第19話 この街はまだ深く闇のなか

 キンッ――――と金属を一つ叩いたような音が鋭く空間を駆け抜けた。


 直後に訪れたのは無音。


 足はちゃんと地面についている。後方では様式美溢れていたプリズムウェルの南門が見るも無残な姿で崩れていた。


 街中の手前は神造種の侵入を許してしまったが故か、あちらこちらから轟々と火の手が上がっている。また、こんな地獄から早く立ち去ってしまいたい。そんな言葉が聞こえてきそうな衛兵たちの背中も視界の隅には映っていた。


 映っていた、はずなのに。


 なぜか一切の音が聞こえてくることはなかった。


「――えっ」


 突然の出来事に俺は咄嗟に近くにいたユフィの顔を覗き込んだ。俺が助けを求めた彼女の横顔は、まるで冷たい氷のように、静かにただ一点を見つめている。


 そんな無音の空間に、聞き慣れた彼女の声だけがまるで音叉を叩いた時のように染み渡った。


「絶対神域空間魔法『位相の方舟アルド・ノア』」


 直後、顔の前に掲げていた手をユフィは勢いよく振り下ろす。その動作にトリガーするように周囲の空間が一気に一点に引き寄せられる。咄嗟に地面に跪いて体勢を低く保つ。が、じわりじわりと体ごと地面の上を俺は一点に向かって引きずられていく。


 その先には俺とユフィの前に立ちはだかったグリフォン型の神造種が戸惑いの表情を浮かべていた。人間以外の生き物の心情なんて、その表情から図れる訳もない。だがそいつの自らに起きている事が分からないという恐怖感だけは、そんな俺にも痛いほど伝わってきた。


「大丈夫。もう終わりだから」


 地面を必死に掴もうと指を立てていた俺の右手を、暖かい何かが包み込んだ。


「ユフィ……」

「全部、アヤトのおかげだよ」


 吹き荒れる轟音を伴って世界に音が戻っていく。その音の発信源で、グリフォンはその巨体の腹から前をきれいさっぱりどこかへと失っていた。


 辛うじて地面に立っていた後ろ足とそれに付随していた僅かばかりの胴体がバランスを崩して地面に伏す。焦げ付いた肉の匂いが遅れて俺の鼻先を付いた。


 胃の中を全部ぶちまけてしまいそうになる衝動を何とか押し殺しながらユフィを見ると、どこか懐かしいものを見るかのような表情で、ぼんやりとどこか遠くの空を見つめていた。


 彼女は今何をやったのか。


 そんな顔を浮かべるユフィに、それを尋ねることが出来る訳もなかった。あれが明らかにおかしなことだということは魔法の知識がない俺にだって分かる。

 爆発なんて規模じゃない。あの魔法は明らかに”空間を切り取って”いたのだから。


「おいっ、君たち大丈夫か!?」


 俺に冷静さを取り戻させたのは、数刻前に耳にしたとある衛兵の声だった。


「あ、先ほどの……」


 南門に向かう道中に一緒に戦った衛兵。血だらけの籠手を小脇に抱えながら部下らしき衛兵を数人伴なってこちらへと歩いてくる。


「ご無事で何よりです」

「それはこちらも同じことだ。それにしても、これをやったのは君たちか……?」


 横たわる神造種の下半身を指さしながら衛兵は俺たちにそう尋ねた。


「君たち、というかほとんどそこの彼女なんですけどね。俺はただ見てるだけだったというか……」

「そうか……。改めて礼を言わせてもらうよ」

「ど、どうも」


 衛兵隊長から謝辞を受けたユフィはその言葉に小さく頭を下げると下半身だけとなったグリフォン型神造種へと近づいていく。


「ユフィ、どうかしたのか?」


 にわかに周囲が駆け付けた衛兵たちで忙しくなっていく。そんな光景に居心地の悪さを感じた俺はユフィの後ろを追いかける。


「……気になることがあるの」

「気になること?」


 「ええ、気になること」なんて言葉を口にしながらユフィはグリフォン型に向けて思い切り腰のナイフを振り下ろした。というかそんなものを常に身に着けてらっしゃいましたのね。


「……やっぱり」


 彼女の手の中にあったのはグリフォン型の体から切り取った体毛だった。


「毛がどうしたんだ……?」

「綺麗なものだわ」


 恐る恐る指先で触れると、その毛は俺の指の先をふわりとすり抜けていく。どんだけお高いシャンプーを使えばこうなるんだろう。なんてくだらないことを考えるくらいには俺も余裕を取り戻す事が出来ているらしい。


