この場所はプリズムウェルのどこからでもこの場所を視認できるということだ。
奴は、そんな場所でこの街の女神であるヘカーティアを消そうとしている。そうしてこの街の人々に与えられる絶望と恐怖を自らの信仰へと昇華させようとしているのだ。
そうして得た神性を信仰と呼ぶ訳には行かない。ヘカテーさんが600年、この街のことを想い続けて集めたそれを、そんな風に呼ぶ訳には行かないのだ。
「……ヘカテーさん」
「なんだい、アヤト君」
大教会の頂上で、俺は小さく彼女の名前を呼んだ。
「やってもらいたいことがあるんです」
「……でも、私にできることなんて」
そう口にした彼女の姿は、どこか力なく何かに縋るような眼をしていた。
「ありますよ。だってアナタはこの街を守る神様であり、そしてこの街を愛する一人の美少女なんですから」
そうさ、だったら出来るはずさ。貴女の愛したこの街を、自らの手で災厄から守り抜く。そんな運命が、ヘカテーさんの目の前には広がっているはずなんだ。
「この期に及んで私をからかうつもりかい?」
「先生は可愛いですよ。どこか陰のありそうな横顔とか、食後の一息をついているときに見せるちょっとした気の抜けた表情とか。とても素敵です」
そう口にすると先生は小さく口元を緩めた。
「……女の子には真摯に向き合えと」
いつしかプリズムウェルのとある食堂で言われた一言だ。あの時はイマイチよくわからなかったが今なら少しだけその時の先生の言いたかったことが分かる。
「ちゃんと覚えてますよ。そして、俺は今それをちゃんと実行してるつもりです」
ヘカテーさんの方を向くとその綺麗な瞳と視線が交差した。先生の想いとかユフィとの約束とか俺自身のあれこれとか全部含めて、ヘカテーさんにはこれからも笑っていて欲しいじゃないか。
「だから」
小さく息を呑んだのは俺か彼女か。直後、意を決してその魔法の言葉を口にする。
「『一生に一度のお願いです。先生の愛した街を、そしてあなた自身を、この暗闇から救ってあげてください』
プリズムウェルの夜空を、オーロラのように美しい淡い緑の光が包んだ。それは生命と実りを愛した豊穣の神ヘカーティアの優しい光だった。
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