井戸

子供の頃、自宅の床板取り換え工事があった。

日々食事をする部屋の床一面がはがされ木組みがあらわになっている。


木材の下には、砂地。この家は海が近いからか、蟹の死骸まであった。

見慣れない床のない部屋に片隅に、丸いコンクリートのような部分があった。


「なにこれ。」

「古井戸だよ。」


井戸があったなんて、初めて知った。


「使わないの。」

「水道ひいたから使わなくていいんだよ。飲めないし。」


古井戸の周りは小石が敷き詰められていた。この家を建てる前は、この位置に土間があってそこに炊事場があったそうだ。竈なんかもあったんだって。へえ、意外と歴史があるんだな…。


井戸に鉄板の蓋がのせてある。そっとふたを取って、中をのぞいてみた。


水面が二メートルくらい下にある。部屋の電気の光が届きにくい位置なのではっきりとはわからないが水面は透明で、水底の砂がしっかり確認できる。


私の顔が、水面に映っている。


もう何年も、使われることのなかった井戸。この先も使われることはないのだろう。そう思って、井戸の蓋を閉めた。




それからかなりの年月が経ち、家を解体することになった。なんと、井戸がある家はお祓いをしないと工事に取り掛かることができないという。その際、持ち主が砂を入れないといけないので必ず来るようにと言われてしまった。忙しい仕事の合間を縫って、お祓いに参加する。


「じゃあ、この砂を入れてください。」

「はい。」


ずいぶん昔に覗き込んだ井戸を、久しぶりに覗き込んでみる。

あの時と同じ薄暗い井戸の水面に…。


幼い、私の顔?


「やっと出られた。」


ふわりと面影が浮いて、空に散っていった。


覗き込んだ水面には、老け込んだ私の顔が映る。…老け込んだ?!いやいやまだまだ若いってば!!!


大昔に井戸をのぞき込んだ時に、私は何かを、置いてきてしまったのかなあ…。長いことかわいそうなことをしたのかもしれない。謝ろうと思ったけれど、面影はすでにどこかに消えてしまった。


井戸は無事埋めることができた。


周りの砂と同化した井戸を見て、あの面影も空に紛れて同化したのかなあと、ふと、思う。

たまには遊びに来てもらっても、良かったんだけどな。まあ、でも、久しぶりの外だったら心行くまで堪能もしたいに違いない。


「いつでも、どうぞ。」


かつて過ごした家のあった狭い砂地の片隅から、空を見上げて呟いた。


返事は、返ってこない。

ここにはもう、何も帰っては、来ないのだな。


この場所は、ほかの誰かが、帰る場所になるのだろう。


…売れたらね。


売れるのかな。

この辺鄙な土地が。


よく見りゃ周りは売地ばかり。


いろいろと、頭が、痛い…。

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