第20話 真実は加速し警笛を鳴らす
「やぁ、アヤト君。お帰り」
ヘカテー先生の家に帰ると、彼女は月明かりだけのリビングでぼんやりと佇んでいた。
窓の外から差し込む月明かりだけが屋内をうっすらと照らし上げている。今更気づいたけど、この世界はちゃんと月が存在しているんだな。
「……ただいまです。ヘカテーさん」
結局、あの後俺とユフィは一時その場を別れることになった。正直互いにどうしていいのかわからなかったからだ。ヘカテーさんに直接今回の出来事を問い詰めりゃ良いってだけの話なのだろうが、何分相手はヘカテーさんだ。簡単に話してくれるとも思えない。
それじゃあまた日が明けてから話し合おう。ということで解散となったのだが俺はすっかり失念していた。俺が今ヘカテーさんの家に住まわせてもらっているということを。
そりゃぁこんな夜分に家主が家にいるのも当然であろうが。
「随分と外が騒がしいようだね」
「神造種が南門付近に現れまして……」
言葉選びは慎重にいかなければならない。もしかしたら、ヘカテーさんは俺たちに仇為す存在だって可能性もあるのだ。
さすがにそうはあって欲しくはないが、俺とユフィのもとに揃っている情報が全てであるなんてことはないだろう。
「神造種か……」
そう呟くヘカテーさんの表情は、月明かりで影になってこちらからはよく見えない。が、声色は既に神造種の存在を知っているかのようだった。そりゃ彼女は神様だ。それくらいのことをこの場所から知ることだって容易だったに違いない。
いや、俺は何かを忘れてないだろうか――
「ヘカテーさんはお出かけだったのでは?」
「ん、あれ、私はアヤト君にそのことを伝えていたかい?」
「何言ってるんですか。今朝朝食の時に聞きましたよ。夜は出かけるからって」
そう、彼女は先ほどまで俺とユフィの尾行を受けていたはずだ。そして教会区でその姿を消した。いや、正確にはそれどころではなくなってしまったために尾行を続けるのが困難となってしまった、が正しいのだが。
「そうだったかな」
「そーですよ」
そしてこれも嘘。彼女はそんなことを口にはしていない。俺とユフィが彼女を見つけたのはたまたまだ。偶然教会区に向かった俺たちはそこで教会関係者といるヘカテーさんを見かけた。
何やら怪しい雰囲気を醸し出していたために尾行をしたのだが、南門の方に神造種が現れたためにそれを断念。というのが事の顛末だ。
「それで、君はどこに行っていたんだい?」
「たまたまユフィと街を歩いていたら神造種の出現に遭遇しまして……先ほどまで街の衛兵たちと協力をして討伐、そしてその事後処理を」
「そうか……。それで、聖具はどうなったか気になるかな?」
「へっ?」
なんて簡単には行ってくれないよな。あんなバレバレの嘘、聡明な彼女であればすぐに見抜くことができるだろうに。どうする、誤魔化すか……?いや、なんと言って誤魔化すんだ。カマをかけられてるだけってのも……いや、あの顔はそういう訳じゃないだろう。
突然のヘカテーさんの指摘に俺の心臓が痛いほどにその脈を激しく打ち続けている。もしかしたらなんて事は考えてはいたがまさか彼女自身からそのことに触れてくるとは思ってもいなかった。
「その様子だと、それどころじゃなかったようだね」
「な、何のことだかわかりませんが、俺たちは化け物みたいな神造種を倒すので精一杯だったんですよ」
「ユフィが絶対神域魔法を使ったね」
”絶対神域魔法”
それはユフィがあの異次元レベルの強さの魔法を放った時に口にしたフレーズだ。何が絶対で何が神域なのかはさっぱり分からないが、あの魔法は確かに他のものとは明らかに異質であるものに違いなかった。
「分かるんですか……?」
「分かるさ。私は神様だからね。”同格のものの力”が使用されたときぐらい、この距離だと感知するのも容易いものさ」
同格のものとはどういうことだろうか。この世界の魔法は神様の神性を変換することによって行使される。ということは本来魔法そのものが神様と同格の力であるということに違いないのではなかろうか。
なぜ彼女はあの魔法を明らかに区別するような言い方をするんだ。
「……どうだろう、私じゃ相談相手にはならないかい?」
どこか寂しそうに自嘲的に笑う先生。俺はその顔に覚悟を決めることにした。この世界も目の前の彼女のことも、分からないことが多すぎた。分からない時はもう直接本人に問いただすしかない。
学校の先生もよく言ってたじゃないか。分からない時は素直に質問をしましょうってな。
ユフィには後で怒られることにしよう。
「ヘカテー先生、教えて欲しいことがあるんですが」
「……もちろんだ。私に分かる範囲であれば、何だって答えてあげようじゃないか」
「先生、先生の神性はもう枯渇しかけているんですか?」
俺の質問に彼女が僅かに動揺するのが分かった。これはユフィの受け売りだが、間違いなく彼女に起きている変化の一つがそれだ。
ヘカテーさん。いや、豊穣の神ヘカーティアはもう彼女の本来の権能をほとんど活用できていない。
