第11話 初めての依頼は苦い味
「えっと、ここか……」
プリズムウェルの南門を出て、徒歩で更に二十分ほど南へ。
ヘカテーさんから新しい依頼を受けた翌日、俺はその依頼主が経営をしているトンピッグ牧場を訪れていた。
事前に手紙に記載されていたその場所は俺が想像するようなまさに牧場という場所だった。地方の野球場ほどのサイズの敷地が胸の高さまでの木枠が囲っており、その中を青々とした草が覆っている。
「あれがトンピッグかぁ」
放し飼いされているのだろうか。牧場の一角では呑気に地面の草を食んでいる四足歩行の生物が見て取れた。豚よりもちょっと大きいが牛ほどのサイズではない。まだら模様のピンクの体表は薄い毛に覆われている。その下にはきっと先日食べたトンピッグの肉が詰まっているのだろう。
ヘカテー先生の話によると、この牧場はプリズムウェル内の市場や飲食店に多くのトンピッグを卸しているらしい。
そういえばどうしてヘカテーさんのもとに依頼が集まってくるんだろうか。
「まぁ、あの人に頼っとけば大抵のことが何とかなりそうな気がするもんなぁ……」
それについては俺も自分のことを言えないけれど。なんてことを思いながら見上げた空は、青々とどこまでも広がっていた。思えばこうやってちゃんとこの世界の空を見たことは初めてかもしれないな。
でも、空って言うのはどこの世界に行ってもそんなに変わるものではないらしく、俺が居た世界とあまり変わらない色をしたそれにどこか安心感さえ覚えてしまった自分がいた。
「さて、こんなところで油を売ってる場合じゃないな」
背中に背負った荷物を改めて抱え直すと俺は遠くに見える厩舎の方へと歩き出した。
「あの、こんにちは。誰かいらっしゃいますでしょうか?」
厩舎へはそれから直ぐに辿り着いた。木造の建物は比較的新しくこの牧場の経営がしっかりと軌道に乗っているのが見て取れる。
「ん、こんな時間に誰だ?」
この世界には最新鋭の機械も備わっているんだな、なんて厩舎横に置かれているよく分からない機械に見とれているそんな時だった。
ふと俺の背中から男の人の声が聞こえてくる。
「あ、えっと、自分はヘカテーさんの使いで来たもので……!」
そこにいたのは初老の男性。使い込まれたオーバーオールに身を包み、頭には日よけの麦わら帽子を被っている。日に焼けた顔には僅かに皴が見て取れるが、それとは逆にその雰囲気からは老いというものを一切感じられない。
「ん、あんたがヘカテーさんの……。本人じゃないのかい?」
「その代理で参りました、ナナサキ・アヤトです」
俺は背負った荷物から一枚の封筒を取り出す。出がけにヘカテーさんから渡されたものだ。本人曰く推薦状と聞いているがその中身に何が書かれているのかまでは俺は知らない。
男性は俺が差し出した推薦状にさらりと目を通すと俺の方へと視線を向き直した。
「まぁ、分かった。ワシはコラガン。このトンピッグ牧場の牧場主で、今回ヘカテーさんに依頼を出したのもワシじゃ」
「よ、よろしくお願いします!」
握手のために握り返した手はゴツゴツとまるで石のようだった。年季の入ったその手からは、コラガンさんが生きてきた一種の歴史のようなものを感じられる。
「ん、どうした?」
「いえ……かっこいい手だなと思いまして」
俺の言葉にコラガンさんは意外そうな顔を見せる。
「かっこいいだと?こんな無骨な手がかぁ?」
「ええ。この手はきっと俺の知らないことをいっぱい知っているんだろうな。なんて思うと、憧れずにはいられません」
「……気に入った。早速仕事を教えてやる」
くしゃりと笑顔を浮かべるコラガンさん。受け入れてもらったことにほっとしたのも束の間。直後差し出される俺の身長ほどもある農機具に俺はこれから先の苦労を思う。
「じゃ、早速餌の牧草をほぐしてもらおうか」
コラガンさんに言われるがまま二時間ほど。俺は汗だくになりながら牧草をほぐしていた。
「若ぇのにだらしねぇなー!」
バンと一つ背中を叩かれコラガンさんに気合いを注入される。
「い、いやぁ……体力はそこそこあると思ってたんですけどね……」
額の汗をぬぐいながら俺は大きく深呼吸をする。そもそも、まずこの農機具が重すぎる。俺の身長程の木製の柄の先には、これまた金属製の三叉に分かれたデカいフォークのようなものがついている。
これで固められた牧草をほぐして厩舎の餌箱へと運ぶのだ。
「こいつがなかなか重くてですね……」
