第17話 切り裂くは一陣の願い
悲鳴。業炎。血の匂い。
もし地獄という場所があるのなら、きっとこんな場所なんだろうと思った。でもそんな地獄は地底の果ての果てなんて場所に存在しなくて、今、この場所に広がっている。
「ユフィ……」
南門の方で一つ大きく轟音が鳴り響いた。聞き覚えがある。ユフィの爆発魔法だ。門からは100メートルほど離れているというのに、その衝撃で吹き飛ばされた瓦礫が大通りに沿って次々とプリズムウェル内に転がり込んできていた。
俺はというと、彼女の言いつけ通り既に事切れてしまった衛兵の死体を建物の脇へと運び込んだところだった。死というものを手に抱えるのは初めてのことじゃない。
あれは確か小学校3年生の時だった。実家で飼っていた愛犬のポポが病気で亡くなった。
あの時の俺は死というものを言葉では知っていても心からは理解してはいなかった。
いつも俺の足元にすり寄っては親し気にその身を寄せてきたポポ。それが腕の中で冷たくなっているという現実を俺の幼い心は必死に拒んだ。
俺には兄弟がいない。だから物心ついた時から一緒に育ってきたポポはある種弟のようなものだったのかもしれない。それがもうピクリとも動かない。そんな事実は当時の俺の心に明確に死というものを刻み込んだ初めてのことだった。
ありきたりな話だとは思う。子どもが生まれたらよく犬を飼え。なんて言葉を聞く。犬との接し方で子どもは生き物への愛情の注ぎ方と、そして生き物としての一生を学ぶのだと。
よくもまぁそんな残酷なことが出来るな、なんて今なら思えるが思えばそんなありきたりな悲しみを他の人はよくもまあ乗り越えているものだと感じる。
死が特別なことだとは思わない。でも、ありふれたものであってはいけない。きっと今俺の横で建物に寄り掛かる彼も、その帰りを待ってくれていた人がこの街のどこかにいたはずだ。
「そっか……」
彼を俺に預けて南門へと去っていったユフィの気持ちが、今ならちょっとだけ分かるような気がした。そしてそれと同時に、どこかそんな彼女の痛みがないがしろにされているような気がして歯がゆかった。
「……ごめんなさい」
俺は死体の彼に小さく手を合わせるとその場を立ち上がる。
きっとユフィは俺に彼のことを最後までお願いしたかったはずだ。でも、今の俺はそれを遂行できそうにない。こんな路地裏に放置してしまうことへの罪悪感と、彼女との約束をちゃんと履行できないことへの謝罪から来るごめんなさいだった。
「でもさ、放ってはおけないよ……」
南門に向かう。そう決意した俺の目にあるものが止まる。それはプリズムウェル警備隊に配備される細身のブロードソードだった。
彼を運ぶときに重荷になる甲冑は取り払ったのだが、腰にベルトで巻き付けられたそれだけは手間取って上手く外せなかったのだ。時間をかけてもまずいと思い荷物になりながらも置き去りにはできなかった。
それに剣は男の命だ。なんて漫画で読んだこともある。彼が生前その剣をどう思っていたのかは知らないが、それでも少なくとも俺がプリズムウェルに来てこれまでの間、この街を守っていた剣には違いなかった。
「初めて持ったけど、やっぱ重いな。……しばらく、お借りします」
鈍色に光る刀身にはところどころ血が付着していた。彼が立派に門の向こう側で戦い続けていた証が、そこにはあった。
「待ってろ」
―――
南門の直前まで迫った時、そこでは数人の衛兵たちが小型の獣達と戦っていた。ウォーバックよりも一回り大きく筋肉質。特徴的なのは、その頭部が二つあることだった。
「神造種か……っ!?」
そのあまりの異質さにそいつが生命の進化の理から外れた存在だということは一目でわかった。
「助太刀しますっ!」
手近にいた衛兵に声をかけると彼はその頬を返り血で真っ赤に染めながら俺の方を一瞥する。
「助かる、援軍かっ!って……お前冒険者……じゃないな?」
そういうのは直ぐに見抜かれてしまうのだろう。確かに俺には街中を守る衛兵たちや冒険者とやらと同じような力はない。でも、だからといって鉄でできた棒きれ一つ振れない存在ではなかった。
数は20ほど。多すぎるぐらいだがここを切り抜けないと南門を出ることはできない。覚悟を決める時だろう。
「注意を引くぐらいならできます。とどめはお任せしますので」
「だがっ!」
街を守るのが彼らの仕事。本来ならば守るべき存在であるそんな人間に助けられる訳には行かない、というのが彼らの本意なのだろう。
だけど、俺には俺でここで立ち止まれない理由がある。
「この先に、俺が見届けなきゃいけない人がいるんです」
「……お前、嬢ちゃんの知り合いか?」
