第16話 災厄は最悪を伴い舞い降りる
とにもかくにも現状の把握が最優先。俺たちはユフィが泣き止むのを待つとすぐに街へと繰り出していった。
いつの間にか結構な時間が経っていたらしくすっかりと日は落ちてしまったようで、プリズムウェルの街中は昼間の雑踏から夜の喧騒へとその姿を変えようとしている時間帯だった。
露店や飲食店が並ぶ大通りを抜け、俺たちはプリズムウェルの中心部へと向かっていく。先導するのはユフィなので俺はただその背中を追いかけていくだけだった。
「で、これからどこへ向かおうというのだいお嬢さん」
「なぁにその言い方?」
「いや、ユフィの顔がまだ暗いままだからさ、なんか元気づけてやろうかと」
「余計なお世話っ!」
ぷいと頬を膨らませて俺からそっぽを向くユフィ。可愛い。
「でも…………ありがと」
はい、そこに小さくお礼を付け加える。100点満点中7億点ですね。
「今から行くのはプリズムウェルの真ん中。所謂教会区と呼ばれる区画よ」
これはコラガンさんから聞き及んだ話だが、このプリズムウェルは大きく分けて四つの区画に分けられている。
一つが商業区。先ほど俺たちが通ってきた大通りもそこに位置する。多くの商店や飲食店が立ち並び、プリズムウェルが一大商業都市と言われている所以ともなっている区画である。
二つ目が居住区。ここは名前の通りプリズムウェル内の多くの人間が住んでいる場所だ。プリズムウェルに住む人間も年々増えているらしく、その規模は本当に日単位で拡大しているらしい。
例外として商業区にも住居を構えている人間はいるが、これは主に商業区に店を持っている人間が店と一体となっている住居に住んでいるからというパターンがあるからだ。
三つめが倉庫街。先ほど二つとは一回りも二回りもその広さは劣るが、プリズムウェルのもう一つの心臓はどこかと言われたら間違いなくここだろう。
ここは文字通り多くの倉庫群が立ち並ぶ区画。しかしその多くがプリズムウェルに居を構える商業ギルドや貿易組合の所有物なのだそうだ。彼らの活動の基盤となっているこの巨大倉庫群はまさにプリズムウェルの繁栄の一翼を担っていると言えるだろう。
そして最後が今から俺たちが向かっている教会区。しかしここはコラガンさんもよくは知らないらしかった。俺も知っていることと言えば大きな教会とそこに勤める教会関係者の住居があるということぐらい。まぁ、小さな教会程度ならほかの区画にもいくつか存在はしているのだが。
「教会区ってそういえば一体何があるんだ……?」
詳しいことを知らない俺は先行するユフィにそう尋ねる。
「教会区は文字通りプリズムウェルの大教会とそれに付随する建物がある区画よ」
「教会ねぇ。そもそもあの教会は何のためにあるんだ?」
「なんのためってあんた、この街が何を信仰しているのか分かってるの?」
「そりゃぁ――」
これは俺の勝手なイメージだが、世の中の教会って言うのは大抵信仰している神やそれに近しい何かの教えを伝えたり広めたりする場所であり、また宗教的な行事がそこで行われたりなんてする場所だ。つまりこの街の教会はこの街の神様を祀っている場所ということになる。
プリズムウェル。かつて農耕地帯だったこの場所は、とある神様の加護により飛躍的に発展を遂げた。その原動力となったのはこの地域で採れる農作物だったそうだ。
「豊穣の神、ヘカーティア」
「そ、せーかい」
この街の教会は、ヘカテーさんをその頂点として成り立っている。
「なぁユフィ、一つ聞きたいんだが」
ぴたり。俺の足が細い路地の真ん中で止まった。俺の声に思うところがあったのかユフィもそれに倣うように足を止める。
「どしたの?」
「お前、もしかして疑ってるのか……?」
「それは違う」
彼女は”何を”とは聞かなかった。きっとユフィ自身もそれを分かってて、俺がそれに気づいたことも理解しているのだろう。
それに彼女はこういった。「私の先生を助けて欲しい」と。ならば、ここは一度はっきりとさせておかなければならない。
「じゃあどうして教会に?」
