第5話 先生と呼ばれた存在

「ほら見て、あれがプリズムウェルの大聖堂よ!」


 どこか年相応にはしゃぐユフィを尻目に見ながら俺は全く別のことを考えていた。

 

 自分が住んでいた日本とは全く違う街並み。家屋のつくりや大通りに立ち並ぶ露店は、さながら古き良きヨーロッパの街並みを想像させる。

 そういえば、どうしてこうも異世界ってのはヨーロッパに似通った街並みをしているんだろうな。


 まぁ、そこはあまり触れてはいけない部分なのかもしれないが。きっと世界を作った創造主様にも都合というのがあったりするんだろう。


 街中や露店の前には多くの看板が掲げられ、道路には標識のようなものも見て取れる。しかし、それがここにきて俺に一つ大きな問題を投げかけているのだ。


「……これはまずい……文字が読めないぞ」


 そう、俺には先ほど目に入ったこの世界の文字らしきものが何一つ認識できなかったのだ。


 いや、よく考えてみればそもそもおかしかった。ここは異世界だぞ。どうしてその世界の住人であるユフィとここまで普通に会話ができてたんだ?


 なぜ会話にだけ認識の制限がかかっていないんだ……?


「……もしや」


 これまでのことを俺は必死に思い出す。そしてあることに思い至るのだ。


『一生のお願いだっ!頼むから言葉はせめて通じるようにしてくれっ!』


 それはあの白い空間で意識を失う直前、俺があの美少女天使に叫んだ言葉だった。


「まぁじか……あれ会話にしか反映されないのかよ」


 いや、言葉が通じるってそういうことじゃねぇよ。書いた文字とか映像の文字とか、そういうの含めて言葉が通じるってことだろうがよ。いーや参った。これ、軽く詰んでないか……?


「ねぇねぇ、さっきからどーしたのよ。難しい顔で考えこんじゃって」

「い、いやぁー街の規模に驚いちゃっただけだ」


 ……どうしよう。文字が読めないことを伝えたほうがいいのだろうか。というか仮に何とかして独学で学ぶとしてもそもそも本や教材を買う金すらないんだぞ。


『一生に一度のお願いだ、俺に金を貸してくれ』


 いやいやいや、どんなクソ野郎だそいつ。異世界まで来て女の子に金を借りるなんてそんなことをするぐらいだったら俺はこのまま野垂れ死ぬ。


 かといって……これ、さすがにこのまま終わっちゃうのか……?


「あれ、どこ行くんだ?」


 気づけば先ほどまではしゃぎにはしゃいでいたユフィがどこかへと歩き出そうとしていた。


「いや、先に先生に挨拶に行こうかと思って」

「……そういえばそんなこと言ってたな」


 ここに来るまでの道すがらに彼女がそんなことを呟いていたことを思い出した。あまりにもインパクトに溢れた突然の危機に、すっかりとそのことが頭から抜けきってしまっていたようだ。


「魔法の先生……もしかしたら……」

「どうかしたの?」

「その、邪魔じゃなければ俺もついて行ってもいいか?」

「もちろん。先生は誰だって受け入れてくれるわ」

「……なるほど、さすが君の先生だ」


 思えば、ユフィだってそもそも森の中で出会っただけの不審者である俺にここまで良くしてくれるんだ。それもこれもきっと彼女の師匠に当たる人物が立派だったからに違いない。


 そんな人だったら、もしかして俺を助けてくれるのかも……なんて下心が浮かんでしまう。


 さすがに金を借りるということだけは避けたかった俺だが、それぐらいのことは頼ってもいいんじゃないだろうか。


「そうと決まれば早速行きましょう!」


 ノリノリのユフィに導かれるまま二十分ほど。大通りから路地を抜け、気づけば俺たちの姿は街外れの少し寂れた高台の上にあった。


「ここが先生の家らしいわ」


 手元の小さなメモと目の前の一軒家の玄関に書かれている住所を見比べながら、ユフィが小さく呟いた。


「こんなところに……」


 思えば街の中心部からは随分と離れた場所に来てしまったものだ。しかし、高台に位置するこの場所はこの街を見渡すにはまさに最適の場所だと言えよう。

 

 今立っている場所からふと後ろを振り返ると、そこにはこのプリズムウェルを構成する全てを見下ろしているんじゃないかというほどの圧巻の光景が広がっていた。


「こんにちはー!」


 そんな光景にただ茫然と魅入ってしまった俺を現実に引き戻したのは、こつこつと鳴る子気味のいいノックの音だった。


「先生っ!ヘカテー先生っ!いらっしゃいますかー?」


 久しぶりにって言っている割には随分とフランクに行くじゃないか。まぁ、こいつらしいといえばこいつらしいのだけれども。


 そんな姿に呆れていると、程なくして一人の女性が扉の奥から姿を現した。


「おや、こんな時間に誰かと思えば……しばらくの間に随分と大きくなったじゃないか、ユフィ」


 先生、なんていうもんだから勝手にゲームに出てくる大賢者みたいな老人を想定していた俺は、その女性が出てきた瞬間に思わず息を呑んでしまった。


「先生はやっぱりお若いんですね」

「まぁ、そういう生き物だからね」


 年齢は俺らと全く変わらなく見える。肩まで伸びた髪の下には冷たさの中に柔らかさを感じる整った顔があった。その目元を覆うようにかけられた眼鏡の向こう側から、ふとこちらを見つめる視線を感じる。


