第6話 神は畑では採れない

  手元のティーカップに一口口を付けると、ヘカテーさんは小さくふぅと息を吐いた。


「えっと……それは……」


 妙に色っぽさを含んだ仕草から目を逸らしつつ、俺はどう誤魔化したものかとぐるぐると頭を回す。


 実際俺がこの世界の人間じゃなくて、とある神様の気まぐれによってこの世界で生かされているなんて事がバレたら一体どうなるんだろうか。


 ちらとヘカテーさんの表情を盗み見ようと試みるが、俺が視線を寄こした瞬間にばっちりと目が合ってしまった。


「どうやって誤魔化そうか、なんて考えている顔だね」

「やだなーそんな訳…………はい、そうです」


 抵抗を試みようとしてはみるもののすぐさま白旗を上げる俺。いや、情けないなんて思わないでくれ。ヘカテーさんの前ではどうにも嘘は突き通せない気がするのだ。


 こればっかりは対峙してみなければ伝わらない感覚だとは思うのだけれど。


「えっ、な、何それ知らないんだけれど!?」


 俺の白旗に驚きの声を上げているのはユフィだった。そりゃそうだ、だって彼女にはそんなことは一言も告げていないのだから。でも、今思えばあの時の俺は随分と不審な動きをした。全く持って見抜けないなんてことはないとは思うが……いや、気づける方が異常と考えたほうがいいのだろうか。


「まぁ、伝えてないからね。それよりもヘカテーさん」

「なんだい?」

「どうしてそう思ったんですか?というか、俺に力を与えた存在と同じって一体……?」


 「ふむ」と小さく頷くと、彼女は手元のティーカップをテーブルの上に置く。


「君の纏う気配に、神の力を感じたからさ」

「……神の力?」

「そう、神の領域に住まうものが纏う力。それをこの世界では神性と呼ぶ」

「神性……」


 そういえばその言葉を俺はちょっと前にどこかで耳にした。あれは、確か真っ白な空間で出会った神の使いちゃんが発した言葉だっただろうか。


「ズバリ聞くが、君に力を与えた神は何者だい?」


 馬鹿正直に伝えるべきか、それともここは口を紡ぐべきか。逡巡した俺はとりあえずヘカテーさんへと探りを入れることにする。


「それを伝えて、ヘカテーさんはどうするおつもりで?」

「なに、ただの好奇心だよ」

「お言葉ですがもしかしたらあなたにそれを伝えることによって俺に何かしらのリスクが発生する恐れがあります」

「ふむ、君の言い分は全く持ってその通りだ。私も同じ立場なら同じことを考えるだろう。そうだな……ではこういうのはどうだろうか」


 ふと、ヘカテーさんはその場を立ち上がると窓際の方へと歩みを進める。


「先に私の手の内を見せようか」


 窓際に向かった彼女が手に取ったのは小さな植木鉢だった。その中央にはまだ苗木の状態の細い植物が一つ見て取れる。


「これが、私の力だよ」


 彼女がその苗木に手をかざした瞬間、淡い翠緑の光が彼女の手の周りを包み込んだ。光に飲まれた若草が心地よさそうに身を捩る。直後、まるで高速再生の映像を見ているかのようにその植物がぐんぐんと成長していくのが目に見えた。


「なっ……」

「生命を操る。それは所謂神の領域の力だ。この世界において魔法と呼ばれる力では決してその力を再現することはできない。この力は神性の領域に至る力」

「ヘカテーさん、あなたは……」

「私の本当の名前はヘカーティア。人は私を、豊穣の神と呼ぶね」


 開いた口が塞がらない。なぜならば、俺はこの街に来た直後にユフィからその名前を耳にしていたからだ。だってその名前は、この一大商業都市であるプリズムウェルが、街を上げて信仰するような存在なんだぞ。それがどうしてこんな場所に。


 俺の焦りが目に入ったのか、くすくすとユフィが笑いをこらえるのが聞こえてきた。


「ユフィは知ってたのか……?」

「まぁ、古くからの付き合いだし、なにより私の先生だからね!」

「そうだね、ユフィには最初に会った頃に早々にバレてしまったよ」


 こうなると完全にお手上げだ。神様と魔法使いを前に何の力もない俺がどうにかできる訳がない。

 俺は半ば諦めたように、力の正体を告げる。


「俺をこの世界に呼び出したのは、運命神トゥルフォナ様です」


 ああ、言ってしまった。トゥルフォナ様お許しください。いや、勝手に美人な女神様なんて思っているがそもそもトゥルフォナ様って何者なんだ。そんな人より目の前のヘカテーさんのほうがよっぽど信頼できるのでは……?