「どうしてそう思うんだい?」
「プリズムウェルでおかしなことが起きすぎているからです。周囲の獣や神造種たちの狂暴化。この街の特産品である野菜の収穫量の低下。そしてヘカテーさんが俺と魔法の契約を結ばなかったこと。プリズムウェルの守護神的な存在であるあなたの力が万全なら、最後の一つはともかく前の二つは未然に防げた事態のはず」
彼女は座っていた椅子に改めて深く腰掛けると何かを悟ったかのように天井を仰いだ。
「それは私の気まぐれかもしれないよ?」
「いいえ。これはユフィの受け売りですが、先生はこの街を愛していると。そんなあなたがプリズムウェルに対してそのようなことが出来るはずもない」
「ユフィが嘘を言っているのかも」
「俺は今の先生よりユフィの言葉を信じます」
「……そうか」
俺の言葉に何を思ったのだろうか。彼女はおもむろに立ち上がるとキッチンの奥へと歩を進める。
「アヤト君も飲むかい?」
小さな鍋に水を汲むとヘカテーさんはそれに火をかけた。彼女がよくお茶を飲むときにこなす工程だ。
「……いただきます」
お湯が沸く間、部屋の中には沈黙が流れた。
「さて、何から話そうか」
両手に淹れたてのお茶を二つ伴なって、ヘカテーさんはどこか神妙な表情でキッチンから戻ってきた。
「まず初めに、アヤト君とユフィの推察は正解だ。私は豊穣の神としての力をほとんど失っている。私が今この街でできることは私を信仰している教会に少しでも私の知識を授けるだけに過ぎない。もちろん、彼らは私の正体がヘカーティアだということを知らないがね」
「それじゃあ先ほど教会にいたのは……?」
「あれはいつもの定例会議だよ。プリズムウェル内の問題がなぜかこの街は教会に集まってくるからね」
「自治体はあるのでは?」
「あるにはあるよ。だけど人はそんな目に見える権力よりも目に見えない信仰を信じるのさ」
目に見えない信仰。この街の人々が信じるヘカーティアの加護のことだろうか。
「まぁ、本来の目的は別にあったのだけどね」
そう言って先生は机の上に小さなランタンのようなものを取りだした。しかし、そのランタンは本来屋内を照らすための役割をはたしてはいない。中はまるで闇のように真っ暗だ。
「それは……?」
「あぁ、私の神性を込めた聖具だ。君たちが探そうとしていたね」
「でも、ただのランタンにしか……」
「そうだね、私の神性はもうこの聖具を眩く照らす程度にも残っていないということさ。私の力はもうプリズムウェルをその権能で照らせるほどにはない」
「それはどうして……」
そんな時だった。唐突に玄関の入り口から吐き気を催すほどの邪悪が流れ込んできた。そんなものがある訳もないのに、確かにその感覚はそうとしか表現できそうにないほどの嫌悪感。
「その答えにはワタシが答えようじゃないかっ!」
声がした。
それは元の世界にいた時に出来のいい生徒が質問に来た時の先生のような僅かに上ずった嬉しそうな声だった。
「だ、誰だっ!?」
振り向いた先。そこにいたのは漆黒のスーツに身を包んだ男。背は俺より僅かに高く、すらりと伸びた手足が印象的だ。しかしその表情はなぜか真っ黒な闇に包まれこちらからは見えない。
「……お迎えかな?」
「はいっ。力をなくした哀れな女神に、引導を渡してやろうと思いましてね!」
一目でわかった。こいつは人間じゃない。神造種とも違う。むしろそれよりも上位の存在としかお思えない雰囲気を放っている。
「さて少年。君の質問に答えようじゃないか」
「俺の、質問だと……?」
警戒だけは怠らずに恐らく男だろう奴の言葉に耳を向ける。俺が警戒したところで目の前の不審者に俺が何かができるとは思えないが。
「そうだ!長年この街を守ってきた女神がどうして力を失ったのか。それは人々の信仰の力の衰え。世界が神という存在を必要としなくなってきた良い傾向じゃないか」
「……どういうことだ」
「お~っと、その先はそこの先生とやらに聞くといいっ!」
そう言いながら奴はおもむろにこちらの方へと歩みを進めていく。目の前を通り過ぎるその瞬間まで、相変わらずその顔は闇に包まれて確認できない。
「それでは私は失敬するよ」
その手には、先ほどテーブルの上に置かれていた聖具が握られていた。
「ま、待て。あんたは何者だ……?」
家の外に向かっていた奴の歩みが止まった。
「ふ~む。君はなかなかに面白そうな男だ。そんな君に免じて教えてあげよう」
右手を胸に当て左手を大きく後ろに。その姿はまるでお芝居で姫に挨拶をする王子様のよう。奴は一つ気障に頭を下げるとこちらに告げた。
「ワタシは亜神スコルディオ。この街に散々神造種をけしかけたちょー本人っ!そしてプリズムウェルの信仰と、豊穣の神ヘカーティアの力を狙う者でございます。ではまた会いましょう。哀れな神とその権能を受けし者よ」
漆黒に包まれた顔の向こうで、俺には確かに邪悪が笑ったのが見えたのだった。
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