「はい」
衛兵はユフィとすれ違ったのだろう。見れば今戦っている大通りの脇には頭部が爆ぜたかのような二頭犬の死体が数多く転がっている。恐らくユフィの攻撃によるものだ。
「……分かった。嬢ちゃんの知り合いなら話は別だ。俺もさっき助けてもらった。頼む」
「ありがとうございます」
まさか牧場での立ち回りがこんなところで生かされるとは思ってもいなかった。俺はあの時の動きを思い返すように衛兵たちの死角から迫る神造種に対して横やりを入れていった。
神造種と言えどやはり全てがあの化け物のような存在ではないらしい。他の獣よりは強いがあくまでも生き物。急所を落とせば死ぬし恐怖心だって抱くのだろう。
だがやはり神が造りし生物なだけある。多少の怪我程度ならその体内に宿る神性で一瞬にして治癒できてしまうようだ。急所を一撃で潰す彼女の選択は間違っていなかったようだ。
「少年、行けっ!」
それから10分ほど経った頃だろうか。ふと衛兵の中の一人が俺に叫び声をあげた。見れば数が減ったおかげか二頭犬の群れに隙間が生じていた。
「助かりますっ!」
俺は迷いなくその隙間めがけて走り込む。突破の最中に俺に反応したのが数匹こちらに襲い掛かってきたが、衛兵の一人が放った弓のような光に打ち抜かれ地面へと打ち付けられている。
あれも恐らく魔法の一つなのだろう。
「生きて帰れよっ!」
その言葉に一つ大きく拳を振ると南門の向こうへ。
その先に見えたのはボロボロの少女が必死に門の前に立ちふさがる姿だった。
―――
「ユフィっ!」
その声に彼女は俺の方を振り返る。
「バカっ!何で来たのよっ!死にたいのっ!?」
いや、彼女の疑問はごもっとも。こんな死地に俺が来てユフィと一緒に戦えるなんてのは思っていない。
「ご、ごめん。それより傷は大丈夫か?」
「あんた守ってたら傷どころじゃなくなりそうだけどね」
「それも……ついでにすまん」
見れば彼女の綺麗な顔は擦過傷で幾重にも傷ついていた。それ以外にも激しく吹き飛ばされたのだろう。服はボロボロに汚れすらりと伸びた手足も目を逸らしたくなるような生々しい傷がいくつも見て取れた。
「ボロボロだな」
「まぁね。でもおんなじぐらいぼこぼこにしてやったわ」
彼女の視線の先。未だその巨体を大きく揺らすグリフォンもどきはこちらを伺うように視線を向けている。魔法少女の変身バンク中に攻撃しない系モンスター君で助かった。
どうやら俺たちの動きを警戒すべきと見たのか直ぐに襲い掛かってはこないようだ。
もちろん、警戒しているのは俺ではなくユフィの方だろう。見れば奴の体には幾重もの被弾の跡が見て取れる。大きな両羽の左側はその被膜に特大の穴が開いていた。更には左後ろ足の外側にも大きく抉れた部位が見て取れる。それ以外にもいくつものやけどのような跡がその体にはあった。
ユフィはすごい。それと同時に自分が情けなくなるな。
「ユフィの綺麗な顔に傷をつけたバツだな」
「……全くよ。お嫁に行けなくなっちゃう」
「顔以前に性格の問題で無理じゃないか?」
「はぁ!?爆死させるわよ!?」
「……元気そうで何よりだ」
ふと、ユフィが大きく肩で息をするのが分かった。
「元気に見える?」
「見えないな」
「もうちょっとで倒せそうなんだけど……」
「そのもうちょっとが無理そうか?」
「……うん。足、動かなくなっちゃった」
彼女の足元が小さく震えるのが見て取れる。恐らくこうして俺の前で立っているのもやっとなんだろう。
「ごめんね」
「謝ることじゃない」
申し訳なさそうに笑うユフィの頬を俺はそっと撫でた。こんなになって頑張っている美少女に、謝られるなんて情けない限りだ。
でも、きっと俺のこの世界での役割は、カッコよく剣を振るったりど派手な魔法で敵を吹き飛ばすことじゃない。きっと、目の前で折れそうになっている少女にちょっとだけ勇気を吹き込むことだ。
「大丈夫。ユフィならできるさ」
「どうしてそう思うの……?」
俺の心の奥底が熱くなるのが分かった。心臓の高鳴りとも、恋をしているときのドキドキとも違う。この感覚は――俺の中の神性。
運命神様のお力かなんかは知らんが、俺は俺の力で、俺と彼女の運命を切り開くんだ。そう、この力で――
「俺がお前に魔法をかけるからさ」
もう一度ユフィの方を向き直る。正面から見た彼女の顔は、やっぱり今日も綺麗だった。
「『一生に一度のお願いだ。ありったけをあいつにぶつけてくれ、ユフィっ!』」
彼女は今までで見てきた中でもとびっきりの見惚れる表情で小さく笑った。
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