ほぐれた牧草を厩舎へと運搬するために使用する荷車に積み込む。そしてそれを引きながら厩舎までの緩やかな坂道を荷車を引きながら上り下りしていくのだ。
「ははっ、まぁ慣れよ慣れ」
「いつもこの作業を一人で?」
坂道が足に来るのを何とかこらえながら、俺は荷車の横で詰まれた牧草が崩れないようにと支えてくれているコラガンさんへと声をかける。
「まぁな。妻が死んでからずっと一人だ」
ふと、先ほどまで快活そうに言葉を交わしていたコラガンさんがぽつりと寂しそうに呟いた。
「す、すいません。踏み込んだことを……っ!」
「いや、坊主のせいじゃないさ……」
重くなった空気を何とかしようと話題を探して周囲に視線を飛ばす。その音が聞こえてきたのはそんな時だった。
カランカランっ、と何かが鳴る騒がしい音が厩舎の一角に響く。
「……来たか」
そう呟いたコラガンさんは荷車の牧草をよそに一目散に厩舎へと駆けていく。
「坊主っ!お前も来いっ!依頼料分は働いてもらうぞ!」
状況もよくわからないまま俺もその背中を追いかける。
「行くぞ、あの音は南側の罠だ!武器を持っていくのを忘れるなよ!」
言われるままに俺は昨日と同じ店で買ったこん棒を手にする。ヘカテーさんに頭を下げて貸して貰った金で買った俺の唯一の武器である。
「どこに向かってるんです!?」
「奴らが来たんだ。ウォーバックだよ」
「ウォーバック……?」
聞いたことない名前だった。恐らくこの世界の生物だと思うが……。そういえば依頼内容は確かこの牧場の防衛だったはずだ。ということはそのウォーバックとやらが牧場を襲う厄介な奴らってことか。
「強いんですか?」
「一体一体は知れたものだが何しろ数が数だ。魔法が無くても追い払えはするが気ぃ張ってないと怪我するぞ」
「分かりましたっ!」
辿り着いた牧場の南側は木製の柵が一か所大きく壊れていた。
そしてそこから侵入したのだろう四匹の小型生物が放し飼いにされていた近くのトンピッグに襲い掛かっている。
「あれが……」
四足歩行の中型犬のような見た目の生物が、鋭い牙をトンピッグに突き刺している。トンピッグも必死に抵抗を試みているようだが突き立てられた牙が肉に深く食い込み、なかなか引き剥がすことが出来ないようだ。
そこにコラガンさんが厩舎から取り出してきたのだろうサーベルを片手に襲い掛かっていく。
「はぁああ!」
一刀。
トンピッグへと食らいついていたウォーバックの首が宙に舞った。ギラリときらめく切れ味鋭いサーベルがウォーバックの首を一薙ぎで切り伏せたのだ。
「何をぼーっとしてる坊主っ!」
その手際に見とれていたのがまずかった。仲間がやられたことに激情したのか、残りの三匹がターゲットをこちらへと変えたのだ。
「やっべっ!」
前方から一匹。後方からもう一匹。タイミングをずらして二頭がこちらに飛びかかってくるのが見て取れる。
その光景に無意識に体が反応したのか俺は咄嗟に体を左に大きく逸らす。後方からの飛びかかりは何とか躱すことに成功したものの、正面からの攻撃はそのまま手に持っていたこん棒で受け止めることしかできない。
ダッシュにより勢いの乗った飛びかかりは俺の足で踏ん張れるほどの威力ではなく、そのまま体が後方へと勢いよく突き飛ばされる。
「大丈夫か?」
近くではコラガンさんの方へと向かっていった残りの一匹が大きく腹を割かれて倒れているのが目に入った。
「な、なんとか……」
コラガンさんの加勢を得た俺はその後すぐに残りの二匹も制圧に成功する。頭を大きく殴りつけた時のこん棒越しの鈍い感触が、なんとなく忘れられなかった。
「……遅かったか」
ふと声の方を見れば、そこでは既にこと切れてしまったトンピッグを寂しそうにコラガンさんが眺めていた。
「すみません……依頼はこの牧場の防衛だったはずなのに……」
「坊主のせいじゃないさ。この世界にはどんだけ死力を尽くしても守れないものってのが山ほどある。なら、俺たちがやることはその守れなかったものに恥じない生き方をすることだ」
その言葉に、俺はどう言葉を返していいかわからなかった。
「……まぁ、美味い晩飯でも食ってけや。明日からも忙しくなるからな」
「はい、いただきます」
その後、コラガンさんにご馳走してもらったトンピッグのステーキはこの世界で食べたもので一番美味しかった。多分、俺はこの先ずっとその味を忘れないんだろう。
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