第23話 突破口の鍵を回せ

「結局どうするって言うのよ……」


 プリズムウェルの一角にある食堂で、机の向こうのユフィはぽつりとそう呟いた。別に俺に向かって一つケチでもつけてやろう、なんてそんな気持ちから出た言葉ではなく、彼女自身がどうしようもない壁にぶつかってしまったがゆえに、ついつい口をついて出てしまった言葉なのだろう。


 普段食欲旺盛な彼女が、胃袋を今にも刺激してくる魅力的な料理を前に暗い表情を浮かべているのが何よりの証拠だ。


「……冷めないうちに食べようぜ」


 それがどれだけ慰めになるかは分からないが、俺は目の前の分厚い一枚肉を小さく切ると口元へと勢いよく放り込んだ。


「先生は消えちゃうのかな……」


 そんな力ない呟きが、食堂内の雑多な騒がしさにかき消されそうになりながら僅かに俺の耳に届く。そりゃそうだ。ここ数日色々なことがありすぎた。


 突如としてプリズムウェルを災厄の渦に巻き込んだ怪物。その神造種の襲撃により実に400人近い人間が亡くなったという。その中には幼い子どもやご老人も含まれていたとはこことは別の飲食店の店主の話だ。


 そんな悲劇的な出来事に負けないようにこの街は未だに活気に溢れていた。


 暗い表情でテーブルを囲う俺達とは裏腹に店内は大勢の客で賑わっている。その誰もが来るべき明日に向けてこうして夕食で英気を養っているのだ。


 この騒がしさを守ったはずの張本人がこうも暗い顔をしているというのは浮かばれない。確かに考えることはたくさんある。そんな悲劇を招いた本人は未だこの街の近く、いや、この街のどこかでのうのうとしているのだ。


 亜神スコルディオ。


 奴こそがこの街に神造種をけしかけ、そして未だこの街の平和と繁栄を乱さんとする張本人だ。奴をどうにかしなければこの街、とそしてヘカテーさんに平穏は訪れない。


「……ユフィ」


 気を休めている暇なんてないのは分かっている。きっとこの事態を知っているのはこの街で俺達だけなのだから。もちろん何か事を構えることになったとき、戦うのは俺じゃなくてユフィだ。今から事態の深刻さを思うのも分かる。分かるけど……。


「そんな顔すんなよ。悲しくなるだろ」

「ごめん……」


 普段の彼女の姿など見る影もなく、小さく縮こまっている彼女を見るのはどうも落ち着かなかった。


「そう思うならせめて料理に手を伸ばそうぜ。調子に乗って頼みすぎちゃったからさ」


 きっとあの災厄のなかユフィが救った命だっていっぱいあったはずだ。直接的にではなくとも、奴をできるだけ処理できたことがのちの被害を防いだと考えることだってできる。

 ユフィが助太刀した衛兵たちが別の場所で誰かを救っていたとしても、それもユフィが手助けをしたおかげだ。


 彼女はそのことに気づいているのかいないのか。だけど俺たちが何もできなかった訳じゃないことだけは絶対に確かだと言い切れる。


 俺たちは、それを信じていかなければいけない。そしてそれを糧に、前を向き続けなければならないのだ。


「大丈夫だ。ヘカテーさんは俺が救って見せるから」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「俺は信じてるからさ。ユフィと、そしてヘカテーさんの強さと凄さを」


 そう言いながら切り分けた肉を彼女の目の前の空いた皿にそっと乗せる。すると何を思ったかユフィはそんな仕草をする俺の手を不意に掴んできた。

 思わず反射的に引いてしまいそうになるのを何とかこらえ、ただなすがままに俺は右手を握られる。


「……本当に?」

「……本当だ」

「絶対?」

「絶対」


 心からの本心。俺に持っていないものをたくさん持っている二人を、俺は心から尊敬している。その答えに満足いったのか、ユフィはそっとテーブル脇のフォークでもってその肉を口のなかに放り込んだ。


「……ごめん、どうにかしてた。私らしくない」

「お前らしさが何かは分からないけど、自分の先生のことなんだ。少しナイーブになることぐらいしょうがない。でも、今は違うんだろう?」

「うん。だってアヤトが信じてくれるんでしょう?」

「……そりゃもちろん」


 信じるだけなんて随分と他人任せだ。なんて馬鹿にする奴も多いだろう。実際俺も今みたいな状況で俺みたいな考え方をしている奴がいたらぶん殴ってやりたいと思う。なに全部可愛い女の子にまかせっきりなんだよと。


 その通りだと思う。だけど俺はそれでいいと思っている。俺にできることは矢面に立って化け物と戦うことじゃない。そこに赴こうとしている女の子の背中を少しでも押してあげることなんだと、俺はあの日神造種に立ち向かうユフィの背中に教わった。