「教会の地下にはね、その地域を守る神様の神性を宿した聖具があるのよ」
「それがどうしたってんだよ」
「その力が年々弱まっているという話を耳にしたの」
「どこから……」
「ちょっとした伝手でね。オハナシしてもらっちゃった」
そう口にした彼女はどこか影のある笑顔を浮かべていた。そのオハナシとやらは決してユフィ自身の本意ではなかったんだろう。
「その聖具とやらをぶっ壊そうってか?」
「……どうしよう」
大きく一つため息をつくユフィに、俺は何と声をかけていいのかわからなかった。
「先生はさ、もうきっとこの先神様としては長くないんだよ」
「それは……」
薄々感づいていた。
豊穣の神ヘカーティア。その神性はもうかなり衰えているということ。
思えば兆候はいくつかあったのだろう。例えばこの街の周辺の野菜の収穫量が減っていること。そしてそんな農作物を荒らす獣たちが活発化していること。そして極めつけは、彼女が俺と契約を結ばなかったこと。
あれはヘカテーさんが俺と契約を結びたくなかった訳じゃない。神性の低下により俺に譲渡できるだけの力をもう既に持ち合わせていなかったからだ。
この世界の魔法は契約した神の神性を介して行使される。仮に彼女が自らの神性をありったけ譲渡するつもりで俺と契約を行ったとしても、その量には限りがあるということを分かっていたのだろう。
だからあんな風に断った。俺の安易なお願いが、ヘカテーさんにあんな寂しい顔をさせた。
まぁ、もし俺のことをよく思っていなかったから契約を結ばなかったなんて事実があったら俺は一週間ほど寝込むことになるのだが、それはこの際考えないことにしよう。
「……ユフィは、ヘカテーさんにどうあって欲しいんだ?」
「生きててほしい」
「それは神様としてか、それとも人として」
「それは……分かんないや」
今にも泣きそうになるその横顔に、俺はそれ以上何も聞けなかった。
「それにしてもどうして聖具なんだ?」
「聖具を壊すなり手に入れるなりすれば、そこに込められている先生の力を解放できるはずなのよ。そうすると、彼女の神性をも多少なりと復活すると思う」
「でもそれは延命処置でしかないぞ?それにきっとプリズムウェルの加護は……」
「それは、私もわかってるつもりっ!でもっ……」
プリズムウェルの繁栄はヘカーティア神の加護により成り立った。それがなくなってしまうというのがどういうことか、彼女自身もよくわかっているはずだ。
「とりあえず歩こうぜ。こんな路地裏にいつまでも居てもしょうがないだろ」
「うん」
「それにほら、俺、大教会を近くで見たことないんだよ。この街で一番デカい建物だろ?一度近くで拝んでみたかったんだよなっ!」
務めて明るく声を上げる。ユフィを元気づけたかったのが八割と、残り二割は実は本当にちゃんとその大教会を拝んでみたかったっていうのもあったりなかったり。
「分かったわ、案内してあげるっ!」
俺の意図に気づいているのかいないのか。先ほどの暗い顔はどこへ行ったやら、ユフィは俺の手を取って意気揚々と歩きだしていく。
本来はこういった雰囲気が彼女らしいのだろう。俺は手から伝わる温もりに若干の照れ臭さを感じながら前を行くユフィの背中を追いかけるのだった。
しかし、事が起こったのは大教会が眼前にまで迫った時のことだった。
大教会のうんちくをあれこれと楽しそうに話していたユフィがふと足を止めたのだ。
「どうした……?」
「先生がいる」
彼女がふと大教会の脇を指さした。暗がりでよくわかりにくいが確かにそこには数人の司祭のような人間に囲まれたヘカテー先生が居た。
「……隠れよう」
そう提案したユフィに同意の意思を込めて一つ頷くと俺たちは教会脇の噴水へと姿を隠す。
「こんなところで何をしているんだろうか……」
「分かんない。でも、なんか怪しい感じ」
数人の男性を伴って暗がりへと姿を消す美少女。文字だけ見れば薄い本が熱くなりそうな展開だが残念ながらそういう訳ではないだろう。いや、この場合それを残念がっているのは違うのか?
