第21話 信仰は儚き神々の為に

 ”亜神スコルディオ”

 そう名乗った異質な存在に豊穣の神ヘカーティアの聖具を奪われた。


 事態の深刻さを悟った俺たちはすぐにユフィと合流を図った。寝ぼけ眼で宿の部屋から出てきた彼女を引きずり出すとそのままヘカテーさんの家に連行。


 なかなかにセクシーな恰好で寝ているのだなとかシャワー上がりの乾ききっていない髪の毛がしっとりと濡れていてエロイな、とかはこの際一切頭の中から排除――しきれなかった訳だがそれも頭の片隅に踏まえた状態で、俺たちは今ヘカテー先生の家のリビングで机を囲んでいる。


「亜神……」

「ああ、奴は亜神スコルディオと名乗った。私の聖具を奪い去り、あまつさえこの街と私の力を狙っているとそう宣言した」


 そう言ってヘカテーさんはその口元をぎゅっと悔しそうに結んだ。僅かに震える肩口から先ほどの一連の出来事があまりにも彼女にとって屈辱的な出来事だったということが窺える。


「それで先生、結局その亜神とやらはお知り合いなの?」

「いや、知らないな。というかユフィはあんな知り合いが私に居ると思っているのか?」

「いやぁ神様界隈のことは私は分からないのでなんとも。もしお知り合いだったら神様付き合いは考えたほうが良いって止めますけどね」


 肩をすくめるユフィを見てヘカテー先生はようやく全身から滲み出る緊張感を崩した。


「で、どうするんです?」


 二人のいつも通りの様子を見て俺の中にもようやく平静さが戻ってくる。今までで感じたことのない圧倒的な嫌悪感。それを全身に浴びて以降体の奥から湧き上がってくる恐怖に似た感情のやり場に困っていた俺にとって、その光景はどこか救いでもあったのだった。