「ユフィ、こちらの方は?」

「えっと、たまたま旅の途中で出会った人で……」


 こちらに近づいてくるその女性に思わず身が強ばる。どうしてか彼女についてだけはどこかこの異世界においても異質なもののように思えてしまったからだ。


「は、初めまして、ナナサキ・アヤトと申します。ユフィさんには旅の途中で偶然助けてもらいまして……」


 ふと、俺の挨拶を受けた彼女の表情が僅かに険しくなったのが見て取れた。一体何に対して彼女がそんな態度をとったのか。そのことに思わず俺の笑顔も硬くなってしまう。

 

「ど、どうかしましたか……?何か失礼なことでも……」


 もしかしてこの世界において目上の人間に取ってはいけない態度でもしてしまったのだろうか。そんな俺の不安を察したのか、彼女は俺の方へとその手をすいと差し出してきた。


「いや、こちらこそ済まない、どうやら不安にさせてしまったようだ」

「そ、そんな、とんでもないです」

 

 差し出された手を握り返しながら、俺は何とか作り笑いを浮かべてみる。


「改めまして、私はヘカテー。ユフィとは古い付き合いでね。まぁ、近頃は互いに連絡を取っていなかったが」


 どこか不服そうな顔を見せるヘカテーさんに向け視線の先のユフィは「あははぁ~」なんて乾いた笑いを浮かべている。


「さて、こんなところで話をするのもなんだ。うちに案内しよう」


 そんなヘカテーさんの言葉に誘われるように案内されたのは小さなリビングだった。


「こんなものしか出せなくて済まないね」

「いえ、押しかけたのはこちらですから……」


 差し出されたのは小さなティーカップに入れられた紅茶のような飲み物だった。一口口にすると口の中と鼻を抜けるような甘い香りがじんわりと心地よく広がっていく。


「おいしい……」

「おや、気に入っていただけたようなら何よりだ」

「先生、お代わり!」

「ユフィ、君は節操というものを知らないのかい?」

「旅に出るときに実家において来ちゃいました」


 そんなことを言ってのけるユフィに向け、ヘカテーさんは相も変わらず暖かい視線を向けている。そこに二人の付き合いの深さを感じてどこか微笑ましさを覚えてしまう。


「それにしても、まさかあの天真爛漫だったユフィが男の子を連れてやってくるとはね」

「わ、私たちはそんな関係じゃっ!」

「おや?一緒に旅してきたんじゃないのかい?」


 からかうように言ってのけるヘカテーさんに、ユフィは不服そうな表情を浮かべている。悪かったな、相手が俺みたいなやつで。


「ユフィさんとは昨日出会ったばかりで」

「おや、そうだったのか。二人の馴れ初めでも聞かせてもらおうかなんて思ってたのだが、それは少々残念だ」


 そう言って見せるヘカテーさんはその顔に少しも残念な色を見せていない。きっとこの人はユフィをからかうのを楽しんでいるんだろう。


「まぁ、その辺の馴れ初めはおいおい聞かせてもらうとして……」

「だから馴れ初めとかそういうんじゃないって!」

「はいはい。それにしても……」


 ふと、先ほどまで纏っていたヘカテーさんの雰囲気が一変するのが分かった。槍にでも貫かれたかのような、冷たい何かが俺の中を突き抜けていく感覚。それがまるで俺の心の奥を見透かされているようで、思わず俺の喉が小さくなるのが自分でも分かった。


「……先生?」


 不安そうに声をかけるユフィを意にも介さず、ヘカテーさんは決して俺から視線を逸らそうとしない。そして、俺もその確固たる意志を感じさせる瞳から目を逸らすことが出来ないでいた。


「アヤト君……君は……」


 ふと、その瞬間俺は次に彼女が何を口にするのかなんとなく分かってしまった。


「君は、この世界の人間じゃないね?」

「えっ……」


 彼女の問いかけに口を開いたのは、俺ではなく先ほどから静かにやり取りを聞いていたユフィだった。


「ヘカテーさんって……そういうの、分かる人なんですか?」

「ふふっ」


 意味ありげに含み笑いを浮かべて見せるヘカテーさんが、窓の外から差し込む光に照らされてどこか神々しく見えてしまう。ヘカテーさんは西日がよく似合う綺麗な人だった。


「だって、私は君に力を与えた存在と同じ所にいる存在だからね」


 ああなるほど。やっぱりこの人は、俺の秘密を知っているんだ。

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