 いや、この場合は先ほどまで目の当たりにしてきた現実に、体と頭が嫌でも馴染もうとしている兆候なのだろうか。これが果たして良いことなのか悪いことなのかはわからないが、とりあえず俺は目の前の事柄がなんであるかはしっかりと理解できる程度にはいられるようだ。


「これだけの大型種よ。さっきまで捕捉できなかったということはどこかに隠れてたことになるわ」

「……隠れていた、か」


 俺たちは今プリズムウェルの南門を抜けて直ぐの場所にいる。南に続く街道をしばらく行けば右手にはコラガンさんの牧場が見えてくると言う訳だ。そしてその先には険しい山が見て取れる。世界地図によるとこの山の向こうは別の国になるらしい。


「じゃあこいつはあの山から来たってのか……?」

「いや」

「じゃあどこから……」

「気づかない?この巨体をどこかに隠そうとするならば、隠匿に優れた場所、例えば山奥やそれに近しい場所に身を隠すことになるわ。そうなるとその体には周囲の土や草が付着しているのが当然」


 そこまで言われりゃ俺だってユフィが言いたいことが何かってことぐらい察しがつく。こいつはそんなことがあり得ないと言い切れるほどにその体があまりにも綺麗すぎる。


「こいつはここに急に現れたのか?」

「ええ、この化け物はおそらく、何者かの手によってここに召喚されたのよ。しかもとびっきりのクソ野郎にね」


 神造種。それは文字通り神に造られた種族。


 つまり、もしここにこいつをけしかけた存在がいるのだとするならば、それは神と同等の力を持った存在ということだ。


「ごめんなさい、一生に一度のお願い、こんな使い捨てに使わせちゃった」


 乾いた笑いを浮かべるユフィに俺はどんな声をかけていいのかわからなかった。


「私たち、思ったよりややこしいことに首を突っ込んじゃったみたいね」

「たちって事はつまり俺もその一味って訳か?」

「あら、今更知らぬ存ぜぬはあんまりじゃないかしら。顔見知りの美少女がもしかしたら神様のペットをぶっ飛ばしちゃったのよ?もしかしたらお熱いアプローチを受けちゃうかもしれないじゃない?」


 確かに、もしそんな存在が居るとするのなら、その手先となったこいつの形をすっかり変えてしまったユフィを自らの目的の脅威、またはそれに近しい存在だと認識するだろう。


「神様もデートの誘い方ぐらいは弁えてるんじゃないか?」

「あら、それは楽しみだわ。でもそれよりも――」


 ふとユフィが俺の手を取った。


「私はアヤトの誘い方の方が気になるかも」


 何かをねだるような視線を向けるユフィ。そういえばこいつには何だかんだ今回も助けられたことになるのだろう。牧場の時のお礼もまだ出来ていなかったし、この際まとめてということで勘弁してもらおう。


「どこの店がいい?ってもこんな事態だ、飲食店なんてどこにも空いていないと思うが……」

「はい、ざーんねん。そんな誘いじゃ誰もついていかないわよ。それに先生のところにもいかなきゃ。さっきのことでうやむやになっちゃったけど、聞きたいこともある訳だし」


 そういえばすっかり忘れていた。俺たちは当初教会区にあるヘカテーさんの魔力が込められている聖具を壊そうとしていた訳だ。


 でも、今回の出来事でそれどころじゃなくなってしまう。


「ユフィの目的は、ヘカテー先生の神性を取り戻すこと。それで違いないか?」

「うん、間違いない。この街は狂っていっている。その原因は間違いなくヘカテー先生の神性の低下。私は、昔みたいなかっこよくて優しいヘカテー先生に戻って欲しい」


 いつのまにか俺の手を握る彼女の力が自然と強くなっていっているのが分かった。


「俺は今でもカッコよくて優しいと思うけどな」

「それはそうだけど……でも、だからもう直接聞くの。今何かが起きているこの裏で、ヘカテー先生がどう動いているのかを」


 ヘカテーさんのことは俺も心から心配だ。あんな異次元レベルの魔法を行使できるユフィが”先生”と呼んで慕っている彼女の現状。力になれるならなってやりたい。


「……っ!?」


 ふと、どこからか胸を突き刺すような視線を感じ俺は咄嗟に周囲を見回した。


「急にどうしたのよ」

「あ、いや、なんでもない。気のせいだと思う」

「……変なの」


 俺はまだ多分この世界の仕組みというものを甘く見ていたんだと思う。神様という存在がどういうもので、神性というものがいったいどんなことを為せるのか。


 この街はまだ、そのシステムに振り回されている最中だ。

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