「そうだな。このままじゃプリズムウェルはあいつに乗っ取られてしまう」


 窓から見える街並みにそっと視線を移しながら、ヘカテーさんはどこか寂しそうな表情で呟いた。


 自らが見守って、自らが加護して、自らが愛した街並み。


 それがどこぞのぽっと出の存在に奪われる歯がゆさ。それを思えば俺もどうしようもないやるせなさに包まれてしまう。


「どうにかできるんでしょうか……?」

「そうさな。……もしこの街を奴から守る方法があるとするのならば、奴を完全に消失させるしかないだろう」

「倒すってことですか?」

「まぁ、その解釈で間違いない」


 そんなことが果たして可能なのか。それを考えるとそれ以上何を口にしていいか分からなくなる。ヘカテーさんもその心境は図りかねるがそれ以上何も口を開こうとしない。


 きっとどこか感じているのだ。あの化け物じみた、いや、文字通り化け物以上の存在である亜神とやらに現状勝てないのではないかと。


 神様の力を失い、今はただ長い時を生きてきただけの人間でしかないヘカテーさん。そんな人がまがいなりにも神と名乗るあの存在に打ち勝つことが出来るのだろうか。


「倒せばいいんでしょ。単純じゃない」


 そう口にしたのはユフィだった。俺たちの様子をただ静かに見守っていた彼女は、俺たちのあまりにも悲観的な様子を見かねたのだろう。あっけらかんとそう言い放った。


「私は例え、神様が相手だってぶっ飛ばして見せるわ」


 彼女は奴の姿を見ていないからそう言える。そう口にしてしまうのは簡単だが、どうしてかユフィがそう言うと自然とそれが一番の手段のような気がしてくる。


 そうなると自然と奴が俺たちに言い放った言葉にも疑問を持てるぐらいにはなって来るというものだ。


「そういえば、奴は先生が力を失った理由について知っていました。人々の信仰の力の衰え、だと。それは一体どういうことなんでしょう……?」

「そんなことを言っていたの?」

「あぁ、詳しいことは先生に聞け、とな」


 あれは奴なりの余裕という奴だったのだろう。力を失った神と特に力も持ち合わせていない異世界人。仮にも神を名乗る奴にとっては歯牙にもかけない存在だったのだろう。


 だからこそ奴は俺たちの前でそんな言葉を口にした。それは俺にとって世界を知る、そしてこの街と先生を助けるためのきっかけにだって出来るはずだ。


「そうさな……そういえばユフィにもこの話はしたことがなかったね。しっかりと心に留めておくといい」

「……はい」

「これから話すことは世界の仕組み。その根幹にまつわるお話だ」


 一つ大きく息を吐くとヘカテーさんは本棚から一冊の本を持ち出した。


「『アトランディアの歴史から読み解く信仰と神』。アヤト君はこの本に見覚えがあるね?」

「ええ、ヘカテーさんにこの世界の文字が読めるようになりたい、とお願いした時に見せられた本です」

「そうだね。そしてここにはこの世界の仕組みが実に分かりやすく書かれている」


 その本の内容は少しだけ覚えがあった。ここ十数日ずっとこの家で暮らしているのだ。牧場から帰ると嫌でも自由時間が発生する。


 その時になんとなくその本を手に取ったことがあったのだった。


「ただの宗教のお話だと思っていました。昔の作り話みたいなものなのかと。お天道様が見ているから誰も見ていないけど悪いことはしてはいけない、とか」


 実際内容はそんなものだった。この世界で信仰されている神様のいくつかや地域ごとによる宗教観の違い。難しいことはあまりわからなかったがその時はこっちの世界でも俺がいた元の世界でも誰しもが神様にお祈りはするんだな、程度の感想を抱いた覚えがある。


「神が先か信仰が先か」


 ヘカテー先生は手元の本をペラペラとめくりながらそう口にした。


「この世界の神性の源とは、そもそもこの世界に生きとし生けるもの全ての信仰の力なんだ。多くの生物が望み、願い、祈ったそのものが力となる。そしてその力を根源としそこに神が現れる」

「信仰が神様になる……?」

「あぁそうだ。そして私の場合はプリズムウェルの人々が願った豊作への祈りが、私という形になってこの世界に顕現した訳だ」


 そう言われてもイマイチ実感が湧かない。人の想いが神様になるなんて、そうなればいくらでも神様というのが造れることになってしまうのではないだろうか。


 ……いや、そういえば俺の元居た世界にも”八百万の神々”なんて考えが存在したな。全ての物に神様が宿る。それはつまり物そのものに作り手や使い手の想いが現れる教えから来るものだ。


「ということは、そのスコルディオが口にした先生の能力低下の原因は……」

「ああ、プリズムウェルの人々が、もう私という存在に信仰を注がなくなったことが原因だろう」


 この国最大の一大商業都市。その興りは小さな農耕地帯だったという。そこに住む人々が毎年の豊作を願いその結果が女神ヘカーティアの顕現を起こし、この街に繁栄と栄華をもたらした。


「もうこの街に豊作は必要ないんだ。この街が今求めているのはもう、私ではないということだろう」

「そんな……」


 それはあまりにも寂しいことだ。もちろん頭では理解できている。時代は移り変わるもの。彼女が生まれた時代と今の時代。この街の様相はあまりにも変わりすぎた。でも、その中でも変われないものがあった。それが豊作を祈る人々の願いを自らの力の糧とした少女。


 豊穣の神ヘカーティアは、この街の歴史の歩みから取り残された哀れな女神なのだ。


「……そんなの、あんまりにも寂しすぎます」

「良いんだ。この世界はそんな存在だらけさ。だから神は自らの存在を保持するために色々と小細工を繰り返しているのさ。まぁ、私の場合はそれが功を奏さなかった訳だが」


 彼女がこの街の何でも屋を請け負っているのもきっとその一部だったのだろう。ヘカーティアという存在を隠しながらもこの街を守れる範囲で守ろうとした。


「亜神は先生の力を奪って何がしたいんでしょうか」

「……奴は自らを亜神と名乗った。神ではなく亜神であると」

「ええ、そうですね」

「亜神は神のなりそこない。信仰が何らかの形で歪み、神へと至れなかった存在だ。奴は私の神性とこの街の信仰を利用し、自ら神の座へと昇り詰めるのだろう。もちろん、その先にこの街の明るい行く末なんて一つも考慮していないだろうがね」


 神になりたい。そんな大それた目的を持った奴が本当に目の前に現れるとは。

 それにしても信じることが力になる……か。宗教や神様に祈るなんて馬鹿らしい。なんて前の世界では思っていた。だけど今はこうも思える。それで本当に救われてきたのが、きっと俺のいた世界とこの世界の大きな違いなんだ。


「神性を失った私。信仰を失った私は人と同じさ。神の力の欠片もない。聖具からなんとか取り戻した私の神性も残っていない。アヤト君に魔法契約を行えなかったのもこれが主な理由だ」


 それに関しては薄々もう勘づいていた。彼女はもう神ではない。ヘカテーという一人の美少女に過ぎない。


 ……いや、待てよ。そういえば神の使いは言っていた。


 ”能力行使による神性への介入は不可能”。つまり、神性のない存在に対して俺の力は使えるということだ。神の領域にない彼女には、俺の力が通用する。


 使えるのは一度きり。でも、もしそんなことが可能なのなら、俺がヘカテーさんの運命を切り開くことが出来るはず。


「……もしかしたら、一つだけ対抗策があります」


 ここは信仰が、祈りが、そして願いが力になる世界「アトランディア」。だったら俺にできることは、ただ一度彼女たちの旅路が良きものであらんと願うことだけだ。

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