第14話 ぬくもりと揺れる認知

 真っ暗闇に包まれていた意識が、ぼんやりと戻ってくる感覚を感じる。俺はいったいどうしていたんだっけ……。目を開けるのも億劫になるくらいの全身の痛みに、俺は思わず小さく息を漏らした。


「あ、起きた」


 そんな声が聞こえたのは、両手両足が無事にくっついているのが痛覚によって認識できたそんな時だった。その出来事に安心していいのか悪いのか、若干の戸惑いを抱いているところにふと暖かい感触が頬を包んだ。


 いや、四肢がくっついていることに関してはそりゃ安心したほうがいいのだけれど。


「……ゆ、……ふぃ?」

「はい、ユフィさんですよ」


 未だクリアにならない意識の中、二つの豊かなふくらみとその隙間の向こうの見慣れた綺麗な顔が俺の視界に飛び込んできた。


「あ、えっと……」


 普通ならこんな風に人間のパーツが見えたりはしない。彼女の後ろに夕焼け空が広がっていることを推察するに、俺はどうやら仰向けに寝転がっているようだ。


「……どういう状況だ?」

「ごめんね、あんまり動かすのはマズいかと思って」


 少しずつ意識が戻ってきた。そういえば、あの巨大人型獣に吹き飛ばされて……。


「こ、コラガンさんは……ぶ、無事か……?」


 思えば俺があのいかにもな危険生物に突っ込んでいったのは、彼のピンチがあったがゆえだ。コラガンさんを助けに行った俺はあの生き物に一蹴され、そして最期を悟ったところに――。


「無事、とまではいかないまでも大丈夫よ」


 その言葉に俺は大きく胸を撫で下ろした。もし俺があの場面で助けに入っていなかったら、きっとコラガンさんと二度と言葉を交わすことが出来なかっただろう。


 に、してもだ。先ほどから後頭部がやけに柔らかくて暖かい。先ほどの光景を踏まえるとすぐに今の状況に思い至る。


「ユフィ」

「ん、どうしたの?」

「もしかしなくても、俺今膝枕されてる?」


 まぁ、これはあくまでも経験なんかじゃなくて想像なんだけど。


 意識した瞬間猛烈に恥ずかしくなってきた。今目の前に広がる絶景も、後頭部越しのぬくもりも”膝枕をされている”と考えれば全て辻褄が合うのだ。


「吹き飛ばされて地面に転がるのが目に入っちゃったから……その、あんまり動かさない方がいいかと思って。でもここ草が生えてるとはいえ一応地面でしょ?その……」


 顔を真っ赤にしながらもじもじとするユフィ。彼女の横顔を照らす夕日に負けじと、その顔はこちらから分かるくらいに染まっていた。


「…………嫌、だった?」


 もしこの世界でその言葉に対して嫌だなんて答えるやつがいたら、俺は生涯をかけてそいつをぶん殴りに行くんだろうな。


 照れくささはあるものの、これがあの時勇気を振り絞ったご褒美だと思えば頑張ってよかった。……結果は散々だったけど。


「目の前の絶景と太ももの柔らかさに、俺は今幸せを嚙みしめてる」

「……えっち」


 ぼそりと呟くユフィだったが自然と嫌そうな態度には見えなかった。


「私なんかでごめんね、もっと可愛い子が良かったよね!」

「……ユフィは可愛いだろ?」


 瞬間、さっきまで夕焼けだった顔がタコのように茹で上がる。


「そそそそ……そうですかい!?」

「ふはっ、なんだよそうですかい?って」

「だだだってアヤトが変なこと言うからっ!」

「変なことを先に聞いてきたのはユフィの方だろう?」


 何をおかしなことを。俺はただ事実を告げただけじゃないか。それに美少女の膝枕なんて現実世界じゃ金を払わないといけないとやってもらえないんだぞ。


「でも、だって、その、えっと……」


 慌てふためく彼女を見ていると、逆に自分が落ち着きを取り戻していく。言いたいことはいっぱいあるけど、まずは何より彼女に伝えなきゃいけないことがあった。


「ユフィ」

「は、はひぃ……」


 きっとこれからあんな出来事がいっぱいこの身に降りかかってくるんだろう。俺がこの世界でどれだけやっていけるのかは今だに不明瞭なことばかりだけれど、それでも歩き出した道の先をしっかりと繋ぎ止めてくれたのは、何よりも彼女なのだ。だから――