「追いましょう」
「……分かった」
止めようかとも一瞬迷った。彼女はこの街でも有名人。いろんな人からの頼まれごとを請け負っている何でも屋だ。教会の人間とも接点があってもおかしくない。
が、事が事だけに俺はユフィの言葉を止める気にはならなかった。この街には今明らかに異変が起こっていて、それがきっとヘカテー先生の神性の低下に由来している。
もし、それが教会関係者とのいざこざが原因だったりするのであれば俺も先生の力になってあげたいと思う。この世界に着の身着のまま流された俺に対して、本当に良くしてくれた人だ。彼女に何か起こっているのであれば、力になってあげたいという思いは俺だって変わらない。
南門から爆発音が上がったのはそんな時だった。
「なんなのっ!?」
咄嗟の出来事に俺とユフィはそちらの方を振り返る。見れば商業区の向こう、南門の方から黒煙が上がっている。遠くの方からは悲鳴に似た騒めきまで聞こえてきていた。
「……嫌な感じがする」
「あぁ」
ヘカテーさんの方はいったん保留だ。何があったのかを確認するために俺たちはすぐに南門の方へと駆け出していく。
「…………ぅぁあ……っ!」
南門まで100メートルほどといった地点に辿り着いた時、そこは地獄絵図と化していた。
「う……そ……なに、がっ……」
鼻をツンと突く鉄の匂い。響き渡るけたたましい悲鳴。転がる甲冑。地面に伏す人々。
俺はその時、初めてこの世界の理不尽というのを目の当たりにしたんだと思う。
「グルァアアアアアアアアアアア」
空を引き裂くかのような何かの叫びが辺りに響いた。
「お、まえ、らも……にげ、ろっ……」
南門から血だらけになった衛兵がこちらへと歩いてくる。見れば彼の右手は肩から先が存在しない。
「な、何があったんですっ!?」
今にも崩れそうな彼を支えながらユフィが尋ねる。
「や、奴が……」
ユフィの手を離れ地面へと崩れ落ちる衛兵。彼に寄り添うユフィが小さく首を振ったのが分かった。初めて、人の死ぬ瞬間というのを目の当たりにした。全身の血が冷たくなっていくのが分かる。背筋に刃物を当てられたかのように体中から血の気が引いていく。
「アヤト。この人をどこか建物の影に。せめてご遺体だけは家族のもとに届けないと」
それだけ口にするとユフィはその場を立ち上がり南門の方へと足を向けた。
「どこに行くんだっ!?」
「……あいつを、ぶっ殺すっ」
そう言い放った横顔が燃えるような怒りに包まれているのが手に取るように見て取れた。彼女のそんな表情を初めて見た俺は、それ以上なんて声をかけていいのか分からない。
「ゆ、ふぃ……っ!?」
とにかくなんとか声をかけなければ。そう思いその名前を呼んだ直後のことだった。崩れた南門の奥。ユフィの視線の先。そこに何かの姿が見えた。
高さ5メートル。プリズムウェルの周囲を囲う外壁の高さ。その高さを優に超える何かがそこにはいた。
「ガァアアアアアアアアアア」
グリフォン。その姿は、俺の元居た世界にいたそんな名前の架空の生物によく似ていた。
「神造種……」
異質と地獄が交わる場所に、俺は災厄の姿を見た。
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