 だったら俺が握るのは剣や杖なんかじゃなくて、そんな女の子たちの震える手だ。俺が剣や杖を振るうよりも、きっとその手の方が世界を変える力があるはずなんだ。


「だったら、私がアヤトを信じるのも当然ってことね」


 だからこそ俺だって死ねない。信じ続けないと、信じて送られてしまった想いたちは帰る場所をなくしてしまう。俺も強くあらねばならないのだ。


「……ありがとう、ユフィ」

「こちらこそありがとう。おかげで頭が冴えたわ」

「そりゃ僥倖だ」


 ヘカテーさんはどうしているんだろうか。


 先ほどまでの落ち込みようが嘘のように不敵な笑みを浮かべるユフィを見て俺はそんなことを思った。彼女もきっと信じ続けられてきた一人。そんな彼女が背負った想いは、一体どこに帰り着けばいいのだろう。


「お前ら、ヘカテーさんの知り合いか?」


 そんな時だった。見知らぬ男がテーブルに近づいてきたかと思えば俺たちに向けてそう口にする。


「えっと……」

「あぁ、いきなりすまん。俺は街の東で農家をやってるんだ。半年ほど前にヘカテーさんに農薬についていろいろ世話になってな……。最近あまり見ないが、先生は元気にしてるか?」

「あ、はい。先生は元気です」

「わりぃな。ヘカテーさんの名前が聞こえてきたもんだからつい話しかけちまった。あの人はこの街の頼れるご意見番だからな。っと、デートの邪魔したな。こりゃ詫びだ」


 そう言って彼は机の上に2杯の果実酒を置いていった。


「俺、元の世界だと酒が飲める歳じゃないんだけど……」

「いいんじゃない?この世界じゃママのおっぱい口にくわえながら片手にジョッキを持ってるわ」

「そんなことないと思うけど」

「物の例えよ」


 それからも時折俺たちの元へヘカテーさんの世話になったという人たちがぽつりぽつりと現れた。どうやら俺たちが彼女の名前を口にしたのが聞こえてしまったようだった。


 あまり大声で口にすべき話題じゃなかっただけにそこは軽率だったと反省する点なのだが、それと同時に彼女のこの街での人となりを垣間見ることが出来て少しだけ面白かったのは良しとしよう。


「先生は慕われてるわね」

「彼女は人格者だからな。豊穣の神ヘカーティアなんて力がなくても彼女は自分自身の知識と性格だけで十分にこの街の人々に良く思われている」


 信仰の力を絶対とする神々にとって、人々の信仰が自分から離れてしまうのは死活問題に違いないのだろう。だけど、ただそれだけがこの世界の全てなのだとは俺はヘカテーさんに思ってほしくはない。


 そうか、彼女が背負った想いたちは、巡り巡ってこの街の至る所に帰ってきているんだ。


「そういえばアヤト、あんた先生の家を後にする前にこう言っていたわね」


 食事には先生も一緒にと誘ったのだが、しばらく一人にして欲しいと告げられてしまいあまり強くは誘うことが出来なかった。だからこうしてユフィと二人でこの食堂に足を運んだ訳なのだが、その直前俺は二人に向けてあることを口にしていた。


「結局あんたが思いついた対抗策って何なのよ」


 それが俺が二人に対して言った言葉の内容だ。もしかしたら、一つだけ対抗策がある。それはかなり確信に近いものだ。が、どうしても俺はその策をどう生かせばいいのか分かっていない。


 だからここでユフィが尋ねてきてくれて大変に助かった。


「あぁ、それはだな……。今先生は神としての神性をほとんど失ったに等しい状態だということだ」

「それがどうしたってのよ。力なくしてまがいなりにも神であるスコルディオに対抗しようなんて……」

「使うのは神の力だが、先生の力じゃないぞ」


 俺の言葉を聞いて、ユフィは何かに思い至ったかのように小さくあっ、と声を上げた。


「もしかして……」

「あぁ、先生は今ほとんど人に近しい状態だ。と、言うことはだ――」


 俺はテーブルの上の果実酒を勢いよく胃に流し込むと顔を近づけユフィにこう告げる。


「俺の『一生に一度のお願い』がヘカテー先生に通用する可能性が高いということだ」


 さぁ、俺の人生を振り回している運命神様とやらの力を借りようじゃないか。その力を存分に生かして俺は神様にだって抗って見せる。


 それがあんたの思惑だろうとそうじゃなかろうと、たった一人の美少女の幸せを願えないのは、男が廃るってもんだろうよ。


「で、何を願うのよ」

「……それを一緒に考えてくれ」


 机の上にうなだれる俺に向けて、ユフィがあきれ顔でため息をつくのが分かった。


「なんというか、カッコつけたがりの割りに締まらないわね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る