「さっきから百面相だが大丈夫か?」

「い、いやぁ大丈夫……だと思います」

「それならいいのだが……。それにしてもそうか、トゥルフォナの奴か……ふふっ」


 その名前を口にしながら、ヘカテーさん改めヘカーティアさんはどこか昔を懐かしむようにして笑う。


「また厄介な奴に目をつけられたな」

「厄介……?」


 あぁいや、心当たりならあるな。力を与えてくれるのはありがたい限りなのだが、よりによってどうしてあんなへんてこな力を寄こしてくれやがったのか。


「その様子だと心当たりがあるようだね。与えられた力でも持て余しているのかい?」

「本当に勘がいいですね」

「まぁ、これでも600年以上生きているからね」

「関係あります?」

「勘とは、経験の蓄積から来る分析の一つだよ」

「そ、そんなもんですかね……」


 仮に彼女が同い年でも、きっと俺は今までと同じことを思っただろう。


「で、だ。その力のことを聞いてもよろしいかな?」

「えっと、あー」


 逡巡する俺を見て、ヘカーティアさんは僅かに訝しむような表情を浮かべた。


「もしかして言いにくいことか……?」

「まぁ、お二人相手には言いにくいことというかなんというか……」

「何を今更躊躇うんだ。それに、もしかしたら私が君の力になれるかもしれないよ」


 俺の背中を押すには、その言葉は十分だった。今更なぜ体裁を繕うようなことをしているのか。助けてもらいたい一心でここにやってきたじゃないか。


 ここは覚悟を決めて、真実を話すべきだ。一つ小さく息を吐くと、俺は彼女へと向き合う。


「俺の力は、トゥルフォナ様の使い曰く『美少女が一生に一度のお願いを何でも聞いてくれる力』だそうです……」


 西日差し込むリビングに、何とも言えない沈黙が流れた。


 頼む、誰でもいいから何とかしてくれ。うつむいて小さく肩を揺らすヘカーティアさんと、わなわなとこちらも同じように肩を震わせるユフィの姿。同じような仕草だが、思うにきっと彼女たちの心境は真逆の絵を描いていることだろう。


 今の俺には……シンプルにこの静寂が、痛いです。


「…………ふふっ、……くくっ……はっ……す、すまないっ……笑うつもりじゃなかったんだがっ……っ」

 