「助けてくれてありがとな、ユフィ」

「どういたしまして」


 二人の間を、ただ静かな空間が包んでいく。照れくさいやり取りのせいで火照った体に、吹き抜けていくプリズムウェルの風が心地よかった。


「……ふふっ」

「……ふっ、……ははっ」


 空を見上げようとすると、こちらを見下ろすようなユフィの視線と交差した。彼女の艶やかなブロンズの髪が、俺の鼻先を霞めてくすぐったい。


 まるで恋人のような甘ったるい空間が妙に笑えてしまうのはどうしてなんだろうか。向こうもそれを察したようで俺たちは互いに誘われるようにひとしきり笑いあった。


「おう、目覚めたか」


 しばらくそうして笑いあっただろうか。ふと俺たちの後方から聞き慣れた声が聞こえた。


「コラガンさんっ!……っ!」


 そこには右手を半ば庇うようにしながら歩いてくるコラガンさんの姿があった。さすがに人前でこんな恰好をしているのもどうかと思い、痛む体を何とか動かしながら俺はユフィの近くに腰を下ろした。


「……全く無茶しやがって」

「それはお互い様ですよ」

「へいへいそうかい」


 そして彼は俺たちの近くにドカリと座り込む。


「あ、そうだ。ユフィ、こちらはこのトンピッグ牧場の主の……」

「コラガンさんでしょ?さっき自己紹介を済ませたわ」

「そ、そうか」

「いやぁ、それにしてもユフィ嬢ちゃんのおかげで助かった」

「私も……間に合ってよかったです」


 そう言ってユフィもほっとしたような顔を浮かべる。


 そういえば、聞きたいことはたくさんあったのだ。この数刻で俺の知らないこと、そして俺の聞きたいことがあまりにも増えすぎた。


 未知の生物、未知の言葉。


 それになにより――


「ユフィはどうしてあそこに……?」


 まずはその一点に尽きるだろう。絶妙なタイミング、見計らったかのような登場。まるで何かに導かれるように彼女はその場に現れた。


「……話せば長くなるの」


 俺の問いかけにユフィは苦い顔をして答える。


「まず、今日私があそこに現れたのは、アヤトとコラガンさんを襲ったあの獣、バーリアンディートを追いかけていたからなの」


 バーリアンディート。コラガンさんとユフィがそう呼んだ大型巨人獣。俺は咄嗟に奴に襲われた場所へと視線を動かす。しかしそこには何もなく、まるで俺たちの戦闘なんてなかったかのように見慣れた草原へと戻っている。


「あいつを追っかけて動いていたんだけど途中から見失っちゃって……って時にこの牧場から声が聞こえたの」


 恐らく最初にあいつに切りかかっていったコラガンさんの声だろう。


「バーリアンディート。本来はプリズムウェルの周辺にいるような神造種なんかじゃないんだけど……」


 何かを思案するように考え込むユフィ。それに同調するようにコラガンさんも数度首を縦に振りながら険しい表情を浮かべている。


 確かに、俺が見てきたような獣たちとは明らかに奴が違う存在だということは分かる。


 あれを排除できるのはユフィや恐らくヘカテーさんのような高位の存在でなければならないのだというのもなんとなく理解できた。


 あの時咄嗟にコラガンさんが俺を街に行くようにと仕向けたのもきっとその辺が関係しているのだろう。物理で抗うことが難しく魔法のような高等技術でないと排除できない。


 あの存在は一体何者なんだ……。


「なぁ、教えてくれユフィ」


 奴のような獣はこの世界にたくさんいるのだろうか。この先ああいう奴と幾度となく対峙する場面が出てくるのだろうか。


 ならば知らなければならない。あいつが何者で、そしてどういう存在なのかを。


「あいつは……一体何なんだ?」


 ユフィとコラガンさんが小さく息を呑むのが分かった。が、俺の真剣なまなざしに気づいたのか一つため息をついてユフィが口を開く。


「神造種。あいつらは文字通り、神様の造った種族なのよ」


 俺は、文字通り別次元の世界に来てしまっている。

 その存在を認知した時、改めて俺はそのことを痛感した。

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