 そんな沈黙を破ったのは漏れるようなヘカーティアさんの笑い声だった。


「……いえ、心中お察しいたします」

「あ、案の定厄介な奴に絡まれてしまったようだな」

「そうなんでしょうか」

「び、美少女が何でもか……男の子には夢のような力だな」

「誇れるような力じゃないですけどね」


 彼女の知るトゥルフォナ様とやらならやりかねないのか。ヘカーティアさんは俺に同情してくれているようだ。しかしもう一方はそうはいかないようで――


「ちょ、ちょっとっ!」


 突然横から思わぬ力に引き寄せられたかと思えば、俺は思い切り胸倉を掴みあげられた。


「その力っ、私に使ってないでしょうねっ!」


 そこにいたのは鬼のような形相でこちらを見つめるユフィ。いやまぁ、当然と言えば当然なんだが。


「ユフィ、よさないか」

「だって先生っ!こいつ私の裸を覗いてたんですよっ!」

「ち、ちがっ、あれは誤解でっ!」


 ……いや、誤解というには微妙なラインだけど。ここはそういうことにしておいた方が絶対良いはずだ。


「そんなこと言われても信じられるわけないでしょう!?」

「……何やら随分と面白そうなことをしているじゃないか君たち」

「楽しそうにしている場合じゃないですよ先生っ!」


 徐々に俺を締め上げるユフィの腕に力が入る。まずいっ、このままじゃ異世界で野垂れ死にする前に美少女に絞め殺される。


「ま、待ってくれっ!使ってないって!」

「本当に!?嘘言ってたら焦がすわよっ!」


 ……何気に絞め殺すより怖いこと言ってないか。


「使おうと思っても使えなかったんだよっ!」

「やっぱり使おうとしたんじゃないっ!私にその、え、エッチなことしようとしたんでしょうっ!私を覗いてた時に使おうとしてっ!」

「違うってっ!その時じゃないっ!言ったじゃないかっ!一生に一度のお願いだ、なんとか見逃してくれって!でも君は見逃そうとはしなかっただろう……!?」

「そ、それは……っ」


 ふと首元にかかる力が緩んだ。その隙を見逃す訳にもいかず、俺は素早くユフィの手を振りほどくとそのままヘカーティアさんの方へと縋るように逃げる。


「なんというか、思ったより情けないな君は」

「俺はしがない異世界人なんです」

「開き直るのもどうかと思うが」

 

 やめてくだせぇヘカーティアさん。そんな憐れむような眼で見られると男としてのプライドがですね。


「……それにしても力が使えなかった?」

「ええ、もし文字通り俺の力が美少女に何でもお願いを聞いてもらえる力なんだったら命乞いぐらい許されるでしょう!?」

「君はユフィが美少女だと思うかい?」

「そりゃ最初に見かけた時から美少女だと思ってますよ!」

「だ、そうだユフィ」


 俺がそう口にした途端、彼女は咄嗟に俺の方から視線を逸らした。未だに俺に怒っているのだろう。その表情はこちらから伺えそうにないがきっとそうだ。


「私は一体何を見せられているんだ。それよりも、力が発動しないというのは気になるね。内容が内容とはいえ仮にも神性の力だ。しかもトゥルフォナが与えたものというのならその力も確かなものだろう。ふむ……調べてみる価値はありそうだ」

「調べたところで何かが出てくるとは思えませんが……」

「もしかしたら、何か条件があるのかもしれないね」

「仮にそうであれば碌な条件じゃなさそうですね」


 「かもしれないね」なんて微笑みながら、ヘカーティアさんは机のティーカップに手を伸ばした。


「そういえばヘカーティアさん」

「ん、どうしたんだい?それと、私のことは変わらずヘカテーと呼んでくれて構わないよ。むしろ人に混じった生活を送っているんだ。そちらの名前のほうが馴染みが深い」

「そ、そうですか。それじゃあ改めてヘカテーさん」


 そういえば色々と情報が多すぎてすっかりと忘れていた。俺はこの先生に助けを貰いにこの場にやってきたのだ。


「助けて欲しいことがありまして……」

「いいだろう。聞くだけ聞いてみようじゃないか」


 ああ、神はここにいた。諦めないって大切だな。


「えっと、実はこの世界の文字が全く読めなくて……」

「ふむ、異世界人なら確かにそういうことも当然か」


 ヘカテーさんはそのまますいと立ち上がると近くの本棚へと歩みを進めた。そこから数冊の本を抜き出すとこちらにすたすたと戻ってくる。


「そうだな、せっかくの機会だ。こちらの言葉を一から覚えるのもいいだろう」


 前言撤回。神はやっぱり死んだらしい。


「なんてね、冗談だよ。さて……」


 直後、ヘカテーさんの柔らかな手が俺の首元に回された。不思議と温かい感覚。と、同時に頭の中が次第にクリアになっていくような錯覚を覚える。これがもしかして、ヘカテーさんの豊穣の神としての神性なんだろうか。


「適当に本棚から見繕ってみたのだが、これとかどうかな。本のタイトルが読めるかい?」

「えっと、『アトランディアの歴史から読み解く信仰と神』……?」

「うん、大丈夫そうだ」


 目の前の文字の意味が分かるようになる。それがどれだけ感動的なことなのか俺は初めて味わった。日本語以外の外国語を勉強する人たちも、きっと同じような心境だったんだろうな。ごめんなさい、英語の授業中にずっと居眠りばっかりしてしまってて。


 それにしてもさすが先生。小難しそうな本が家にあるもんだな。

 そして今更になって改めて思うことがもう一つ。やっぱり神様の力ってすげぇや。


「それで、一つお願い事を聞いて貰いたいのだが」


 そんな俺の気を知ってか知らずか、いつの間にかヘカテー先生はいたずらっぽい顔をこちらに向けていた。そんな表情でお願いなんて言われたら、断れる訳がないじゃないか。


 あれ、もしかして俺の力って、美少女にお願いを聞いて貰えるんじゃなくて、美少女にお願いを聞かされる力だったりしませんよね。

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